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2010/01/26

マイレージ、マイライフ

「人生の荷物は最小限に」をモットーに掲げるライアン(クルーニー)は凄腕リストラ執行人。この不況下で1年の320日を出張先で暮らしている。物質主義や人間関係にも囚われない彼にとって、分刻みのフライトで貯まるマイレージだけが“生きた証”だった。

そんな彼にもやがて変化が訪れる。指導役として組んだ新入社員ナタリーと衝突しあいながら仕事の流儀を手ほどきし、また便利な恋人アレックスと付き合ううちに、おのずと人と人との繋がりに惹かれている自分に気付き始めるのである…。

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『サンキュー・スモーキング』『ジュノ』とウェルメイドなコメディを世に送り出してきたジェイソン・ライトマン。映画監督アイヴァン・ライトマンの子として生まれ、身近なところにいつもカメラを意識して育ってきた彼の語り口は、ほかのフィルムメーカーと違い、歌舞伎役者の息子が物心ついたときにはすでに舞台に上がっている人生と似ている。

会話を交わすように、呼吸をするように、物語を紡ぐ。撮るほうがそんな感じだから、観客も肩に力を入れることなく自然とその世界に身を預けられる。『サンキュー・スモーキング』と『ジュノ』の主人公が遭遇したかのような本作でもその魅力は変わらない。

そして、「よくぞここまで時代を切り取った!」と激賞される本作だが、そもそも映画が「時代を巧く捉える」ためには、時代の瞬間風速と共に、定点観測的な普遍性をも踏まえねばならないのはよく知られたことだ。

観客はまず冒頭から幾人もの男女がクビを言い渡される場面の洗礼を受ける。この身につまされる空気は演技と一味違う。後で調べてみると、なるほど彼らはどうやら役者ではなく、この不況下で本当にクビを言い渡された人たちであるらしい。ジェイソン・ライトマンはこのシーンにドキュメンタリー・タッチでもって彼なりの瞬間風速を刻もうとしている。センセーショナルな題材に対する彼のある種の誠実さ、映画が物語として“閉じない”ための魔法とでも言おうか。

Up2

では、もう一方の、普遍性とは何なのか。

仕事とプライベートにきっちり線を引き、ドラスティックにリストラを貫徹しようとする新入社員ナタリーに対しベテランのライアンは言う。

「いいかい、僕らの仕事は、傷ついた魂を向こう岸まで送り届ける類のものなんだよ」

ライアンが"Limbo"というワードを使うのが興味深い。まさに“あの世”と“この世”の境目って意味だ。この瞬間、現代社会を彩ったこの映画が、実はその作りとしてある種の古典的なストーリーラインにのっとっていたことを意識させる。

つまり、死神たちの午後、である。

彼らの仕事は天上(Up in the Air)から世俗に舞い降りては大ナタを振るい、迷える魂を向こう岸へ送り届ける、まるで死神。そんな彼らは仕事の流儀について同業者どうし語り合うこともある。地道に弟子を育てたりもする。で、ときどき無性に孤独を感じ、温もりを欲し、ああ、人間もいいな、とさえ思ってしまう…

モノクロ、サイレントでも表現できそうなこれらの普遍性が『マイレージ、マイライフ』の基調和音として響いている。またそれらを表現するジョージ・クルーニー、アナ・ケンドリック、ヴェラ・ファーミガのハーモニーも絶妙だ。それらをきっかけに、雇用者と被雇用者の契約から次第に同僚、恋人、家族といった人間同士の関係性を大きく包含する地点にまで視野を広げていく手腕。世代を問わずウェルメイドと言わしめる勝因はここにもあるのだろう。

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はたして死神(あくまで比喩)が人間になることを欲した地点でどのような結末が待っているのか。本作のエンディングはきっと観た人ごとに受け取り方が違う。"Up in the Air"の「宙ぶらりん」という意味が深く響き、なおかつ(メイン画像にもあるように)飛行場の広大な電光掲示板を見つめるジョージ・クルーニーの姿に様々な思いが去来する。

そしてジェイソン・ライトマンはいつもその締めくくりを観客に委ねるのだ。そのスタンスこそ彼が33年の人生で培ってきたフィルムメーカーとしての流儀なのだと言わんばかりに。

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