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2010/01/13

シャネル&ストラヴィンスキー

シャーリー・マクレーン主演の『ココ・シャネル』、オドレイ・トトゥが若き日のシャネルを演じた『ココ・アヴァン・シャネル』、そしてシャネル・イヤーの大トリを務めるのがこの『シャネル&ストラヴィンスキー』である。

Cocochaneligorstravinsky01
シャネルの人生にスポットライトを当てた前2作に比べて、本作はちょっと気色が違う。

デザイナーのココ・シャネル、作曲家のストラヴィンスキーという同じ時代に居合わせたふたりの寵児が、アーティストとして、男女として激しくその感性をぶつけあう。そのほんの一瞬の火花を見逃さず、それぞれの体内に流れる全く異なるメロディーを丹念に同期させていくのである。

よく映画の中での演技のぶつかり合いを“化学変化”などと言うが、これは歴史の裏側で“実際に起こったかもしれない”化学変化を、作り手の創造力を駆使して蘇らせた意欲作といえるだろう。

監督を務めるのは、もう10年も前になるが『ドーベルマン』のスタイリッシュかつ破天荒な映像で世界を驚愕させたヤン・クーネン。

今回は同じ人間の演出とは思えないほどの格調高さが香る。作り手がふたりの超人に心酔し、その奇跡的瞬間(当時を生きた人間でさえ、その実際を目の当たりにする者はいなかったのだから)の再現に息を潜めて立ち会っているかのような印象を受ける。

ただ、そのクーネンに背負わされたあまりの重責のせいか、中盤には男女のもどかしい縺れ合いが続き、いささか冗長な語り口に陥ってしまうのだが…

いや、正直、そんな細部はどうでもいいのだ!

というのも、本作はそれらの試行錯誤が瑣末に思えるほど、僕らが芸術を語る上で欠かせない歴史的大事件=ストラヴィンスキーの「春の祭典」初演をフィルムに再現しているのだから。

ストラヴィンスキー作曲、ニジンスキー振り付けによるこの新作バレエが与えた衝撃は大きい。バレエの伝統を覆す奇異なるステップ、白塗りのメイク、それに美しい情景やストーリーを語るのではなく人間の内なる感情の高鳴りにこそ肉薄した変拍子サウンド。。。

未体験の前衛表現とも芸術への愚弄とも受け取れる作品を目の当たりにした人々は瞬く間に混沌に陥った。ある者は罵声を浴びせて席を立ち、またある者は全身全霊を込めて賞賛の拍手を送る。このときパリのシャンゼルゼ劇場は両者の喧騒で演奏自体が聴こえなくなるほどだったという。

もちろん、後に「傑作」と呼ばれる作品を時代の最前列で受け止め、正当な判断を下すことは極めて困難な所業である。それこそ知識や才能ではなく、直感のなせるわざだ。

しかしこのときココ・シャネルは確かに「春の祭典」に何かを感じ取ったのであり、そこから始まる蜜月が彼女の「N°5」の香りをもたらすインスピレーションとなった(と本作は推定する)。

これはアーティストとして興奮に値する化学変化である。後の映画音楽に大きな影響を与えた、『サイコ』や『ジョーズ』のような、あの音楽の正体が知りたい。そして、当時そこに漂っていた香りを体感したい。ヤン・クーネンもその目撃者でありたいと心から欲し、誰もやらないからこそ今ここにその場面を自らの意志で出現させたのだろう。

ある意味、クーネンの脳内では最初から最後まで、あの衝撃的な「春の祭典」が鳴りつづけていたのかもしれない。

そんな作り手の想いを見透かすように、舞台はいきなり晩年へ跳ぶ。

Cocochanelandigorstravinsky4_2 

シャネルとストラヴィンスキーが、それぞれ別の場所で、かつての束の間の蜜月へ、ふと想いを馳せる。その瞬間、スクリーンには再びあの「春の祭典」キャストらがのっそりと現れ、白塗りの顔を寄せ合ってじっとこちらを見つめてくるのである。

精霊のように。

または芸術という名の魔物のように。

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シャネル&ストラヴィンスキー
監督:ヤン・クーネン
出演:アナ・ムグラリス、マッツ・ミケルセン
(2009年/フランス)ヘキサゴン・ピクチャーズ

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