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2011/01/16

ウッドストックがやってくる! Taking Woodstock

僕が説明するまでもない。1969年、時代の象徴とも言うべき音楽フェスが開催された。

が、その裏側にひとりの平凡な男の奮闘があったことは知られていない。彼の名はエリオット・ダイバー。ヒッピーでもなんでもない、30代のデザイナーだ(そしてゲイらしい)。潰れかかった家業を立て直そうと農村部のモーテルに戻ってきた彼は、開催場所を探してさまよう巨大イベント「ウッドストック・フェスティバル」に運命の絆を感じ、その誘致に打って出る。

その日から状況が一変した。近隣住民からは苦情が殺到するわ、時代の寵児たるオーガナイザーが視察に訪れるわ、一報を訊き付け記者たちも多数詰めかけてくるわ。いまや全米がこの村に注目していた。その非日常の光景にエリオットもかなり上気気味。でもまだ本番は始まってすらいない。やがてこの村がどんな興奮のるつぼと化していくのか、彼は想像もしていなかった―。

Taking_woodstock_poster_2   
ラスト、コーション』のアン・リー監督といえば、台湾出身ながら『楽園をください』『ブロークバック・マウンテン』など、アメリカ文化に深く寄り添った作品を手掛けてきた。『ウッドストックがやってくる!』もまさにその系列に並べられてしかるべきだ。

1年以上前のカンヌ映画祭で無冠に終わり、日本公開に随分時間のかかった本作に“特筆するにあたらない凡作”という先入観を働かせる向きも多いかもしれない。僕も上映開始から20分ほどのスロースターターぶりに驚いた。でもこれはアン・リーの周到なタイムテーブルなのかもしれない。つまりは“田舎時間”。これぞ世界の中心から遠く遠く離れた、田舎の体感時計なのだ。

そして本作最大のダイナミズムは、この田舎時間が徐々にウッドストックという名の巨大な嵐に呑みこまれ、やがては歴史が何周も旋回しようとも忘れられぬ伝説の聖地=宇宙の中心となっていく過程にある。観客はそれを教科書的事件としてではなく、自分の足でその渦中に立ち、吹き荒れる暴風雨を視覚的に体感することになる。

「ウッドストックの会場はこっちですか?」

誰かがエリオットに尋ねる。初めはポツリポツリと始まる人の到来。そして次の瞬間、ガツンと大波が襲いかかってくる。あっという間に村を埋め尽くした人、人、人。その数40万人!この何処までも拡がっていく圧倒的な絵力が凄い。しかも長回しを多用するという横暴さ!このラブ&ピースのうねり!むせ返るほどの高揚感!そしていつしか巡礼のごとく澄み切っていく気持ち―。

中盤からの怒涛の展開に体内時計も大いに狂わせられながら、僕らはエリオット・ダイバーの視点で草原、森林、湖に囲まれた会場のあっちこっちへと奔走する。そしてふと気付くと、どこからか微かにギター音が聞こえてくる。

「ついに、はじまった・・・」

俄かに表情を引き締めた息子(エリオット)に、父がこう言う。

「ここは俺が引き受けるから、お前はステージへ行って来い。何が巻き起こるのか、その目に焼き付けてくるんだ」

そこからエリオットは、人波をかき分けてどんどんステージへ向かって、宇宙の中心に向かって駆け寄ろうとする。

しかし結論からいえば、彼は圧倒的“傍観者”のままでこの作品を終える。

彼は映画の主人公でありながら、ウッドストックにおいては最後まで裏方にも満たない端役で終わる。でもそれゆえ(同じく歴史の傍観者でしかあり得ない)僕らは最後までエリオットの視点にナビゲーターとしての役目を安心して託せるのかもしれない。

だからこそ、いま映画を見終えた僕らは、万感の思いと愛情を込めてエリオットをこう呼ぶと思うのだ。

「宇宙の中心を間近で体感しながら、結局ステージまで辿りつけなかった男」と。

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