2011年8月 7日 (日)

【レビュー】 モールス "Let Me In"

*本編をご覧になった方のみ、お入りください。

オリジナルの壁はそう易々と越えられない。仮に作り手が思い上がってオリジナルの上手に立とうとすると、その基本形がバラバラになって、成立するはずのものも成立しなくなる。シェイクスピア劇の翻案ならまだしも、つくづくリメイクに野心は禁物なのだ。所詮、人類が創造主に挑もうとすること自体、おこがましい。

それがスウェーデン映画"Let the Right One In"(邦題『ぼくのエリ/200歳の少女』)のリメイクとあってはなおさらのこと。すでにその基本線が美しい流線型を描いているので、あえてひねりを加える必要もない。リメイク版監督マット・リーヴスに出来ることは、ただただ謙虚な気持ちに浸りつつ、あの子供たちの旅立ちを笑顔で祝福してあげることだけだ。

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そこのところ、さすがにリーヴスは分かっている。自己主張のかたまりのような人材渦巻くハリウッドでこれほど謙虚で良いんだろうか、と心配になるほど、マット・リーヴスは身の丈をよくわきまえている。それは彼自身がオリジナル映画へと注ぐ限りない愛情と、畏怖心の表われだろう。オリジナルは越えられない。それなら自分にできることを精一杯やろう。英語圏にこの物語の素晴らしいエッセンスを伝えよう。

そこで踏み出す第一歩として、彼はオリジナルとは趣向を変え、こんな場面から映画を起動させる。

おぼろげな光が見える。やがてそれは赤い回転灯が列を成して車道を走る姿だとわかる。緊急車両がどこかへ向かっている。何か事件が起こったらしい―。

ファーストカットの時点でちょうどストーリーの半分が経過している。まるで昔の「観客入れ替えなし」の映画館で、途中入場して映画を見始めたときのような、ループ感覚。こうやって物語は唐突にはじまり、そこでいったん間を置いてから、あらためてフラッシュバックのように前半の記憶が呼び覚まされていく。

マット・リーヴスがどれほど確信犯的にやっているのか分からないが、実はこの語り口こそ、オリジナル版に込められた息吹を、リメイクする意義へと繋げる一つの重要なポイントといえる。

というのも、ヴァンパイア版『小さな恋のメロディ』とも言われるオリジナル版で、大人たちを魅了するのもまた、本作を彩るループ=輪廻の香りだったからだ。

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そもそも、この映画は劇中にタイムマシンのような劇的構造を宿している。あの“少女の父親”と思しき人物がいったい誰だったのか。詳述はされなくとも彼の目線でハッキリとわかる。原作「モールス」では少年とあの“父親”の動線が対比して描かれる部分が多数あり、彼らに何かしらの共通点があることを示唆している。同一人物とは言わない。が、明らかに似た立場ではある。片や「あり得たかもしれない過去」であり、片や「あり得るかもしれない未来」。老人はやがて去りゆく運命にある。そして新たな少年があの娘の守護者となる。歴史は繰り返される。ループ。そして役割の輪廻。

リメイク版であの父親を演じるのは『扉をたたく人』でアカデミー賞主演男優賞候補になったリチャード・ジェンキンスだ。いまいちばん油の乗っている名優をあの役にキャスティングすること自体、そこに重きを置き、観客の視線を自ずと導こうとしている証拠である。

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思い返せば、スウェーデン版オリジナルのクライマックス、少年と少女は二人で列車に乗り、次なる新たな住処を目指して旅に繰り出した。その到着地が北欧内でなきゃならない決まりは何もない。ヨーロッパでも、そしてこのリメイク版で描かれたアメリカでも一向に構わない。と考えたとき、今回の『モールス』は、リメイクというよりむしろ彼らが辿りついた矢先で巻き起こる“続編”だったのではないかとする見立ても成り立つ。同様にこれをオリジナルへ連なる“プリークエル”とする見方だって可能だ。

本作のエンディングでも少年と少女はまた二人して旅に出る。その先は南米?アフリカ?アジア?はたまた日本であったって全然構わないのだろう。どこだってこの物語は大いに成立する。そして行きつく先がどこであっても、いつの日か少年は、またバトンを、あの愛する少女を誰かに託そうとするだろう。この物語を貫くループはなおも延々と続いていく。かつて途中入場して観た映画のように、幾たびも冒頭の風景へと舞い戻り、物語を奏でていく。

マット・リーヴスは謙虚過ぎる映像作家かもしれない。けれど彼はここに「リメイクする意味」を見出し、それを理解する人々に対してのみ、壁ごしにひそやかな合図を送り続けている。

-・・-・・--・--・--・---・-

あのモールス信号のように。

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『ぼくのエリ 200歳の少女』レビュー

原作「MORSE」レビュー


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2010年8月29日 (日)

トイレット

そうそう、ウィル・スミスもマドンナも、みんな日本製のトイレが大好きなのだ。アメリカで映画の勉強を積んできた荻上直子監督にとって、この文化的な差異は、「日米」「祖母と孫」という儚くも巨大な壁を描くにあたっての絶妙なる象徴として映ったのだろう。

それは日本からやってきた「バーチャン」とアメリカ人の孫たちの奇妙な共同生活のおはなし。全編英語。そして時折もたいまさこが、言葉を越えた超常的な存在感でその場を席巻し、瞬く間に本作の国籍を消滅させていく。

実は、筆者は『かもめ食堂』が苦手だ。北欧での出逢いと併走を描いたあの作品には人生の大切な要素“別れ”が存在せず、映画が終わってもあの物語が変わらずずーっっと続いていくことを考えると、それはそれで登場人物たちにとっては幸福なのかもしれないが、自分のバーチャルな体験として捉えるとちょっと恐ろしくなってしまった。。。というのは観客としての勝手な言い分だろうか。

だが『めがね』は違った。そこが日本かどうかもよくわからないリンボな島での出逢いと併走のみならず、別れと再会までをも輪廻転生のごとくグルリと描き、確実に物語の強度が増した。というか世界観が広がった。

そして本作『トイレット』はどうかというと、オープニングのシーンからして既にもう“別れ”なのである。荻上作品は同じ色調に見えて、少しずつ変化している。いや、むしろ、荻上監督にとっては“別れ”こそ重要なテーマのひとつであり、『かもめ食堂』での“別れの不在”は、反転するとむしろ、“言い尽くせないほどの別れ”だったのではないかとさえ思えてしまう。

荻上作品は確実に変化を遂げている。テーマ、題材、設定のどれをとっても、『トイレット』には彼女の映画作家としての覚悟を感じる。この映画が最高とまでは言わないが、何かが起こる前の助走のような、未知数のざわめきがある。

人は誰しも、トイレットの前に平等である。どんなに高名な偉人でも、傲慢な政治家でも、無防備な姿で腰掛けるしか術のない平等装置、トイレット。だがその形態は多種多様。イスラム圏ではとくに。。。

筆者は明日からイギリス→トルコに乗り込む予定です。

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2010年8月22日 (日)

特攻野郎AチームTHE MOVIE

たとえば、街にずっと気になっていたレストランがあって、今日はじめて窓ごしから店員に「入れますか?」と尋ねてみると、「今日は貸し切りです」とあっさり断られてしまう。ああ、残念。縁がなかったんだね―。

TVシリーズ「特攻野郎Aチーム」を一度も観たことのない僕が、『THE MOVIE』に感じたのもちょうど同じような気持だった。どうも僕はこの店の“よい客”ではなかったようだ。いや、作品がそれほどボロボロだったわけではないし、ジョー・カーナハン監督だっていつもながらの手堅い仕事をこなしていたのだが。

ひとつだけ言えるのは、僕にはあの、戦車がパラシュートで降下しながらドッカンドッカンと火を噴く絵ヅラに象徴されるものが、「貸し切りです」の言葉に聞こえた。CG多様でこれをやられたらもう「縁がなかった」と黙るしかないよね、という感覚。つまり、80年代テレビ史から迫り出してきたハチャメチャなAチームの面々が、むしろ2010年という時代との整合性を重視したい僕にとって“別世界の住人”あるいは“貸し切り中の店内”のようにすら見えたというわけだ。

クリストファー・ノーラン版の『バットマン』、J.J..エイブラムス版『スター・トレック』、ほぼ全編北京で撮られた『ベスト・キッド』、またはスタローンの『ロッキー・ザ・ファイナル』『ランボー/最後の戦場』などが現代の潮流に軸足を下ろして大胆なアップデートを図る中、『Aチーム THE MOVIE』はハチャメチャなノリの再興こそを第一に掲げて突き進んだ、その意味では全くもって稀有なる存在といえるのかもしれない。

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2010年8月16日 (月)

瞳の奥の秘密

1974年、ブエノスアイレス。全ての発端は血なまぐさい事件だった。美しい人妻が暴行され惨殺される。犯人逮捕に向けて捜査を始めた刑事裁判所の男女3人チームは、その途上でとある写真に隠された瞳に注目する。そこには何も語らずとも、微かな輝きの中に猛烈なる感情が渦巻いていた。「こいつが犯人だ」 彼らは確信する。取り調べが始まり、すべてが解決するかに思えた。しかし当時の特殊な政権下において、追い詰める側の彼らが、今度は生命の危険にさらされる事態に直面する。

あれから25年、事件の針は再び動き出そうとしていた―。

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この映画の中で忘れられないシーンがある。アルゼンチンといえばサッカー。本作にもそのスタジアムが登場し、大盛り上がりの観客席でチラリと被疑者の姿が目に飛び込んでくる。瞬時にして大観衆を押しのけてのチェイスが始まる。男はスタジアムから屋内へ逃げ入り、カメラもそれに必死に追いすがる。幾つかの乱闘を経て、男は上層階の窓から地上へと落下。それを追ってカメラも窓からフワリと舞う。そして着地。。。手持ちカメラで息つく暇もないほど臨場感たっぷりに活写されたこの長い長いシークエンス。騒ぎの後に心を落ち着けながらハッと気がついた。ああ!これ、全部ワンカットで撮ってたんだ!資料によるとこのあまりに骨太なシーンは撮影に9カ月をかけて準備したものだという。

『瞳の奥の秘密』は幾つかの異なるジャンルが独自の製法でブレンドされ、観客の瞳の奥で像を結ぶ。上記の追跡シーンなどは70年代のアメリカン・ニューシネマを彷彿とさせるザラザラした触感を残す。そこに捜査チームの男女の瞳の奥で交わし合うストイックな恋愛劇がドラマを盛りたて、また、殺された妻を想う夫の秘めたる感情が、数十年時が経過しようとも一向に変わらぬ哀しみの強さを物語る。

加えて、本編中ではほんの一瞬しか語られないが、アルゼンチン現代史も本作のベースを形作る重要な布石となっている。1974年といえば病死した大統領の後継としてその妻イザベル・ペロンが政権を取った年。本作がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した際、ロイター通信では「イザベル・ペロン政権下は極右組織AAA(トリプルA)が暗躍した時代でもあり、反政府的と見られた数百人の人たちが行方不明になるなどキナ臭い事件が多発した」と解説が施されていた。本作で主人公らが置かれる立場は、戦前日本の特高警察が圧力をかけてくる状況と似ているかもしれない。

マホガニー調の色彩に黄金色の光明が差し込む中で、ひとりひとりの登場人物が宿した瞳の奥の輝き。物言わぬその佇まいが、溜息が出るほど濃厚で奥深い人間模様を刻み込む。殺人事件はきっかけでしかない。この映画は様々な要素がせめぎ合う現代史の途上で、彼らが置き去りにしてきた想いを今ようやく口にできるまでを描いた、長い長い道のりでもあるのだ。

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ヤギと男と男と壁と

歴史は周期で巡ってくる。そして人類はその節目節目にヤギを生贄に捧げてきた。戦争→反省→価値観の多様化→その揺り戻し。。。多分この繰り返しは何百世代続いてもずっと辞められないのだろう。本作はそういった歴史の過渡期を生き抜いた軍隊男たちの、嘘のような、本当の物語。

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時はベトナム戦争直後。人々があまりに多くの死体と血のしぶきに身をさらし、もうほとほと嫌になっちゃった頃合いに、あるニューエイジかぶれの男が軍隊の改革を訴える。最初は祈りやと瞑想といったスピリチュアルな方法論でラブ&ピースを標榜していた彼らだったが、次第に体内のフォースを操れば「カベを自在にすり抜ける」「眼力だけでヤギを殺す」といったスペシャルQの技が実行可能だとして、その実態が「超能力部隊」へと変貌を遂げていく。またその能力部隊をダークサイドに導く隊員もいたりして。。。

それから数十年後、イラク戦争を取材中の記者はとある不審な男に遭遇する。かつて超能力部隊の逸話を聞かされたことのある記者はピンとくる。これは奴だ。あの、とんでもない部隊の生き残りだと。どうやら男は何かの絶対的な感覚にしたがってこの砂漠地帯までやってきたようだった。記者はそれに随行して、謎の超能力部隊について明らかにしようと試みるのだが。。。

冒頭からして衝撃的だ。『アバター』の無慈悲な筋肉バカ将軍を演じたスティーヴン・ラングのドアップで幕を開け、至って真面目な顔をした彼がいきなり壁に向かって全力疾走…そして・・・!こんな感じで名優たちのちょっとイッちゃった表情と動きが鮨詰めにされたコメディ、といったところか。でもそれ以上に何かスクリーンを越境して胸に飛び込んでくるモノがあっただろうか、と振り返ってみる。

…ごめんなさい。よくわからない。タイトルも、題材も、キャストも全てがガッチリと固められ、魅力的。だが、それらがすべてスクラムを組んでぶつかっていったとき、その帰結部分で肝心のボールが一向に見当たらない。観客として必死に探してはみたのだが、そのままボールが見つからないまま、ゲームセット

物語について語るときによく「着地点」と人は言う。だがこの映画は文字通り、飛んでっちゃうのだ(それが許されるのは『赤い風船』と『天空の城ラピュタ』くらいだろう)。砂塵を撒き散らして上昇するヘリを見上げながら、「おいおい~!」って気持ちに陥った。そして恐らくユアン・マクレガーも、あの時、似たような気持ちだったと思うのだ。

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2010年8月13日 (金)

ベスト・キッド

驚いたのはその上映時間だ。なんと140分。果たして、いじめられっ子のシンプルな大逆転ストーリーにそんなにも長時間が必要だろうか。。。いや、必要だったのである。これは『ベストキッド』(89年)の骨格を残しつつも、『北京バイオリン』と天下一武道会のエッセンスをプラスして、なおかつその最上段にジャッキー先生の枯れた魅力をも鎮座させた中身の濃いエンタテインメント。また、これらを通して観客がどっぷりと北京の街をバーチャルトリップできるのも嬉しい限りだ。

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カンフーとはつまりダンスである。コレオグラフィー。序盤は一方的な攻撃(つまり、いじめ)が続き、アクションが不協和音を奏でる。が、鉄拳制裁に対しジャッキーがいざ応戦状態に入ってからは突き、蹴り、跳ね、構えにすべてリズムとハーモニーが生まれ、澱むことなく流れていく。そうそう、この感じ!これこそ僕らが生まれて最初にジャッキーを見て驚き、瞬く間にトリコになってしまった原体験だ。

でも、この映画はカンフーだけじゃない。それ以上に演技の部分で心に沁みる。それぞれのキャラクターが抱える孤独を、その痛みをあからさまに強調するのでなく、それらが他の何かで補われ、キャラクターの表情に少しずつ変化を灯していく過程によって巧みに描き出すのである。

それこそ見どころはジャッキーである。こんなにも無口で、なおかつ枯れに枯れてドライフラワーのようになったジャッキーがあってよいのだろうか。『新宿インシデント』ではカンフーを用いない生身のジャッキーが話題になったが、本作では強さと共に大きな弱さを併せ持ち、期せずしてジェイデン・スミスを弟子として迎えることによって、心に秘め続けてきた想いがようやく鏡面的に浮かびあがっていく。

ジェイデンとジャッキーはまるでふたつでひとつの魂のようだ。ジェイデンを見つめることはジャッキーを見つめることでもあり、そして逆もまた真なり。ジェイデンが上着を拾い、ハンガーにかけ、はずし、着て、また地面に落とす。それは何も彼だけの基礎トレーニングではない。そのときジャッキーも確実に心の中でその動作を反復し、それによって鍛えられる心の筋肉がいつしか彼自身を孤独から解放していくのを肌を持って実感しているのだ。

だからこそ、ジェイデンが武道大会で勝ちあがっていくたびに、まず最初にジャッキーの表情に目が行った。最初はあんなに塞ぎこんでいた彼が今では諸手を挙げて全身全霊で友を祝福している。その無邪気なまでの変貌ぶりを目の当たりにしてはじめて、彼が長らく失っていたものの重さに気づかされる。幼いころから絶対的なヒーローだったはずのジャッキーに、こんなにも胸を突き動かされたのは本当に初めての経験だった。

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2010年8月 7日 (土)

セラフィーヌの庭

映画を観ながら久々に息ができなくなった。セラフィーヌ・ルイという画家のことも知らなかったし、彼女が描いた絵も目にしたことはなかった。けれど芸術家としての彼女の魂は、その精神的に危なげな相貌も含めて、太古より人間が内に宿してきたプリミティブな感覚をまざまざと呼び起こしてくれる。またこの映画『セラフィーヌの庭』そのものも、人々が初めてセラフィーヌという才能を知ったときと同じ衝撃を、スクリーン・レベルで呼び覚ましてくれるのだ。

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セラフィーヌは歩く、歩く。そして家政婦として懸命に床をこすり、わずかな日銭で画材道具を買い求める。それに自分の特殊なやり方で調合した絵の具を駆使し、一筆一筆、彼女が敬愛してやまない神への賛美のごとく、色彩を散りばめていく。

彼女は少し精神を病んでいるようだった。絵を描き始めたきっかけについても「守護天使のお告げなの!」と嬉しそうに語る。誰の手ほどきも受けていないその作法はまさに彼女にしか見つめ得ない独自の世界観を提示していた。その才能を、たったひとり、ドイツ人の画商が見出し、しばしば目をかけるようになる。いつしか戦争がはじまり、そして終わり、平和な時代が訪れたかと思えば、また不況がやってきた。それでも彼女の絵画は変わらなかった。祈りのように。歩みのように。

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劇中、誰かが彼女の絵を評してこう言う。

驚いたわ。なんという絵なの。
昆虫が後ろに隠れているみたいに、花や葉がうごめいて見える。
それらはまるで、哀しげな目や、ちぎられた肉のよう。
恐ろしい絵ね。

セラフィーヌの絵は一見ほんとうに恐ろしい。が、スクリーン上で幾たびも目にするにつけ、観る者の心を静かに和らげてくれる気配に満ちている。そう、劇中、セラフィーヌが何度も両手いっぱいに大樹を抱きしめ、その鼓動に耳を澄ませたように。彼女が生きた当時、自分もドイツ人画商のようにその絵の価値を見出し得たかどうかに自信はないが、それでも今こうして観客と彼女の絵画との間に同調が生まれるのは、まさにこの映画の力と言えるだろう。

だがここで本作は「セラフィーヌの発見」が内包したジレンマをも提示する。長らく、手掛けた絵画を人に知られることなく、まるで世捨て人のように暮らしてきたセラフィーヌ。そのワンルームの間借り部屋は小型の修道所のようだった。そこに手を差し伸べたドイツ人画商は、一見、彼女にとっての唯一の理解者に見える。だが、仮に彼がセラフィーヌのことを見出さずそっとしておいてあげさえすれば、彼女は相変わらず部屋に閉じこもって絵を描き続け、その後の“悲劇”は起こらなかったかもしれないのだ。

僕らはいま、ひとつの問いに直面する。

その才能は、奇跡は、究極的に誰のためのものか?

この命題に対し本作は、ささやかなラストシーンにて、セラフィーヌを一本の大樹へと向かわせる。彼女は歩く、歩く。カメラは引きの状態でその様子をじっと見つめ続ける。

そこに明瞭な答えなど存在しない。が、この穏やかで神々しく、鮮烈なイメージこそ、セラフィーヌの感情に深く深く寄り添って導き出された、いつわりない“答え”のような気がしてならない。

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2010年5月 2日 (日)

ペルシャ猫を誰も知らない

この熱気。無軌道ぶり。そして、純粋なる音楽への情熱。
視覚と聴覚を通して、イラン・アンダーグラウンド・ミュージックの血潮が流れ込んでくる。

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バフマン・ゴバディの過去の作品を知る人ならば、この『ペルシャ猫を誰も知らない』"No One Knows About Persian Cats"の作風に多少驚くことだろう。なにしろ本作の舞台はテヘラン。ゴバディが出逢った男女ポップス・ユニット(彼らの演奏は超うまいわけではないが、何とも心に響くのだ!)を主人公に、フィクションともドキュメンタリーともつかない不思議な臨場感を持った物語が勢いよく走り出す。彼らは自由の制限されたこの国に別れを告げ、ロンドンで音楽活動を始めようとしている。そして出国の前に偽装パスポート取得と、念願のアルバム制作と、一度きりのコンサートが出来ないものかと画策する。

そのためには臨時のサポートメンバーを探さねばならない。ポップス、ロック、ブルース、ヘビメタ、ラップ。彼らは便利屋のナデルにいざなわれ、テヘランのアンダーグラウンド・ミュージック界をくまなく巡りつづける。

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イランは10年前のおおらかさとは比べ物にならないくらいに変わってしまった。いまや音楽活動を続けるのにも当局の許可が必要なのだという。とくにMTVの影響をモロに受けたような軽音楽を演奏しようものなら、それが練習であっても近所の住民にすぐさま通報されてしまう。でもそんな状況でも自らの音楽を追究しようとする若者たちがいる。地下の秘密のスタジオで、防音装備に抜かりなく、すぐに停電する不安定な電力状況にも決してめげない。

そして彼らの音楽と同じく、この映画だって無許可で撮られたシロモノなのだ。バフマン・ゴバディが国を捨てる覚悟でたった17日で撮りあげたヴィヴィッドな音楽絵巻。登場バンドがひとたび音楽を奏でると、テヘラン市内で活写されたむせかえるほどの喧騒がダイナミックに切り貼りされていく。砂埃、ビルディング、大渋滞。どこの国、どこの街でも変わらない空、雲、夕日。それらを一言でMTV風、PV風ということも可能かもしれないが、僕にはその1カット1カットがゴバディからこの街への最後のラブレターとして映った。

この映画のエンディングも画期的だ。スタッフ&キャストのクレジットは下から上ではなく、右から左へと流れていく。それはあたかもすべての人間が横一線に平等であるのを示すかのようで、なおかつ楽譜に息づく音符をも思わせる。つまりは、そのすべてが連なって、映画という唯一無二のメロディーを生み出していたということか。

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2010年4月28日 (水)

『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』

昨夏、念願叶ってアムステルダムを訪れた。
ゴッホ美術館にほど近い、懸案の国立美術館は。。。

やっぱり工事中だった。

Rijksmuseum_2『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』2010年8月公開より

04年の改装工事開始以来、ずーっと終わらない。この先、少なくとも2013年頃まで完成しないようだ。

なぜそんなに工事が長引いているのか?何が長引かせているのか?その裏側に密着して迫ったのがこのドキュメンタリー『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』だ。上の画像は作品のキーアートでもあるのだが、ご覧の通り、レンブラントの傑作「夜警」の面前で、美術館スタッフまでもが絶妙なる人物配置を成している。この二重構造、まさに時空の迷宮にでも入りこんだかのよう。

美術館側が提示した改装計画に対し、まずサイクリスト協会が噛みついた。なんで!?とお思いだろうが、実はこの美術館、アムステルダム南区へ抜けるための交通路をまたぐ門としても機能している。今回の改築設計ではその要所の真ん中にエントランスを設けようとしており、「そうすると通行スペースが狭くなるじゃん!」と自転車野郎たちが黙っていなかったのだ。

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ちなみにオランダではどこの道でも自転車用の通行スペースが確保されている。歩行者がそこをウロウロしようものなら思いっきり「チリン!チリン!」とやられ、旅行者としてはすごく落ち込むことになる。つまりはサイクリストが束になれば、それほどまでの発言権を行使できるのだ。

問題はこれだけではない。他にも地区委員会、教育文化科学省らも黙っていない。スタッフ内部でも意見が分かれる。学芸員の斬新な発案に誰かが食いつき、ようやく軌道に乗ったかと思うと入札価格をめぐってまたひと騒動。スタッフがこう漏らす。「柱をたった一本動かすだけでも誰かが文句を言いだすんだ」。 そんなこんなで彼らはすっかり立ち往生してしまったというワケ。

果たしてこれはオランダ人の国民性なのか?それともリーダーシップの欠如?民主主義の弊害?意志決定プロセスの欠陥?答えはそのすべてであり、あるいは未だに工事中の美術館自身がその答えを赤裸々に体現しているとも言える。

あ、そうだ、もうひとつ印象的なセリフがあった。

「皆が思い思いに口を出し、結局は妥協の産物になってしまった」

この、当初の熱い想いがどんどん体温を失っていく感じ。組織に属する人ならば、誰もが一度は体感したことがある心境なのではないだろうか。本作を目の当たりにしながら、だんだんと他人事とは思えなくなる自分がいた。遠い国の難題として簡単に割り切れないもどかしさが、いつまでも体内に残りつづけた。

試写が終わったのが23時。悶々とした気持ちを抱えながら自宅へ戻り、さっそくアムステルダム国立美術館の公式サイトを開いてみる。すると・・・

Meisjehardhat
ハ、ハーイ・・・!
ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク作の「青い服の娘」が、いまではすっかり黄色い衣装に身を包み、せっせと労働中だった。姉さん、おつかれさまです!

 
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2010年4月27日 (火)

ヒックとドラゴン

北米の週末興業成績ランキングにて1位へ再浮上を果たした"How to Train Your Dragon"。日本では『ヒックとドラゴン』という邦題で8月に公開となる。
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猫も杓子も3Dという時代が訪れているが、実はこの『ヒックとドラゴン』について言えば、オープニング成績はあまり芳しいものではなかった。たしかに鳴りもの入りで封切られた『アバター』やティム・バートン&ジョニー・デップの知名度が光る『アリス・イン・ワンダーランド』、それに血沸き肉踊る『タイタンの戦い』などに比べると、『ドラゴン』の第一印象には熱狂性の薄さがある。少なくとも3Dに“リアルなもの”を求める大人たちは、3等身のキャラクターたちが駆け回る3Dアニメという形態に時代の逆行感を抱いてしまうかもしれない。

この抵抗感はあくまで推測の域を出ない。しかし実際問題として、本作のオープニング興収を受けてドリームワークス・アニメーションの株価は8%下落した。ほんの一瞬ではあったが、市場は緊張し、3D映画の未来に影を投げかけた。。。

が、結論から言うと、『ヒックとドラゴン』は素晴らしい作品だった。試写しながらずっと「そうそう!この感じ!」と心の中で叫び続けていた。『アバター』以来すっかり忘れかけていた3Dの陶酔感をようやく取り戻せたような気がしたのだった。もっと言うと、ドラゴンにまたがって空を駆け回るシークエンスで思わず感極まって泣きそうになった。急降下する風圧が3Dメガネ越しにビュンビュンと吹きつけてくるかのようで、バーチャルな息苦しさすら覚えた。

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自分たちの生活を守るために日々ドラゴンと闘わざるを得ないバイキングたち。その最大の勇者とも言える父の背中を仰いで育ちながらも、その能力が発揮できない青年ヒック。村人からも「あいつはダメなやつだ」と笑われる。そんなある日、彼は、翼を痛めた「謎のドラゴン」に遭遇する。ヒックが変わり者であるように、そのドラゴンも他とはちょっと変わっているようだった。変わり者のふたりは次第に心を通い合わせる。そしていつしか、ふたりは大空を駆けまわる友人となっていた。。。

ドラゴンは一言も言葉を発しない。その表情や仕草で感情を伝える。その表現力の豊かさ。さすが『リロ&ステッチ』の監督が手掛けただけある。そして圧倒的にアクロバティックなクライマックスを経て、エンディングに流れるのは、あの聞きなれた歌声。これは・・・アイスランドのバンド“シガーロス”のボーカル、ヨンシーじゃないですか!北欧つながりとはいえ、このドラゴンの疾走感と彼の歌声は神秘的なまでに相性が良く、またも心の中の陶酔が立体的に膨張していくのを感じた。
 
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