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2010/01/11

(500)日のサマー

「この物語はフィクションであり、実在の人物や出来事などとはまったく関係がありません。●×(前の彼女)のことなどは特にね…ビッチめ!」

500_days_of_summer
そんな前書きと共に幕を開ける『(500)日のサマー』は、作者自らが否定するように「ラブストーリーではない」らしい。かといって恋愛についてゴダール的な哲学を吐露するわけでもなく、つまりはそのちょうど中間域にある際どいストライクゾーンを狙ってオリジナリティあふれる主観世界を披露してみせる。

それはひとつの恋愛がはじまって、終わり、そしてまた新たな世界が始まっていくまでの500日間。

恋愛の熱病によって街中で突如踊りだし、空からはアニメ鳥が舞い降りて肩でチチチと鳴く。そんな文化系草食男子“トム”を体現したのはジョセフ・ゴードン=レヴィット。彼の魅力については『BRICK』で述べた(あるいは『G.I.ジョー』ではあえて触れなかった)ので他に譲るとして、本作の魅力はその語り口にある。

というのも、語りの手法としてその題名にタイムマシンを内包しているのだ。

(500)は日めくりカレンダーでもある。これがバラバラと音を立ててめくれることによって、主人公の脳内に吹きだまる記憶の欠片が語られていく。その順番たるや前後の見境なく、自由自在。

あらゆる物語はアプリオリなものであるが、本作の構成はさもそれらがアトランダムであるかのような錯覚を起こさせ、予定調和に陥りがちな空気を軽快に霧消させながら舵を切っていく。

500daysofsummermusic_2 
さらに興味深いのはヒロイン“サマー”のキャラクターだ。

彼女の人となりを新種のエイリアンとでも呼ぼうか。ある日突如として視界に飛び込んできてはトムをことごとく侵略し、気が変わったら心の赴くまま去っていく。スクリーンを媒介にした僕らには彼女がいったいどんな人物なのか、何を考えているのかさっぱり分からない。もっとも、これは主観の投影なので、サマーに恋したトムですら彼女について何も分かっていなかったことになる。サマーが本当にズーイ―・デシャネル並みに美しかったのかどうかさえ、今となっては怪しいところだ。

そして、だからこそ、サマーの持つ未知数、あるいはキャラクターの輪郭線の巧みなぼかし方が、彼女を“容れ物”として機能させる。主人公のみならず、観客までもがそれぞれの「手に入れられなかったもの/叶わなかった夢」の記憶をここに装填・象徴させ、なんだか他人事とは思えない“夏の日の痛み”を共有することになる。

心の中に吹きだまったそれらの痛みは決して挫折や失敗などではない。次の(500)日へ向かうための新たな始まりとも言うべきものだ。

そんな過去から現在への橋渡しをしてくれるのも本作の魅力。

見終わった後に人生に対するポジティブな想いが湧きあがってくるのは、主人公がすでにサマーに対し、ビッチではなくミューズと呼ぶにふさわしい敬意や感謝の念を抱きはじめているからなのかもしれない。

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