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2011/01/27

ソウル・キッチン Soul Kitchen

ファティ・アキン。彼の作品からは人種の混在から立ち昇る尊厳が見え隠れする。そしてドイツに居ながらにして、東洋と西洋の交錯するイスタンブールのボスポラス海峡にいるかのような潮の香りがする。

僕がロンドンのミニシアターで異国人に挟まれながら(もちろん彼らからすれば僕のほうが異国人だが)『愛より強く』という作品を観たとき全身に電流が走るような衝撃を覚えた。ポスターには「新時代のロミオ&ジュリエット!」という売り文句が書いてあったが、そんな茶を濁した言葉では始まらないだろう、と思った。これはまさに“叫び”の映画だった。愛に関する苦悶の叫び。またどんなに叫んでもその声は当事者以外には全く聞こえない。そんな絶望ともどかしさの混在する映画でもあった。

そんな情景を感動的なレベルにまで昇華させたファティ・アキンという才能に心底恐れ入って、エンドクレジットが終わってもしばらく席から立ち上がれなかった。ようやく立ち上がると背中が汗で濡れていて、冬の痺れる寒さの中ガタガタ震えながら帰途に着き、それで案の定、風邪をひいた。寝込みながらもずっとこの映画、そしてファティ・アキンのことを考えていた。「いつかこの監督は凄いことになる」と。

結果的に「なった」のである。凄い監督に。『愛より強く』はベルリン映画祭にて金熊賞を受賞、続いて『クロッシング・ザ・ブリッジ~サウンド・オブ・イスタンブール~』というドキュメンタリーが挟まり、『そして、私たちは愛に帰る』はカンヌにて最優秀脚本賞を受賞。そして最新作『ソウル・キッチン』はヴェネツィアにて審査員特別賞を受賞した。30代の若さですでに3大映画祭にて受賞を重ねてしまったのだ。

なので、僕は前文をもっと具体的に書き変えることにする。「この監督は次回作で頂点を極める」と。というのもこのファティ・アキン、『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』に続く3部作最終章として“悪”について描いた新作を準備中なのだ(一部の報によるとボクシングを扱ったストーリーになるとか)。で、『そして、私たちは愛に帰る』でヘトヘトになったエネルギーを充電し次回作へ注ぐパワーに変えるために選んだ題材が、この『ソウル・キッチン』なのである。

Soul_kitchen

この映画に触れて面食らった。混沌がなにかを産み落とす瞬間を活写してきたこれまでの作風とはまるで違う。純然たるコメディだった。そして自分が何か大きな勘違いをしていたことに気づく。僕は天才や巨匠と呼ばれる人たちは自ら進んで、喜んで深刻な題材に身をさらすものとばかり感じていた。だがファティ・アキンも同じ人間なのだ。傷つきもするし、映画作りで疲労困憊した身体や気持ちをリフレッシュさせたいときもある。この映画に漂う底抜けの明るさを享受しながら、逆説的にこれまでの彼がいかに身を削って映画を織りなし、苦しみや悲しみをスクリーンに刻みつけてきたのかが理解できた。

と言いながら、この『ソウル・キッチン』ときたら、単純に“息抜き”と呼べるかというと、そう一概にはいえないパワフルなドラマなのだ。まずもって僕がこれまでに感じていた“ボスポラス海峡の香り”はしない。その代わりに舞台がドイツのハンブルグなのにも関わらず、映画はタイトルからも連想し得るソウル・ミュージックで溢れ返り、“ファミリー”の切っても切れない絆について描かれ、そしてジャンクな食材が天才シェフ(ただしアルコール中毒)の神ワザによって瞬く間に美味しい食事となってテーブルに並んでいく。まるで北米のブラック・ムービーがここドイツに出現したかのような国籍不明の混濁ぶり。しかしそこには当然、一人たりとも黒人は登場しないのだ。

『愛より強く』や『そして、私たちは愛に帰る』において主人公はトルコ~ドイツという自らのアイデンティティにまつわる“心理的距離”を自分の足で具体的に往復してみせる。対する『ソウル・キッチン』では福袋のように詰め込まれた様々な要素を駆使して、遠く離れた場所(例えば黒人が虐げられ這い上がった歴史を持つニューオリンズをはじめとする都市なのかもしれない)とこのハンブルグの小汚いレストランとを「移動することなく」精神的に直結させてみせる。この手法の変貌ぶりが心地よいグル―ヴを生み、観客の胸に迫ってくる。

「今後、ドイツではない他の場所を拠点にすることも常に考えている」

とファティ・アキンは言っていた。フィルムメーカーとして世界的な知名度を獲得した彼は今やヨーロッパのみならずニューヨークでだって映画製作できるだろう。というかそちらの方が資金が集まりやすいに決まっている。

ドイツのハンブルグに生まれ育ったトルコ系ドイツ人が、活躍の場所を世界に広げようとしている。でもだからこそこれからは「実際にその場所に立つこと」よりも「精神的な連帯」こそが重要となっていくだろう。例えばニューヨークに居ながらにして同時にハンブルクやイスタンブールと心を重ね合わせることのできるソウルフルな連帯が。『ソウル・キッチン』には笑いの中にそのような“世界のどこにいてもふらりと立ち寄れる居心地の良い場所”を感じ、ファティ・アキンによるひとつの意志表示を受け取ったような気さえしたのだった。

そして個人的にひとつ気になっていることがある。恐らく本作でいちばんメインとなっているスチールはこれなのだが、

Soul
これを目にして、ダ・ヴィンチによる傑作絵画のことを想起しない人はいないだろう。

The_last_supper_2 
ファティ・アキンの単なる悪ふざけなのか、それとも聖書にも何らかの精神性=ソウルを通わせようとしていたのか。そういう疑問が込み上げてきた頃合いにはせっかく初来日を遂げたファティ・アキンも既に日本を後にしていた。ほらね、人生はやっぱり少しだけ間に合わない。

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