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2010/09/18

食べて、祈って、恋をして

『SATC』に触れた男性観客が「説得力がない」といくら酷評を展開したところで、その言説が放たれる立ち位置そのものが説得力に欠けているように、『食べて、祈って、恋をして』もきっとその類の女性賛歌なのだろう、と思いきや、世の中には意外と旅好きの男性、自分探しの男性も数多いもので、これは男女問わず現状に行き詰った誰もが気持ちよく飛べる映画なのかもしれない。

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物語はニューヨークに住む物書きの女性が自分の結婚生活に疑問を抱き、そこから他の男性のもとへ飛び出してみるもなんだかうまく行かず、これはもうやりたいことをとことん突き詰めるしかない、と1年間をかけてイタリア→インド→バリを巡る。この体験をもとに書かれたノベライズ本が原作になっているので、ハリウッドを飛び出して撮影された現地の風景をバックに、その渦中で感じたひとつひとつの“気づき”が2時間20分の旅路の中でリアルな体温を持って響いてくる。

目一杯の美味しいものやロケーション、それにゴージャスな選曲の数々が“動くガイドブック”として目を楽しませる、だけではない。イタリアの街路に佇む遺跡の数々が、今や朽ち果て、ホームレスの住処と化しているような光景にも目を向け、歴史や人生の儚さ、それでも続いていく生、を感じさせたりもする。

また、「祈って」パート=インドで主人公を待ちうけていたものはヒンズー教の神様というよりも、『扉をたたく人』のリチャード・ジェンキンスなのだった。普段は温厚なおじさん役が多い彼が、今回は意地の悪い修験者として登場し、ジュリア・ロバーツの人格をことごとく否定しにかかる。なんなんだ、この男は。他の役者ならばあまりにトリッキーに映る役だが、とにかくジェンキンスなのだから許される。

旅路がバリへと進むと、おじいちゃん占い師の手厳しい洗礼が待っている。以前の旅行で人生を揺さぶる言葉をかけてくれたはずの彼(おじいちゃん)が、今度は主人公のことを知らないというのだ。この瞬間のジュリア・ロバーツの「えっ?」という顔がいい。自分を特別だと思い込んでいた人間の、出鼻をくじかれた表情だ。なるほど、人間は否定されて、また自分を取り戻していく。この映画の主人公もこの後、かえって解き放たれた表情に変わっていく。まあ、その後は「恋をして」パート(with ハビエル・バルデム)が本格化し、普遍的な物語が個人の物語へと集約されていくので、観客としての共振値は減少するのだが。

つまりこの映画は、自分を解放して(イタリア)→否定され(インド)→誰でもなくなって、そして自分を見つけ出す(バリ)という旅路を辿る。まるでひとつの精神的な修行だ。本作の観賞後に果たしてほんとうに「イタリアン・ピッツァが食べたくなった!」という絵に描いたようなオサレさんがいるのかどうか。人の嗜好は複雑だが、僕はむしろ全ての約束事をキャンセルして、自分の生き方について考えてみたくなった。といっても、ここまでくると映画とは全然関係ない領域の話だが。

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