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2010/02/16

パレード

『今度は愛妻家』と『パレード』。同時期に2つの作品を解き放つ行定勲監督は、自身のキャリアのなかでずっと“物語の生じる場所”にこだわり続けてきた人でもある。

たとえば、『遠くの空へ消えた』では主人公が自分のなかの思い出を誰かに語り聞かせるシーンからドラマが始まる。『クローズド・ノート』は置き忘れてあった日記を手に取ることで追想が始まる。また『世界の中心で、愛をさけぶ』では恋人の知られざる過去を紐解いていくスタイルが取られる。主人公が開いた窓の向こうで更なる物語が広がっていくわけである。

そのいずれにおいても行定勲は“語りたいとする衝動”“知りたいとする衝動”を大事に掬い取り、窓の向こう側とこちら側に擁立された主人公を巧みに向き合わせていく。つまり『ネバーエンディング・ストーリー』のバスチャンとアトレーユの関係なんですね。しかもその立ち位置が観客とも接続されていくという、三すくみ、ならぬ3者の共存関係。

その点、今回は行定流のこだわりも更にハードル高めに設定されてある。吉田修一の原作小説を監督みずから脚色した本作は、東京のマンションでルームシェアしながら暮らす5人の男女の群像劇だ。藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、林遣都、小出恵介といった役者陣がそれぞれに巧妙な光を放ち、それが交わって幾色にも勾配の可能性を広げていく。

学校の先輩後輩だとか、親友、同業者なわけでもない。彼らは単に、“程よい距離感で接せられる関係性”を求めている。互いを知ってるようで、深くは知らない。または、嫌になったら自由に退出することだってできる。あるキャラクターはこれを「チャットや掲示板みたい」と表現する。

カメラはこの不可思議な個人・集団ライフの侵入者となる。順を追って5人の主観に肉薄し、彼らの日常のなかのダークな部分までをも赤裸々に解き明かす。5人はたとえ同じものを見つめていても、その内面で全く別の風景、それぞれの物語を持っている。共同生活とはその物語を見つめあうこと。そして究極的にそれらを集約し、客観性を掘り起こしていく作業は観客のみに許された特権である。これこそ群像劇の醍醐味といえば醍醐味―。

つまり映画のタイトルでもある『パレード』とは、劇中に登場する回転木馬みたく、作りモノの馬車に乗ってグルグル人生を旋回しつづける5人の若者たちと、その中心部分で彼らの姿をじっと俯瞰し続ける僕ら観客との、互いの共存・共犯関係を言うのではないか。

ゆえに今回の行定印「物語の生じる場所」とは、ひとつに共同生活における個々の目線。さらに各々の主観を蓄積し“客観”が生成されていく僕らの脳内でさえある。そしてもうひとつの可能性として、ラストシーンに象徴される“とある関係性”が浮上するのだが・・・いろいろと深読みできるこのラスト、言及するとネタばれになるのでやめておこう。

映画のなかで誰かが「ユニバース」ではなく、「マルチバース」と口にする。「世界はひとつではない。存在する人の数だけ世界は存在する」との考え方らしい。「私とあなたとは違うんですよ」と記者会見で言い放ったどこかの国の首相も、このマルチバースのことを言いたかったのかも。

行定監督が原作とは異なる落とし所を付与した『パレード』。ここにもきっと観た人の数だけ解釈の世界が広がることだろう。

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パレード
監督:行定勲
出演:藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、林遣都、小出恵介
(2010年/日本)ショウゲート
2月20日(土)渋谷シネクイント、新宿バルト9ほか全国ロードショー

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