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2010/08/19

クロッシング Brooklyn's Finest

もはや神話だ。マンハッタンの美しい夜景からイーストリバーを隔てた対岸に、その街ブルックリンはあった。『クロッシング』(原題"Brooklyn's Finest")はここの犯罪多発地域に生きる3人の男たちを主軸に、彼らの一方通行の人生が俄かに交差する瞬間を迎えるまでを、むせかえるほどの濃厚な筆致で描きだしていく。

Brooklyns_finest_2 

冒頭の会話からして象徴的だ。とある男がこう口にする。

「世の中に善悪の明確な境界線など存在しない。あらゆるものは“より善”か、“より悪”かだ」

この言葉が本作を定義づける。つまりこれは世に言う“クライム・サスペンス”とは様相を異にするわけだ。他のジャンルムービーのように「典型的な悪」だとか「正真正銘のヒーロー」といった単純化はあり得ない。この映画ではすべての登場人物たちがそれら未定義の領域で悩みに暮れ、家族、友情、後悔、裏切り、孤独に押しつぶされそうになりながらも一つの決断へとすがりついていく。そこに神はいるようで存在しない。突き進むか否かを決めるのは、人間の内に宿した強靭にして脆弱な意志の力のみ。あるいはこの街に息づく彼らこそ、ギリシア神話のごとく悩める神々なのか。

リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルが主軸を成し、そこに名脇役たちが華を添える。観客はこの物語に『クラッシュ』や『バベル』の要素を見出すかもしれない。しかしここには“天使の羽根”のような映画的救済は見当たらない。そうした3つの闇を織りなす役者たちのリアルなまでに焦燥に駆られた演技と、それを圧倒的な統率力で束ねていくアントワン・フークアの執念深い演出力には本当に言葉を失ってしまう。

これらのキャラクターを分析するには、マイケル・サランデル著の"JUSTICE"を深く読み込むしかなさそうだ。ちょうどこの映画を試写した際にこの本を持ち歩いていた僕は、映画と本のテーマが激しく反響しあうのを肌身に感じることができた。この映画に派手さは微塵もないが、流行には惑わされない揺るぎなき映画ファンには必ず満足してもらえると思う。ちょうど昨年、『3時10分、決断のとき』に多くの観客が詰めかけたように。

そして数多くの観客がこの映画に接続することによって、この邦題の意図する真の意味での“クロッシング”が生まれていくのだと確信する。

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