スリ
ロベール・ブレッソンのことではない。
世の不況ぶりをジョニー・トーの監督作で指し示すなら、それは『エグザイル』と『スリ』の中間ということになるのだろうか。香港を代表する任侠アクションの雄による意欲作『スリ』はついに日本で劇場公開されることはなかった。
確かにアイディア満載のガン・アクションで紡いだオッサンたちの修学旅行(的な任侠モノ)『エグザイル』はこれまでのジョニー・トー作品の集大成として日本の観客を熱狂させた。対する『スリ』は、銃も登場しないし、人も死なない。両者を比較すると『スリ』はあまりに分が悪い。でもそれだけでは捨てきれない何かがこの映画にはある。
まず“スリ”という古典的な犯罪を魔術的な身軽さで撮る。主人公は男数人で群を組んでいて、舌に隠したカミソリでターゲットの衣服やカバンをヒョイヒョイと刻むと、他の誰かが犯行の瞬間を身体で目隠し。抜群のチームワークで財布を抜き取り、それをまた他の誰かに渡す。
この一連の複雑な動きをジョニー・トーの撮影部隊はなんと長回しのワンショットで撮りきるのだ。しかも犯行を立て続けに3セット、連続で。これをダンスと言わずして何と呼ぼう。
犯行を終えたリーダー(サイモン・ヤム)は自転車で近所を走る。過ぎ去っていく香港の古きよき街並み。住民の日常が生き生きと描かれる。ふと視線を上げるとビル群の浸食はもうすぐ側にまで迫っている。ここは急速に発展する都市の中にありながらモノクロ写真のように色あせた場所だ。もう1年後でも、半年後にでも、無くなっているかもしれない。
ジョニー・トーはインタビューで「スリという職業は時代遅れだ。犯罪にしてはあまりにリスキーだからね。でもかつてそれが職業として成立していた時代が確かにあったんだ」と語る。
だからこそ『スリ』はとことんノスタルジーに浸る。ひとりの魅力的な女性をめぐって救出劇に乗り出す面々はオッサンなのに少年のような目をしている。彼女がファムファタールだって分かっていても、彼らは「失われていく哀しみ」ではなくて「冒険する現在」を抱きしめる。
そしてクライマックスに待ち構えているのは、銃撃戦でも殴り合いでもなく、壮絶な“スリ合戦”なのだった。土砂降りの雨の中、男たちが傘を片手に水しぶきをたてながら皆目よく分からない対決を繰り広げる。これが優雅なこと、優雅なこと。
当のトー監督は語る。
「『シェルブールの雨傘』みたいな映画が撮りたかったんだ」
本当はミュージカルにしたかったらしいが、予算が合わなくて無理だったそうだ。スリとシェルブールをトッピングするとはなんてアーティスティックな発想。いや、発想するだけでなく、それを具現化してみせるのがトー監督の凄さと言える。
結果的に日本では劇場公開されず、DVD(しかもレンタルのみ)スルーとなった。いつもの骨太感がアート系に傾斜している分、惹きが弱いのは頷ける。でもジョニー・トーのアーティスティックな挑戦が伺えて、なんだか無性に魂が活性化させられた。
予算たっぷりの大作映画が街を浸食し、その繁栄の狭間にアート系がひっそりと息づいている。それらもあと1年、半年もすれば、モノクロ写真のように色あせて、誰の脳裏からも消えてしまうんじゃないか。
人々の心の中からこっそりと奪われ去ったもの。
その正体に僕自身もまだ気付けずにいる。
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