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2010/06/09

クレイジー・ハート

日本公開の可能性が半ば消えかかっていた中年音楽映画が、『ハングオーバー』と同じく主要映画賞の受賞に助けられ、映画の主人公さながらの見事な復活劇で日の目を見ることとなった。

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本作で落ちぶれたカントリー・シンガーを体現したジェフ・ブリッジスはアカデミー賞やゴールデン・グローヴ賞の主演男優賞をはじめおびただしい数のトロフィーを手にした。神様が人間に、たった一度だけ最高のスポットライトを用意してくれるとすれば、それは彼にとってまさに今しかあり得ない。赤の他人にこんなこと言われても当人は困惑するだろうけど、長い俳優キャリアを歩んできたブリッジスだからこそ、その姿は映画の主人公と絶妙に重なって胸に迫ってくる。

かつては幾つかヒットも飛ばしたカントリー・ミュージシャン。いまや田舎の小さなステージをどさ回りし、アルコールでベロンベロンになりながら、昔話にでも浸るかのように演奏を披露する。かつては妻と子供もいたらしい。でも今はひとり。事務所の社長からは「新曲を書け!」と促され、その重責から逃げるようにアルコールを煽り、今日もまたベロンベロンの状態でステージに立つ。そんな彼にもとに、ひとりの女性が取材に訪れる。ふたりは互いに惹かれあっていくのだが。。。

もしも本作が「~受賞!」の冠を煽ぐことなく目の前に置かれたら、僕は正当な評価を下すことができただろうか(ひとことで地味とは決して言うまい)。それほど独特の温度と感触を持った映画である。きっと大学生のころの自分がこの作品を目にしてもサッパリ共感できなかったと思う。30代を越え、40代に差し掛かった頃から、『クレイジー・ハート』は各々の観客の心の中でムクムクと姿を現すのではないか。ジェフ・ブリッジスが全身で体現した弱さ、儚さ、周囲への不信、疎外感、孤独。若さだけではどうにもカバーできなくなった時、人はどうやって道を歩き続けられるのか。何を支えに歩き続けるべきなのだろうか。

この映画には誰一人として悪者が登場しないどころか、誰もが彼の才能を信じている。事務所の社長だって心から彼を発奮させたいと願っているし、大物ミュージシャンに伸し上がったかつての弟子(誰が演じているかはお楽しみ)も、昔のわだかまりを洗い流し、いまや自分をバネにして彼に再起を遂げてもらおうと協力を惜しまない。

つまり、可能性を信じていないのは主人公ただひとり、なのだ。その状況を彼も充分理解している。分かっているのに踏み出せない“もどかしさ”。自分の性格をよく知る善き人々が与えてくれるチャンスに巧く乗れない頑なさ。ゴールはもうすぐそこなのに、何かが邪魔してしまう。でもだからこそ、そんな心境を乗り越えて生まれてくる歌は、いぶし銀の魅力に包まれ、とても素直な優しさに満ちていた。

その歌詞はまるで反射鏡のよう。きっと観客のこれまでの人生をも投影し、感謝や贖罪、哀しみや希望といった様々な思いを去来させてくれることだろう。

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