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2009/10/11

少年トロツキー "The Torotsky"

いまのこの世の中に共産主義!?
ひとりの青年の死に物狂いの闘いは成就するのか?
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「僕はトロツキーの生まれ変わり!」と信じる高校生が繰り広げる痛快コメディ。まず手始めに父の工場でハンストを決行したレオンは、ノートに書き留めた「盟友レーニンを探す」「年上の女性と結婚する」などの難易度の高いミッションに挑みつつ、転校先の公立高では校長や教育委員会を相手に闘争をおっぱじめ、事態はメディアを巻き込んだ大騒動へと発展していく・・・。

最初はぶっとんだ主人公を外側から笑っていたものの、気がつくと僕らもすっかりティーン革命の真っ只中へ。これぞ映画を通じて現代人の"indifference"と"apathy"を打ち砕こうとする監督の為せるワザ。そんな彼に影響を与えたのがケン・ローチ作品だったという事実も驚きだカナダ・ケベックの多文化を堪能できる非常に新鮮な映像体験。

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そもそもケベックとはどのようなところだろう?

ここでは町の公共機関は警察も含めてフランス語が主流。それだけでなく、60年代のアメリカでベトナム従軍を拒否して逃げてきた男がいたり、アジア系もアラブ系もラテン系も、まさに多文化を象徴するかのように入り乱れて暮らしている。それに主人公レオンもトロツキーと同じユダヤ系の出自だ。

彼らは文化の衝突を巻き起こしたりもすることなく平和に暮らしているように見える。工場だって高校だって、レオン=トロツキーが現れるまでは平和そのものだった。しかし今から何を言っても遅いのだ。彼はとうに現れてしまった。強烈な個性でもって民衆を扇動し始めてしまった。共闘して権利を主張する重要性を説き始めてしまった。

だからこそ前向きに考えてみよう。彼の登場にポジティブな意味を見出すには、校長とレオンの興味深い対話に耳を傾けるのがよいだろう。つまり、社会の縮図たる学校での平和が、実は「退屈」と「無関心」によってもたらされた「感情的な凪」の状態だというのである。誰もがアイデンティティを消して一個人に没している。これは日本についても同じことが言えるのではないか。

そんな中で面白い見せ場が用意されている。

レオンが呼びかけた校内ダンスパーティー、その名も「社会主義」に集まった学生たちは、いつもの画一的な制服を脱ぎ棄て、みんな思い思いの仮装でキメている。ダンスフロアは一気に文化のるつぼと化す。世界中の様々な価値観念が平等に踊っているのだ。中にはディズニーランドみたいな動物キャラのぬいぐるみを被っている者もあり、「君らは何の扮装?」と問われると「動物農場!」と答える。「1984年」のジョージ・オーウェルが著した名作小説のキャラクターたちなのである。

その中でトロツキー=レオンが、「アンネ・フランクの日記帳」と「兵士の長槍」をそれぞれ預かって立ちつくすシーンがある。つまりこれはダンスフロアに「長槍と日記帳を持ったトロツキー」が出現したことを意味し、この何かしら得体のしれないアイデンティティの合体怪獣のようなものの存在意義に爆笑してしまった。これは果たしてコミットメントの可能性だろうか、それとも退廃なのだろうか。

ともあれ、これまでTIFFのコンペ作としてはメジャー寄りとも映るエンタテインメントなノリに多少なりとも驚くかもしれない。しかしテーマだけみると完全な「政治モノ」とも曲解されかねない本作をここまでポップに仕上げてしまうところにこそ映画作家としての特色が発露していると言える。

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