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2010/10/14

【レビュー】エル・トポ 製作40周年デジタルリマスター版

真っ青な空。一面に広がる砂漠。

そこに全身黒づくめの男が、馬にまたがってゆっくりと近づいてくる。手にはコウモリ傘。後ろには素っ裸の男の子がちょこんと座っている。男は目印のあたりで馬をとめ、少年に向かってこう言う。

「お前はもう7歳になった。さあ、“オモチャ”と“母さんの写真”を砂に埋めろ」

これが1970年の奇跡とまで言われた『エル・トポ』のファースト・インパクトである。セリフに意味を求めても答えは出ない。要はこの感覚に共感できるか、否かだ。ジョン・レノンだって、アンディ・ウォーホール、ミック・ジャガー、デニス・ホッパーだって、この映画に惚れ込んだ人なら誰もがこのオープニングに等しく心を震わせた。そして今、あなたも。

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激動の60年代を越え、70年代に到達した表現者の葛藤がここにある。監督を務めたのはアレハンドロ・ホドロフスキー。チリ出身のロシア系ユダヤ人。世界を放浪したあげくにメキシコに辿り着き、映画製作の道に迷い込んだのだとか。彼が60年代に『エル・トポ』を発していたなら、彼は革命家になったかもしれない。だが、彼は幸か不幸か70年代にまたがった。それはまた別次元の、新しい時代だった。

これはホドロフスキーの描く、詩的なアドベンチャーであり、ビザールなウェスタンであり、文明が破壊されたあとの未来世界、あるいは宗教的絵画のようでもある。

次々と予測を裏切り飛躍を遂げていく本作を見ながら、映画たるものこんなにも自由でいいのか、と驚愕した。と同時に、自由であることの恐ろしさに震撼した。『エル・トポ』には確かに奇想天外、荒唐無稽な創造性が極限まで詰まっている。しかしそれらはどれもが血のにじむほどの葛藤によって勝ち取られた戦利品。マーケティング理論に基づく大量消費社会とは見事にかけ離れた一点もののシロモノである。この先フォロワーが器用にマネしようったってできるものではないし、そもそも出資者がそうさせるはずがない。

旅する男=エル・トポはやがて神をも越えようとする。砂漠をグルグルと徘徊し、敵を見つけては勝負を挑み、汚い手を使ってでも必ず勝つ。古より繰り返してきた人類の歴史がこの砂漠でエンドレスに繰り広げられている。バックには何故か仏教的な読経の声。そしてこの無意味な闘いの果てに、男は悟りの境地に辿りつく。その瞬間、壁がメラメラと崩壊する。しかしその先には更なる壁がそびえたつ。きっと、その先、そのまた先にも。。。この孤独な闘いには終わりなどなど存在しない。するわけがない。

だからこそ、僕らは70年代だって00年代だって、変わらず怯まず自由を叫び、苦闘に身をさらす。壁を壊す。そのまた先を目指す。立ち止まる。泣き崩れる。裏切られる。殺す。殺される。そして僕らは、ジョン・レノンが、ウォーホールが、ミック・ジャガーがそうしたように、また等しく『エル・トポ』のラストシーンに立ち会うことになる。

それは奇しくも本作の冒頭へと連なる序章だった。まるで輪廻転生。これほど遠くまで旅してきたのに、僕らは箱庭から一歩も外に出ていなかったかのよう。これは絶望なのか?希望なのか?

そして哀しいかな、これまで熱に浮かされたように想いの丈を綴ってきた筆者にも、この映画が傑作なのか、駄作なのか、一向に答えがでない。

しかしこれだけは言える。そこには、ただ、圧倒的なパワーと創造性が渦巻いていた。いかなる尺度でも収まりきらない。その無規格、無秩序の幸福こそが『エル・トポ』そのものなのだ。

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