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2009/11/29

懺悔(1984)

凄いものを見てしまった。この悲喜劇をいったいどんな表情で向かい撃てばよいのか。ソ連で大ヒットした1987年、もしも僕が現地の劇場で爆笑しながらこの映画を観ていたら他の観客に殴り倒されただろうし、またその真逆の態度を決め込んだとしても結果は同じだったろう(と想像する)。よそものでしかない僕には『懺悔』がそれほどデリケートな映画に思えた。

Zange

物語は「ある偉大な男」の死からはじまる。町中が悲痛な面持ちに暮れている。有力者が参列して取り行われる葬儀、そして埋葬。しかし翌日になって遺族が叫び声を上げた。彼の遺体が掘り返され、中庭に据え置かれていたのだ。次の日も、また次の日も。

墓荒らしとして捕えられたのは中年の女性だった。裁判の被告人席で彼女が言う。「私が生きている限り、その男に墓で安眠することは許さない」。

なぜか?

証言台にて物語は数十年前にさかのぼる。「偉大な男」がこの地の市長だったころの話。恰幅の良い身体。真っ黒な服。サスペンダー。チョビひげ。鼻眼鏡。独裁政権の象徴のごとく圧倒的なアジ演説を飛ばし、かとおもえば神出鬼没。さんざん歌って踊ったあげく、人々に嫌疑をかけ、さっさと連行していく。それが偉大な男の正体だった―。

ソ連時代に製作されたこともあり、恐怖政治はパロディ化され詳述を避けている。それがかえってファンタジーにも似た奇妙な触感を残す。ある者はタイムトラベルでやってきたかのように甲冑&槍をもち、またある者はギリシア時代の信託者の格好で物憂げに佇んでいる。町の教会は科学技術の要塞と化し、収容所では所長がピアノ伴奏に乗せて告白を促す。

しかも物語はこれで終わらない。やがて「偉大な男」の息子やその孫らが、歴史の重みにもがき苦しむ姿さえ描きだすのだ。過去の過ちに理解を示す息子に対し、孫は罪を積極的に認めるべきだと主張する。つまり我々は過去に遡って懺悔することでしか生きる資格を得られないのだと。(この3世代の隔たりについては、同じグルジアを舞台にした『やさしい嘘』にも共通する部分がある)

「ドストエフスキーとゴッドファーザーとテリー・ギリアムの世界を掛け合わせたような」と言えなくもない。しかし当然それだけでは消化しきれぬ、圧倒的な土の記憶が澱(おり)となって体内に留まりつづける。そして何よりも我々は歴史を知っている。その後ソ連は崩壊し、『懺悔』の舞台・製作地はグルジア共和国として独立した。

これは崩壊前夜の1984年に撮られたもの。共産主義末期の潮流の中でシュワルナゼ外相のお墨付きをもらい、ペレストロイカの旗印にもなったと言われている。日本ではほぼ25年が経った2008年末にようやく公開が実現。まさに名実ともに“いわくつきの映画”と言えよう。

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