2010年10月18日 (月)

【レビュー】エクスペンダブルズ

エクスペンダブルズ、つまり消耗品の話である。かつて80年代に第一線で活躍したハリウッド映画を代表する不死身のマッチョが、いまだに最前線でマッチョを続けている。生涯現役、というと聞こえはいいが、要は万年平社員と同じである。現にかつて主演シルヴェスタ―・スタローンとマッチョ度を競い合ったシュワルツェネッガーはとうに自分を消耗品でない地位にまで高めている。特別出演するこの映画の中でも・・・。Expendables_2ストーリーは単純至極。スタローンの指揮するゴロつき傭兵部隊が南米の独裁政権に闘いを挑む。ただそれだけ。“ジェイソン・ボーン”シリーズがアクション映画の定義を根底から覆してしまった昨今、20年前のアクションを地で行く本作はまるでファンタジーのように見える。殺戮の量も半端ではないし、火薬の量も常軌を逸している。あまりに現実離れした描写の数々をバカバカしいと放棄しそうになる。だが、一方で80年代を生きた男子ならば遺伝子レベルで確実に味を覚えてしまったあのカタルシスが蘇り、理性をすっ飛ばして身体が勝手に熱狂してしまう。

きっと僕らは『アリス・イン・ワンダーランド』の白ウサギならぬ、髑髏マークの轟音バイク軍団に導かれ、いつしかミッキー・ロークが営むバーに迷い込んでしまったのだろう。そこに漂うのは本作に登場するあらゆる武器にも増して強烈で危険な臭気を放つ“ノスタルジー”だ。これを鼻孔に感じてしまったら最後。大味な演技も、大げさなアクションも、洗練さとはかけ離れたジョークの類も、どれもツボにはまって、まるで自分自身があの頃の同窓会にでも参加しているような感慨に耽ってしまう。僕らはかつて、このノリ、この仲間たちが大好きだったんだ。そしてその同窓会には、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リーといった同ジャンルの後輩たちも顔を揃えている。

『ロッキー・ザ・ファイナル』『ランボー 最後の戦場』、そして『エクスペンダブルズ』。スタローンは自分たちがもはや絶滅危惧種であることを知っている。シュワちゃんのように政治家になるには滑舌が悪すぎることに知っている。だからこそ背水の陣を利用して最も泥臭い闘いを挑み、そして敵に対しても、観客に対しても見事勝利を収めてみせる。いや何よりも、30年前にアメリカ合衆国そのものを象徴したはずのマッチョな身体を、いまこの時代においてたまらない悲壮感として世界に提示できるクレバーさこそ彼の才能そのものである。

フィクションであれリアルであれ、フィクサー的に世界を動かすのがシュワちゃんだとすれば、スタローンは実行部隊としていち早く現場へ乗り込んでいく。しかしこのバランス感覚、計算高さからすると、現場主義のスタローンの方がよっぽど頭が切れる。そんな気がするのだ。最も泥にまみれた男こそ、フィクサーたるにふさわしい。

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2010年10月11日 (月)

【レビュー】冬の小鳥

この映画を観たのは昨年の東京国際映画祭の折だった。プレス試写では上映後もシーンと静まりかえり、僕は劇場の入っている建物を這い出るようにして太陽を煽ぎ、ようやく同伴していた知人と共に「すごかったね」と声を揃えた。たった90分足らずの中に映画の魔法が存分に詰まっていた。まるで金縛りにあったように、あの少女の圧倒的な目力に魅せられていた。入り口を観察していると、その後も同じ上映に立ち会った人たちが続々と金縛りから解かれ、陽光の下で正気を取り戻す様子がうかがえた。

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『冬の小鳥』はひとりの少女の“瞳の移ろい”で綴られる。父親と束の間の親子水入らず。あんなにも瑞々しい笑顔ではしゃいでいた彼女。父は普段よりも優しく、これが永遠に続く幸福かと思われた矢先、少女は人里離れたところに建つ施設で突如別れを告げられる。そこは身寄りのない子供らが暮らす孤児院だった―。

少女はまず自分が捨てられた存在であることを自覚することから始めねばならない。これは「小公女」ではなく、誰も迎えには来てくれない。自分は何も特別な存在ではないのだ。子供ながらにこの過酷な事実を受け入れる過程が、言葉少なに、実に丹念に描かれていく。誰かが本作を絶望の映画と呼んだ。ある意味ではそうなのかもしれない。が、本作はその絶望によって吸い出され空っぽになった器の中を、窓から差し込む光に代表される“寡黙な美しさ”が丁寧に満たしていく。

ふと立ち止まって考えてみた。「あの光はどこから来るのか?」 僕は本作が『シークレット・サンシャイン』のイ・チャンドン監督のプロデュースであることから、それが“神の介在”を意味するものなのかと思っていた。だが、上映が終わって資料を紐解くと、あの少女のモデルがウニ・ルコント監督自身だったことが明かされていた。その瞬間から、とみにあの光源の正体はルコント監督自身の想いだったのではないかと考えるようになった。

孤児院を巣立ち、フランス人の家族に引き取られ、やがて映画監督としてこの映画でデビューするチャンスを掴むことになる彼女。

幼いころ、大好きな両親からも目を背けられたこの主人公のことを、誰よりも慈しみながら見つめていたのは、やがて成長してこの現場に立った彼女自身だった。そんな気がする。だからこそ『冬の小鳥』はこんなに残酷なのに、逆にこんなにまで愛情でいっぱいなのだ。

お互いの顔は見えないが、ふたりはしっかりと目線を交わしていた。だからこそ少女は中盤からはっと前を向き、安心して未来に向けて歩き始めたのではないだろうか。

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2010年10月 9日 (土)

【レビュー】REDLINE

正直、『REDLINE』が好きだ。これは『アリエッティ』に比べても『カラフル』に比べても人間性に訴えてくるものは少ないかもしれない。だが、馬力がある。なりふり構わなさがある。7年の月日をかけて、手描きで10万枚もの作画を手掛けた執念がある。それは幼子が真っ白い画用紙に極太クレヨンでぐりぐりぐりぐりと同じ線を塗り固めていくときの、今となっては理由も分からないめくるめく陶酔感にも似ている。そんな誰しもが持ち得る原体験が視覚を通して全身を貫いていく。

REDLINE。。。それは宇宙最速最強のマシンを競うカーレース。スタートの合図が響く。一斉に爆音が地を揺らす。キムタクが声を演じる「とてもやさしい男"JP"」がルールにやさしく勝負をかけると、蒼井優の女子キャラがとてつもないど根性で「負けたくない!」とハンドルを切りまわす。ニトロが火を吹く、音速を超える、観衆を吹き飛ばす。人間を超えたメカ選手や異星人、魔法使いまでエントリー。そのどれもが五線譜に爆音を刻むメロディのようでもあり、国営軍が容赦なく弾薬の嵐を投下してくる荒野を乗り越え、ゴールまでの道のりをそれぞれのクレヨンでぐりぐりと塗り固めていく。

ストーリーやキャラはいつもの石井克人(本作の原案、キャラクター・デザインなどを担当)テイスト満載。やはりとてつもなくユルい。それが好物な人、苦手な人、様々だろう。が、このユルさには小池健監督の下支えがある。ユルさを支える根性がある。10万枚分のニトロがある。これらを1枚1枚乗り越え、マシンは原型をとどめぬほどにボロボロになりながらもなお演出のアイディアは尽きず、更なるゴールの高みを目指してひた走る。全力投球のユルさが目の前を音速で通過すると、もうそれはただのユルさではない。そういう風にしか生きられない、覚悟であり、定めなのだ。その想いが、車輪を失ってボディを地面に打ち付けてもなお前進するマシンのごとくギコギコ伝わってくる。

そうしてエンドロールを迎えて、正直ストーリーのことはほとんど覚えていないのだが、確かな想いだけが手元に残った。それはとてもやさしく、厚みを帯びたユルさだった。

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2010年10月 8日 (金)

【レビュー】乱暴と待機

本谷有希子と富永昌敬。ふたりの才能の出逢いは必然だったんだろう。本谷の文体にも富永の映像にもいつだって同じビートが息づいていて、今から考えてみると大谷能生のサクソフォンだってもうずいぶん前からふたりの作品の中でヒョルルルとうねりを聴かせていたのかもしれない。もちろん相対性理論の奏でる怪しげなポップス・ソングだって。彼らの作風を知る者にとってはまさに快心の一撃。ただし、常人には刺激が強すぎる。免疫なしで初めて映画に踏み入れるとむせ返るほどのシュール、いや臭気に愕然とするかもしれない。

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2010年10月 3日 (日)

ナイト&デイ

最初に断わっておくと、『ナイト&デイ』は世間で言われているほど酷い作品ではないどころか、トム・クルーズもキャメロン・ディアズもなかなか頑張っているし、超日常へのいざない方も、アクションの魅せ方も上手い。全米興行における不人気ぶりはひとえに数年前の「オプラ・フィンフリー・ショー」でのトムの奇行が彼に関するイメージを180度変えてしまったこと、それにこれまで王者を誇っていた者が足をすくわれる様子は恰好のマスコミの餌食となりがちなことに起因する。

Knight
空港で初めて出逢った男と女。女は「やった!素敵な偶然!」と浮足立つが、男にとってこれはすべて計算づくだった。彼は「オプラ・フィンフリー・ショー」さながらの奇行でもって事あるごとに彼女の前に姿を現し、ふたりに次々と襲い来る屈強な男たちを粉砕してはまたどこかへ去っていく。どうやら彼は、敵対する組織から天才青年の発明品を守っているらしいのだが。。。

つまり、ヒロインが“自称エージェント”の男にいいように翻弄され、東欧にまで連れまわされた挙げく、その終着地で本当の自分みつけた!という強引なプロット。おい!これは80年代か!?

そう、どこか80年代風なのである。しかも本作を見ていると、その80年代テイストの噴出と征圧によって、映画が予想外の内的世界を醸成していっているようにも感じられるのだ。

そもそもトム&キャメロンの美形も年齢には勝てないもので、本作でスクリーンいっぱいに映し出される顔面には時折シワが目立つ。ふたりとも10代、20代のピチピチした若手には到底かなわない域に達しており、これはメイクで隠すこともできたのだろうが、かなり意図的に露わにされている。それゆえ彼らが懸命にはしゃぎまわる姿は、まるで80年代、90年代に失ったものを必死に取り戻そうとしているようにも見える。

それを裏付けるかのように、二人は冒頭からして80年代風のオーバーアクションにて出逢いを果たし、ロマンティックな会話、雰囲気がわざとらしいくらい盛り上がりを見せ、ふとバックでは勢い余ってダリル&オーツの曲なんかが流れたしちゃったりもする。そしてこのムーディーな針がいよいよ振り切れようかという矢先、急転直下、雰囲気一転、まるでその懐古主義の針を揺り戻そうとするかのように、妖精ならぬ、屈強な武装勢力が銃を打ちならし襲いかかってくるわけである。

まさに80年代臭の肯定と反発。ノスタルジーの醸成と征圧。

『ナイト&デイ』はその2大要素の掛け合いによって相互作用するアドベンチャーだ。またそれによって化学反応を増して膨張していくものこそ、彼らが世界を股にかけて守り抜こうとする“無限大エネルギー”の正体なのではないか。少なくとも僕にはそう読みとれた。

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『ナイト&デイ』の監督は『3時10分、決断のとき』が高評価を獲得したジェームズ・マンゴールド。この人の作品、演出にハズレなし、かも。

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2010年8月19日 (木)

クロッシング Brooklyn's Finest

もはや神話だ。マンハッタンの美しい夜景からイーストリバーを隔てた対岸に、その街ブルックリンはあった。『クロッシング』(原題"Brooklyn's Finest")はここの犯罪多発地域に生きる3人の男たちを主軸に、彼らの一方通行の人生が俄かに交差する瞬間を迎えるまでを、むせかえるほどの濃厚な筆致で描きだしていく。

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冒頭の会話からして象徴的だ。とある男がこう口にする。

「世の中に善悪の明確な境界線など存在しない。あらゆるものは“より善”か、“より悪”かだ」

この言葉が本作を定義づける。つまりこれは世に言う“クライム・サスペンス”とは様相を異にするわけだ。他のジャンルムービーのように「典型的な悪」だとか「正真正銘のヒーロー」といった単純化はあり得ない。この映画ではすべての登場人物たちがそれら未定義の領域で悩みに暮れ、家族、友情、後悔、裏切り、孤独に押しつぶされそうになりながらも一つの決断へとすがりついていく。そこに神はいるようで存在しない。突き進むか否かを決めるのは、人間の内に宿した強靭にして脆弱な意志の力のみ。あるいはこの街に息づく彼らこそ、ギリシア神話のごとく悩める神々なのか。

リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルが主軸を成し、そこに名脇役たちが華を添える。観客はこの物語に『クラッシュ』や『バベル』の要素を見出すかもしれない。しかしここには“天使の羽根”のような映画的救済は見当たらない。そうした3つの闇を織りなす役者たちのリアルなまでに焦燥に駆られた演技と、それを圧倒的な統率力で束ねていくアントワン・フークアの執念深い演出力には本当に言葉を失ってしまう。

これらのキャラクターを分析するには、マイケル・サランデル著の"JUSTICE"を深く読み込むしかなさそうだ。ちょうどこの映画を試写した際にこの本を持ち歩いていた僕は、映画と本のテーマが激しく反響しあうのを肌身に感じることができた。この映画に派手さは微塵もないが、流行には惑わされない揺るぎなき映画ファンには必ず満足してもらえると思う。ちょうど昨年、『3時10分、決断のとき』に多くの観客が詰めかけたように。

そして数多くの観客がこの映画に接続することによって、この邦題の意図する真の意味での“クロッシング”が生まれていくのだと確信する。

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2010年7月18日 (日)

リトル・ランボーズ

2年前にイギリスで観た"Son of Rambow"という映画の日本公開が決定した。

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邦題は『リトル・ランボーズ』。拙ブログを掘り起こしてみると、そのレビューが見つかりました。80年代、あのアクション映画と運命的な出逢いを果たした少年たちの友情物語。。。このプロットに貴方のアンテナがピーンと来たなら、更に掘り下げてご覧ください

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2010年7月13日 (火)

シングルマン

グッチやイヴ・サンローランのクリエイティヴ・ディレクターとして脚光を浴び、現在は自身の名を冠したブランド「トム・フォード」を主宰。そんな逸材がついに映画界へと進出した。しかも製作費を捻出するために私財を投げ打って。そもそも衣服をデザインすることは着衣者のライフスタイルや人間性をもデザインすることであるから、彼が何らかの感性演出やそれに伴う統率力に秀でた人物であることは容易に想像がつく。

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ファーストカットから身動きができなかった。そのあまりに優しく身体の襞という襞から沁み込んでくる映像美。ワンシーンごとに感覚に訴えかけてくる演技。心の機微を丹念に重ね合わせるかのような編集。そしてなにひとつ欠けたとしてもすべてが全く成立しなくなるほど計算され尽くした美術の数々。

どんな神がかり的な手さばきであのあまりに繊細な構築物を紡ぎ上げていったのか。たとえ映画を知り尽くした巨匠でも、あれほどの物は絶対に撮れない、まさにトム・フォードが彼自身であるという、生きた証。彼が見つめた終着地にしか存在しえない、唯一無二の風景がここにはある。

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2008年8月14日 (木)

リトル・ランボーズ Son of Rambow

*もう2年も前に観たこの映画が、2010年の10月に日本で劇場公開されるようです。その報を受けて若干加筆修正しました(2010年7月18日)

Sonoframbow_2 
『銀河ヒッチハイク・ガイド』のガース・ジェニングス監督が、またもやとびきり楽しくて、後で胸にこたえるほどキュンとくるキッズ・ムービーを生み出した。かつて『ランボー』に影響を受けた子らも、別にそうでない人も、なんだか忘れかけていた青春と友情の日々を思い出し、束の間のノスタルジーになんだかホッコリしてしまう…それが“Son of Rambow”だ。

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