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2009/07/25

『セントアンナの奇跡』

セントアンナの奇跡』は良くも悪くも作り手が非常に混乱した映画である。アメリカ公開時の反応や興行的な失敗を見ても、名匠スパイク・リーの溢れんばかりの想いが観客の心を掴みそこねてしまった感は否めない。

しかしながら、そうやって無下に突き放してしまうのはあまりに惜しい。なにしろスパイク・リーはこの映画でブラックカルチャーや地元ニューヨークに軸足を置きながらも、そこからもっと広い世界を見つめようと自身にグッと負荷をかけ、前のめりに踏み出しているようにも思えるからだ。

定年退職を3ヶ月後に控えた黒人の郵便局員が、窓口で切手を買い求めた客に突然発砲した。現行犯逮捕された彼の住居からは、1944年にナチスによって破壊されたサンタ・トリニータ橋の彫像の頭部が見つかる。長らく行方不明だった歴史的な重要物をどうして彼が…。われわれはその大いなる謎を抱えながら、彼がバッファローソルジャーとして従軍した第二次大戦中のイタリア戦線にいざなわれることになる。

軍隊内でも差別の構造は変わらない。そこは無能な白人上官が黒人兵士を動物のごとく見くだす世界だった。有無言わさず最前線に立たされたバッファローソルジャーたちの行軍をナチス・ドイツの猛攻が襲う。仲間の兵士がどんどん傷つき崩れ落ちる中をなんとか生き延びた4人の黒人兵士たちは、砲弾降りしきる状況下で年端のゆかない少年と遭遇する。なぜ子供がこんなところに。妖精のごとき純粋な目をもった儚い存在を守るべく、彼らは本能的に手を差し伸べる。

部隊から孤立した彼らが助けを求めた先はひとつの村だった。そこでバッファローソルジャーたちを出迎えたのは、彼らがこれまで出会ったことのないタイプの人たち、つまり彼らに敵意を向けることを知らない地元トスカーナの白人たちだった・・・。

2時間40分の上映時間の中には、黒人兵士の苦悩があり、村の人々とのふれあいがあり、ナチスの進軍があり、パルチザンと裏切り者の疑心暗鬼があり、歴史的悲劇があり、さらに物語の締めくくりには時制がふたたび現代のニューヨークへと舞い戻ってくる。

4人の黒人兵士たちは皮肉にも戦争という大きな暴力にいざなわれることによって“外の世界”を目撃する。そして差別の存在しない天国のように思えたこの村を一瞬で地獄に変えるのも戦争の力だった。

肌の色が同じでも国家、信条、文化の違いによって人はたやすく殺し合える。この映画の登場人物は誰もが何らかの対立項によって恐怖にさらされている。物語の中盤あたりからバッファロー・ソルジャーたちには「黒人だから」という被差別的な言い訳は全く通用しなくなっていく。人間として生まれたことの喜びと悲しみを実体験した彼らは、世界の悲劇の集約地でもあるかのようなこの場所で、肌の色を越えた“個人”となるのである。

もちろんこれらの試みがすべて巧くいっているわけではない。小さな舞台に“世界”の混沌を放り込んだことで、2時間40分の箱の中からあまりにたくさんの部分がこぼれおちた。それに『プライベート・ライアン』を思わせる激しい戦場やセントアンナでの惨劇をリアルに描写する一方で、作品にはどこか寓話的な物語作法が幅を占める。これがややもすればアンビバレントにも映り、この映画が結局どこに着地したいのか判然としない状況を呼び込んだようにも思える。

だが決して悪い映画ではない。黒人監督が異国社会の悲劇を描くという非常に捻じれた現象の中で、スパイク・リーはそのれっきとした代弁者にはなれなかったにしても、人々が記憶を共有しようとするその力強い可能性を示すことはできたのではないか。

たとえこれが史実に基づくフィクションであったとしても、黒人の側から歴史を編纂しようとした意味合いは大きい。本作がスパイク・リーにとって貴重な一歩となるであろうことは、アメリカ国民よりもむしろ他国の観客のほうが的確な距離感でつかみうるところだと思う。

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スパイク・リーの劇場次回作は『インサイドマン2』になる模様です。クライヴ・オーウェン、デンゼル・ワシントンのキャスティングは決まっているようですが、ジョディ・フォスターの名は発表されていません。

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