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2011/01/27

もう一人の私(MyFFF)

フランス発オンライン映画祭「マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル」のコンペティション作品「L'Autre(もう一人の私)」を観た。

Iautreカメラが夜の高速道路を見降ろしながらゆっくりと滑空する。まるでこの世界を見守る天使のように。

あるいはそこから眺める膨大な車両の輝きは、ひとりの人間の体内にほとばしる血流のようでもある。

この街で主人公のアンヌ=マリーは男と別れた。それは互いが納得して得られた結論だった。男は女性に結婚を求め、彼女はそこから逃れる自由を求めた。ただそれだけのこと。別れた後も彼らは幾度も顔を合わせ、穏やかに言葉を交わす。それは別れにともなう彼らなりの儀式のようでもあった。

しかし男に新たな恋人ができたと知った時、アンヌ=マリーの心には抑えようのない想いが湧きおこる。「彼女の歳は?」「47歳」 それはアンヌ=マリーと同じ年齢だった。好奇心ともジェラシーともつかない感情を抱えながら、いつもと違う毎日が幕を開ける―。

2008年のヴェネツィア国際映画祭のコンペ部門に出品され、主演のドミニク・ブランが主演女優賞を受賞した作品である。「夢十夜」のような幻想的な寓話をまさに映画にしか成しえない語り口、表現手法で描いていく。当事者の物語でありながら、視点はまたどこか別の次元にあってこの世界を静かに見守っているかのような浮遊感が観る者を魅了してやまない。

制御できない複雑な想いがどんどん膨らみ、自分が怪物なのではないかと恐ろしくなる主人公。その傍らには数々の「さよなら」の風景が横たわる。ソーシャルワーカーとして働くアンヌ=マリーはアルコール中毒の女性が愛犬とお別れするのを見てなぜだか涙をこぼす。夜のとばりに響き渡るラジオDJの声は「今日で15年間続いたこの番組も幕を閉じます。みなさん、さようなら…」と静かに別れを告げる。また、昔の恋人からはいま自分の体の中で死の病が進行中であることを打ち明けられる。

我々がやり過ごすこの日常の中に、いったいどれほどの哀しい別れが横たわっているのか。

人間は生きていく限りにおいてこの“別れ”から逃れることはできない。だからこそ彼女はラストに予定調和のように寄りを戻したり奇跡を期待したりなどせずに、その別れの運命を穏やかに受け入れる。逃げずに別れに真っ向から立ち向かっていくのである。自分の中のもう“ひとりの自分”にやさしく別れを告げるかのように。

ドミニク・ブランの体現する主人公の心の内側を、夜の街並みが幻想的に代弁する。この優雅で哀愁にあふれ、時に狂気さえ醸し出す心の変移。全編を牽引するブランの透明な力強さを讃えると共に、これらを巧みに織り成したぺトリック・マリオ・ベルナルド&ピエール・トリヴィッツ両監督の表現力の確かさにも賛辞を送りたい。

●本作はmy French Film Festival開催期間中、こちらのページより有料視聴できます。

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