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2010/06/15

サバイバル・オブ・ザ・デッド

『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)を皮きりにゾンビ映画というジャンルを無心になって開拓してきたジョージ・A・ロメロ監督。このカリズマも今年の2月で御歳70を迎えた。

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水木しげるが悪趣味な貸し本漫画家として長らく後ろ指さされたのと同様、ロメロのことを未だ下劣なバイオレンス・ホラー監督として不快感を露わにする人も多いだろうが、この42年間で彼が開拓してきた方法論は他のホラー作者と一味違い、それはひとえに「ゾンビを通じて社会を見つめる」という定点観測機能にある。ホラー要素を抜きにして映画を見つめると、それは驚くほど“社会派”なのだ。

そもそも『ゾンビ』("Dawn of the Dead")からして大量消費時代の象徴たるスーパーマーケットでゾンビVS人間のコミカルな攻防が繰り広げられ、最近の『ランド・オブ・ザ・デッド』では巨大な格差社会の底辺と頂点との対決が描かれ(デニス・ホッパーが頂点側の人間として味わい深く登場)、そして『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』ではなんとまあ、Youtube時代における同時多発的なゾンビ襲来を人々がどのように伝えていくか、がタイトル通りのビデオ日記のように綴られていく。まるで“ゾンビ”をアイコンに、ロメロ自身の文明観を綴るエッセイ・シリーズのようにも見える。

今回の『サバイバル・オブ・ザ・デッド』は、もうタイトルからしておかしくなっている。本来ならば「生き残るべき」は人間であって、デッド(ゾンビ)ではないはずだ。舞台は前作から一転してネットの世界など姿も見せない隔絶された島社会。そこで代々因縁の対決を繰り広げてきたふたつの勢力が「ゾンビを殺すか、生かすか」で大モメする。片方はゾンビウィルスの拡大を防ぐべく、家族でも友人でも子供でも感染者はすぐに始末する。もう片方は「彼らを二度も死なせる必要はない。教育次第では従順なゾンビになる」と言う。なるほど後者のアイディアは画期的だ。でもここに落とし穴がある。結局彼らが陥るのは、首に鎖をつけてゾンビの自由を奪うという、見せかけだけの寛大さなのだった・・・。

ちょっとだけ時代が遅かった。これを大統領選のときに発表していたら反響も大きかったろう。それにしても彼の描く世界観は時代の瞬間風速を突くとともに、普遍性をも突いている。そして観客にはだんだんとゾンビがただの生ける屍には思えなくなっていく。彼らは相変わらず手を突き出して「あー、あー」と向かってくるだけだが、その姿に投影されるのは、流行、時代性、概念、価値観において、指さされた方向へと惰性で群がっていく一般大衆である。

しかし進展もある。劇中、登場人物がゾンビの行動を見てこう叫ぶのだ。

「見た!?今のゾンビ、車を運転したぜ!そうか、彼らは学習するんだ!」

「惰性で群がる者たち」が明らかに知恵をつけ始めている。彼らはいつしか自分の足でしっかりと立ち、軽快なステップで歩を進める習性を獲得するかもしれない。そして自らの頭で考え、答えをだす。

そのときにはもう、青ざめた表情もすっかり生気を取り戻しているかもしれない。   

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