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2011/01/11

しあわせの雨傘

この映画が終わるころ、頭の中では延々とドヌーブ様の歌声が「セ・ボー・ラ・ヴィ~♪」と渦巻いている。いまやオープニングの真っ赤なジャージ姿とは似ても似つかぬ真っ白な姿。全身にライトを煌々と浴びながら、クライマックスのドヌーブ様は高らかに歌い上げる。「人生は美しい」と。

恐らくは冒頭の“赤ドヌーブ”様も、あのときはあのときで自分の境遇に満ち足り、全く同じ言葉を胸に抱いていたに違いない。しかし赤と白の差は歴然としている。彼女は今や、地球が太陽の周りを周回していることを知ってしまった---夫の経営危機に際して立ち上がり、平凡な主婦から敏腕オーナーへと転身を遂げ、さらには「女性は据え置き壺(原題のPotiche)じゃないのよ!」との掛け声のもと、男たちがせっせと築き上げてきたファンタジー的男性社会こそを“据え置き壺”へと追いやってしまったわけだ。これぞ70年代コペルニクス的発想。

Potiche
思い返せば、フランソワ・オゾン演出は時として『8人の女たち』『エンジェル』のように“ある時代の一点”における映画的ファッションに浸かりこむことで、ノスタルジー以上の特異な効果を生み出してきた。

その傾向は今回ドヌーブ様とがぶり四つに組むことによってますます顕著なものに。だが決定的に違うのは、本作が70年代という特殊な時代を描くとともに、過去から現代に突きぬける偉大な映画レジェンド=ドヌーブという一本筋の通ったベクトルを刻むことで、決して“昔話”の域に甘んじないという点だ。

もちろん、邦題を見ても分かる通り、ドヌーブの『シェルブールの雨傘』に代表される過去の偉業はさりげなく、しかし絶対に外せない要素として添えている。とりわけオープニングで小鳥や小鹿たちにウィンクしたり、大自然の神秘に心震わせたり、その感動を詩を思わずノートに書き留めたり…そんな映画ならではのファンタジー&メルヘン・タッチが笑いを誘う。

果たしてこれらはセルフ・オマージュ&パロディの一言で片づけていいものか。いや僕には、これがオゾン流のリアリズムを立ち上げるための手法のひとつだったようにも感じられた。

つまり、「ビバ70's」なノスタルジック演出=焦点のボヤけた皮膜のごときフィルターは、そのまま当時の女性に向けられたファンタジー的固定観念を意味していたのかもしれないし、さらには現代社会でもなお、あらゆる領域にこの種の“フィルター”がはびこっているのだと、密やかな告発さえ含んでいるようにも思える。フェミニズムよりももっと広い意味で。

そういう提起を突きぬけて、本作のラストは男性も女性も老いも若きも関係なく、誰もが等しく祝祭性に身を浸すことのできるものに仕上がっている。あらゆる人にとって可能性が開かれ、フランソワ・オゾンの文脈で言うならば当然ゲイという要素も含まれてしかるべき。その意味で、人生は誰にとっても美しいのだ。まさに「セ・ボー・ラ・ヴィ」。

Potiche02
ちなみに、ドヌーブの亭主役を演じるのは大好きな俳優ファブリス・ルキーニ。クラピッシュの『PARIS』や『モリエール/恋こそ喜劇』(←それぞれ拙ブログのレビューに飛びます)でも飄々とした演技で場を湧かせる天才だ。

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