2010年11月18日 (木)

【レビュー】ハリー・ポッターと死の秘宝Part1

2001年から続いてきた映画版もいよいよ最終章へ突入。11月19日公開の「Part1」と、2011年7月15日公開の「Part2」で正真正銘のフィナーレとなる。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』よりシリーズを統率してきたデイヴィッド・イェーツ監督曰く、「Part1はロードムービーに、Part2はオペラと呼ぶにふさわしい壮大なものになる」とのこと。さて、今回の“ロードムービー”とやら、完成度のほどは?

その冒頭、今回初登場となる英国俳優ビル・ナイの超アップ映像が風雲急を告げる。ビル・ナイとイエーツといえば『ある日、ダウニング街で』(05)の主演&監督コンビとして高評価を受けた仲。ついにこの俳優が顔を出してきたことからも、シリーズ最終レーンのゴングの高鳴りが聞こえてくる。

彼が演じるのは新たな魔法大臣。ついに公に悪の帝王ヴォルデモートの復活を認め、もう世界は安全ではなくなった、と事実上の非常事態宣言を発令する役割だ。

その切羽詰まった渦中でくだされる魔法使いそれぞれの決断、別れ、そして旅立ち。

ハリー、ロン、ハーマイオニーらは大人たちのもとを離れ、7つの「分霊箱」を探す旅に出る。それらはヴォルデモートの魂を分離し、彼の力を最強たらしめている秘密でもある。ハリーたちがヴォルデモートを倒す唯一の方法は、これら分霊箱をひとつひとつ破壊し、悪の帝王の力を少しずつ削ぎ落していくことだった―。

Harry_2

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2010年11月15日 (月)

【レビュー】ラスト・ソルジャー

「もう56歳だし、この先、身体の自由も効かなくなっていくだろう。若い頃できたこともどんどんできなくなっていく。今後はもっと末永く取り組めるアクションへとスタイルを変えていきたい」

『ベストキッド』のインタビューでこのように語っていたジャッキー・チェン。

これは一見、「限界宣言」にも受け取れるが、『ベスト・キッド』と『ラスト・ソルジャー』を立てつづけに目の当たりにすると決してそうではないどころか、老いてもなお舞い続けるジャッキーが今や人間性の深みをも追い求める域に達しているのを感じることができる

Littlebigsoldier
紀元前227年、中国がまだ統一とは程遠い頃。衛と梁はそれぞれ大量の兵士を投入して刃を交え、多くの命が失われた。戦場は見渡す限り死者だらけ。生存者はひとりもいないように思われた。が、そこにニセモノの弓矢を胸に突き立てたインチキな梁の兵士がひとり目を覚まし、ピンピンした様子で戦場を後にしようとする。そんな彼が目にしたのは手負いの衛の敵将。まだ息はある。こいつを捕虜にして梁に連れかえれば必ずや報奨が貰えるはず。兵士は敵将をグルグル巻きに縛って旅路を急ぐが、そんな彼らの前に謎の伏兵軍団が現れ、容赦なく命を狙う。やがてふたりは裏切り、裏切られ、時には協力しながら旅路を歩むことに―。

本作は中国メインで製作され、使用言語も北京語だ。なのでこれまでのジャッキーの身のこなし&セリフ回しのコンビネーションに漬かってきた人にとってはかなり異色のむずがゆさを感じるかも。そして本作が中国におけるジャッキー映画NO.1ヒットを記録したのも、当局による映画の完成度以上の計らいがあったことは想像に難くない。実際のところ『ラスト・ソルジャー』は設定は壮大に見えて、スケールは小さい。

などと、いちおう断り書きを挟んだうえで冒頭でも触れた「ジャッキーの老い」について考えてみると、やはり若さゆえの無茶を封じることで、その分、些細なアクションへの細やかな配慮がなされている。さてはマルセル・マルソーのパントマイムやフレッド・アステアのダンスのごとく、ジャッキーもまたその曲芸的な身のこなしを“表現文法”にまで高めようとしているのだろうか。

その意味でも、これまで破格のスタントシーンで有終の美を飾ることが多かったジャッキーが、今回ラストに決め込んだ渾身のポーズに驚かされた。これこそ老いたるジャッキーが進みたい領域なのだろう。そこには“意志”があり、“主張”があり、“理念”があり、なによりもジャッキー特有のヒューマニズムが詰まっていた。

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2010年11月 7日 (日)

【レビュー】ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ

はじまりはビートルズ・ナンバーの出だしのコードだった。

しかし、そこに響くのはほんの1コードのみで、それ以上でも、それ以下でもない。つまりこれは名曲が名曲になる以前の物語。歴史はまだ何も完成されておらず、ジョン・レノンはまだ皆の知るジョン・レノンではない。それどころか、この先どんなコード進行で人生を歩んでいけばよいのか皆目見当もついてない様子の、まさに文字通りの"nowhere boy"がここにいる

Nowhere_boy
伯父さん、叔母さんの手で育てられたジョンは、ある日、近所に理由ありの女性が住んでいることを知る。

ジョンにはすでに漠然とした確信があった。意を決してノックした扉から彼を招き入れた彼女。それはジョンの実の母親だった。十数年ぶりに突如として母子関係を復活させたふたりは、これまで失ってきた時間を取り戻すかのように、レコードを高鳴らせ、それに合わせダンスのステップを踏む。だがその交流は、やがて長年ジョンを息子のように育んできた叔母の知るところとなる。小言ばかりで口やかましくカチカチ頭の叔母だが、彼女もまた誰よりもジョンを愛する“育ての母親”だった。こんな二人の狭間で影響を受けながら、若きジョンは仲間と出逢い、いつしか音楽を奏ではじめる。。。

イギリスではビートルズ伝説の“プリークエル”として瞬く間にスタンダードのひとつに数えられるまでになった本作。今なお多くの人々に純粋なラブ&ピースを届けつづけるジョン・レノンの人生の源流にはこのような生い立ちと家庭環境があったのかと、エピソードのあちこちに納得と発見が詰まっている。

そして本作の独自性は、これまで男目線で語られることの多かったビートルズの起源に、(オノヨーコ以外の)新たな女性の視点を付与したこと。それも“母性”と“慕情”によって伝説を綴るという方法論を取ったことにある。

監督を務めたのはこれが長編一作目となるサム・テイラー=ウッド。これまで写真を中心に様々な芸術活動を展開してきた彼女が題材として“ジョン・レノン”を選択したのも興味深い。なぜなら彼女は自身のキャリアの最初期に、かつてアニー・リーボヴィッツがジョン・レノンの死の数時間前に撮影したオノ・ヨーコとの有名な愛のツーショット写真の“パスティーシュ”を発表しているからだ。きっとこの頃からジョン・レノンに引き込まれる何かを感じていたのだろう。

そして愛の文脈でいえば、彼女もまた、この映画をきっかけとして主演のアーロン・ジョンソンと出逢い、そして20以上の歳の差をものともしないカップルと化してしまった。

本作を観ていると時間が経つにつれアーロン演じるジョン・レノンの表情がどんどん精悍さを帯びてくるのが手にとるようにわかる。それは物語の集約における重力的な作用である以上に、撮り手と被写体とのレンズを隔てた化学反応によるものなのだと、無粋ながら勝手にそう受けとめている。そのほうがロマンティックだから。

二人のあいだには7月に元気な女の赤ちゃんが生まれたそうだ。これもまたジョンが間接的にもたらしたラブ&ピースということか。

そう考えると、どうやら相当なまでに縁起のいい本作だが、エンドクレジットで故人への謝意が綴られているのも忘れ難い。奉られた名前は、アンソニー・ミンゲラ。『イングリッシュ・ペイシェント』などで名高い彼はテイラー=ウッドの才能が芸術面のみならず映画にも通用することをいち早く見込み、彼女の初短編映画においてプロデュースを買って出た経歴を持つ。

すでに亡くなってから数年経つが、ジョン・レノン然り、素晴らしい偉業や人物の思い出は永遠に記憶の中に留まりつづける。それに伴う感謝の気持ちだって生涯にわたって消えることはない。『ノーウェアボーイ』のエンディングからそんなことに気づかされた。

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2010年11月 3日 (水)

【レビュー】スプリング・フィーバー

春の微熱―。

寝てるのか覚めているのかもよくわからない。私の意識はただ宙を彷徨い、気づけばぼんやりと夜明けの南京を眺めやっている。すべてが青に包まれるこの瞬間。ふと春の嵐が吹き荒れる。水面は幾重にも波動を膨らませ、森の木々は音を立てて騒ぎ立て、そして私の胸の内も少し、ざわめく―。

『スプリング・フィーバー』の映像に触れながら、そんな心の声が聞こえたような気がした。

Spring

『天安門、恋人たち』でタイトル通りの中国のタブーを扱い、当局より5年間の活動中止処分を受けたロウ・イエ監督。それは映画監督にとって死刑宣告にも等しいものだったろう。

だがロウ・イエはその処分をものともせず、当局の許可を一切受けぬままに『スプリング・フィーバー』を撮り上げてしまった。いわゆるゲリラ撮影というやつだ。監督にとっても俳優にとっても、ある程度の覚悟を必要とする仕事だ。そんな表現者としての大勝負の心情を、ロウ・イエは闘争心や憎しみに例えるでもなく、ただひたすら“春の微熱”へと昇華させている。少なくとも僕にはそう感じられた。

そこには大規模な経済発展を遂げる表向きの中国とはまた別の顔があった。この価値観の多様ぶり。そこで写し取ったものを芸術性へと発露させる卓越した手腕。転んでもただでは起きないどころか、それを作品として持ち上げていく得体の知れぬパワーに驚嘆させられる。

**

人目を避けて激しく求めあう男と男がいる。夜な夜な繁華街に繰り出す彼らを、背後からひとりの探偵が追う。彼は男の妻に頼まれ、彼らの情事を逐一報告する役目を担っていた。探偵にも女の恋人がいた。が、ふとしたきっかけが運命を変える。差しのべられた手。彼もまた、気づけば境界を高く越え、深い微熱に呑みこまれようとしていた。。。

中国で同性愛がどれほど受け入れられているのか分からない。が、欧米ほどオープンでないことはよくわかる。身を切るほど哀しく織りなされる愛の風景は、「夜の闇」と「探偵の出現」によってフィルム・ノワールのごとく妖艶かつスリリングに展開。やがて闇(ノワール)は朝の光に中和され、観客は夜明け前の“青”が支配する極めて幻想的な情景へといざなわれていく。

果たして、この映画の中のたったひとりでも、望むべき愛を貫けた者はいただろうか。誰かにその愛を祝福してもらえただろうか。その運命に後悔はなかっただろうか。

そこに答えは存在しない。

男はただ微熱だけを携えながら、ひとり南京の街を歩き、雑踏へと飲みこまれていく。

そんな姿がこの中国で孤独にカメラを回し続けるロウ・イエそのもののように思えた。映画製作という究極の愛撫の手段を禁じられた男が、なお愛を叫んでいる。またその愛は、当局からすればイビツで出来そこないの愛かもしれないが、この狂おしい2時間に身をさらすと、まるで祖国への熱を帯びた恋文のように感じられてやまない。

この世のすべては春風のいたずらのごとく移り変わる。中国社会も然り。その変移はこの国が『スプリング・フィーバー』とロウ・イエという才能を徐々に体内へと受け入れていく過程とも言えるのかもしれない。

ロウ・イエを定点観測していれば、中国文化の体内温度が手に取るようにわかる。彼がこれからもジャ・ジャンクーと並ぶ“中国社会の映し鏡”として世界の注目を集めていくことは間違いない。

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2010年10月 2日 (土)

リミット

人間の想像力は無限に広がりゆくものであると同時に、驚くほど手狭な空間で完結してしまうものでもある。こんなコペルニクス的発想の逆をついたミニマル・ムービーが『リミット』だ。原題はもっと簡潔に"Buried"、つまり、埋められちゃった・・・。

『SAW』に代表されるワンシチュエーションの衝撃をさらに突き詰め、ここに立ち現れる舞台はなんと地中に埋められた棺の中。寝返り打つのもままならないこの映画史上最悪、最強の極限状態で、主人公の生き残りをかけたリアルタイムの死闘が幕を開ける!

Buried_2
悪夢だった。目覚めたら地中の中。もちろんそこには照明なんてあるわけがなく、ファーストトカットでは暗闇に男の吐息だけが響き渡っている。その息遣いの変化だけで、男がいま目覚め、状況が理解できずに意識が混乱している様子が伝わってくる。暗闇でもがき、何度も身体をぶつけ、手探りで自分を、世界を把握しようとする。と、その指先にポケットのライターが触れる。カチッ、カチッ。鈍い金属音と共に噴き出す炎。いま、人類ははじめてオレンジ色の灯りを手に入れた。

男はなぜ、ここにいるのか?誰が、何のために彼を埋めたのか?ふと足元で携帯が鳴る。身体をへの字に曲げ、それをようやく手にする彼。二つ目の利器が周囲に薄青い光を放ち、それが本作2つ目の照明となって世界を照らし出す。

ストーリーに触れるのはもうやめておこう。というより、ここまで読まれたかたはすでに気づかれたのではないか。本作が小柄ながら極めて緻密な構造で織りなされていることを。話の進展に合わせて照明の彩りが移行する趣向も心くすぐるし、身動きできない主人公とは裏腹に、カメラは縦横無尽に上から下から、そして棺の壁を超越して驚くほど引いた位置から男の姿を見つめやったりもする。もちろん撮影は順撮りなどではないから、入念な撮影プラン、演技のボルテージ調整、膨大なカット数を呼吸ごとにプラモデルのごとく組み立てていく作業が求められるわけだ。

で、面白いことに、こんな閉鎖的な暗い映画なのに、僕の気分は鬱屈するどころか、すごく健康的になっていった。というのも、主人公がこの状況を打破しようと手を尽くす様が、そのまま人間の生きるべき姿にも重なって見えてきたからだ。

人はこの棺のように断絶した個体として生まれ、この状況から抜け出そうと、他人に向けて必死に手を伸ばし、誰かと繋がっていたいと切に願う。あるいは、断絶や壁や限界に手を触れてこそ、その先の世界があることを知覚できる。それを乗り越えたいとする欲求が生まれる。

純然たるエンタテインメントである本作はそんなことなど一言も主張しないが、それゆえに僕はこの映画に、小手先のアイディアにとどまらない、何か人間の本能に直接うったえかけてくるものを感じた。

ダニー・ボイルの"127 Hours"といい、“極限状況”はこれからの時代を照らすひとつのテーマとなりそうだ。

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ワンダーウーマン始動

ワーナーとジョエル・シルバーが10年近く温め続けてきたDCコミックのスーパーヒロイン「ワンダーウーマン」。70年代のテレビ版でもお馴染みのこのキャラが、結局スクリーンではなくテレビシリーズとして蘇ることになりそうだ。

Wonderwoman
・・・やはり、いつ、いかなる時代においても、このコスチュームは強烈だ。見るからに愛国主義的なこのキャラを、現代の視聴者たちは受け入れてくれるのかどうか。。。そんな不安を埋めるべく、今回の指揮を取ることになりそうなのが「アリーmyラブ」のクリエイター&脚本家としても知られるデヴィッド・E・ケリー。ヒットメイカーの名において現代版としてのつじつまを合わせてくれることが期待される。

ちなみに、「ワンダーウーマン」の映画化が進行していた2005年頃、一時期ジョス・ウェドンが脚本&監督としてこの企画にかかわっていたことがあるが、スタジオ側との方向性の違いにより降板を余儀なくされた。彼にとってこの経緯が挫折だったのか幸運だったのか分からないが、事実としていま彼は、アイアンマンやハルク、キャプテン・アメリカらを束ねて挑むマーヴェル・コミック映画"The Avengers"の監督として大忙しの毎日を送っている。ワーナー×DCで失ったものを、パラマウント×マーヴェルで取り戻すような格好だ。

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