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2011/07/06

【レビュー】ツリー・オブ・ライフ

時間の概念を放り捨てた。物語の筋を負うのをやめた。そんな小手先の物差しでは何ら通用しない。この映画に触れること、それは言うなれば、観客の身体を開く、あるいは心の奥底にひとふれの光の揺らぎを生じさせるのと似ている。僕らは誰ひとりの例外なく、この2時間半の映画に流れる海の香り、母の微笑み、壮大な惑星の歴史を、DNA上の記憶として太古の昔より脈々と受け継いできている。そこに最後のピース、自分自身の主体を組み込むことによって、壮大な生命の樹が完成する。大いなる存在の一部となる。大河が流れる。魂が邂逅を遂げる。そしてあの光の揺らぎが再来する―これらはすべて同義語なのかもしれない。

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そもそも商業映画という範疇でこの壮大な映像詩『ツリー・オブ・ライフ』が生まれ出たこと自体、信じ難いことだ。どこのスタジオの社長がこんな企画に頷きを与えるだろうか。彼らを含め常人にはこの脚本からワンシーンたりとも具体的な仕上がりをイメージすることは困難だ。本作の出資者はきっとテレンス・マリックという人間こそを信頼したのだろう。彼らはこまでにマリックの手掛けた傑作群を通じて少なからず人生の真理に触れた者たちに違いない。そしていま、自らがマリックの描く世界の一部を担う宿命を、歓喜をもって受け入れられる人たちだ。

聖書の言葉と共にはじまる本作は、実際のところ、最後までこの言葉の枠内から一歩も外へ踏み出すことはないのかもしれない。そこには60年代を生きる「私」という存在が起動する。傍らには「弟たち」、そして「父」と「母」の姿。

が、テレンス・マリック監督は、突如としてそのカメラの見つめる先を、光の揺らめきへと移行させる。聖書の冒頭にある「光あれ」という言葉のようだ。そこから我々がスクリーンで目にするのはすべてのはじまり、惑星の起源だった。深淵の瞬間がおとずれる。地球の鼓動が聴こえる。呼吸が聴こえる。天地創造における“一週間”のように地上が形成されていく。その静かな衝撃たるや、『2001年宇宙の旅』のクライマックスに見る宇宙飛行士の精神の旅を彷彿とさせるものがある(追記:あとで知ったことなのだが、『ツリー・オブ・ライフ』には、『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』『未知との遭遇』で知られる伝説的SF職人ダグラス・トランブルがSFXスーパーバイザーとして参加し、22分間に及ぶ地球誕生シークエンスに生命を与えている。彼が長編映画に参加するのはほぼ30年ぶりだとか。)

この先、マリックはアダムとイブを降臨させるようなことはしない。そこにあるのは紛れもない進化の歴史だ。ほら、幼子の歩みのような生命の歩みが少しずつ見て取れる。微生物の発生。その吸収、分裂、生成。海から陸へ。そしてついに登場する・・・こ、これは、恐竜!?

あのマジックアワー(陽が落ちた後の、淡いオレンジ色の光が残る時間)を駆使してまでリアルな美しさにこだわり続けてきたマリックが、いまここでなんとCGを駆使して恐竜の姿を描いている。これぞ彼自身の“進化”と言わずして何と呼ぼう。このシーンついては世界中の観客が感銘を受けたり、逆に椅子から転げ落ちたりと、様々なリアクションが報告されているが、少なくとも後に人類が受け継ぐことになる「慈愛」をはじめて描いている点において、極めて重要なシーンと言える。筆者自身はこの描写の豪胆さに、感嘆の声を上げそうになった。

Tree これら数十分にわたる地球のシンフォニー。言葉は存在しない。息を呑むほど美しく、壮大な映像が受け継がれし生命の姿を伝える。そしてその絶えざる悠久の時間に連なるかたちで、60年代に生きる家族の肖像にあらためて光をあててみせるのだ。

世に家族の映画は数多くあれど、ここまで壮大なプロローグをもってして描かれるファミリー・ムービーは史上初だろう。

また、我々はこの映画の前半で長らく“地球の歴史”を見つめてきた感覚でもって、その同一線上に、家族のクロニクルを見つめる。ゆえに本作では、その登場人物がいまこの瞬間に何を感じているか以上に、その行為や感情がどこから来て、どこへ行くものなのかという連続性を絶えず意識することになる。母の慈愛に触れるとき、僕らはあの恐竜について想いを馳せる。父の考える“強さ”に触れるとき、父を嫌いながらも自分が最もその姿に近づいてしまう長男の複雑性に身を寄せる。そして多くの生命をはぐくんできた海、そして大河に、おびただしい数の“物語の集積”を感じる。

おそらくテレンス・マリックの成し遂げたかったこともそこなのではないか。この自分の立ち位置が定まらない時代、つねに何かの外的・内的な脅威におびえたり、あるいは何かを威嚇せずには生きられない時代において、カメラをひとたび神の視線に届くほどの高みに昇らせ、そこからあらためて人間の存在を俯瞰しなおしてみせる。それによって観客に深い安らぎを与える。悠久の意味について触れさせる。自分たちの生きる道、自分たちが元にいた場所、そして帰るべき場所を静かに照らし出してくれる。

これまで僕は、そのような気づきは宗教によってもたらされるものだと思っていた。

本作はもちろんキリスト教的観点を数多く持っているものの、究極的にはそれがショットという言語の連なりによって構成されている以上、映画以外のなにものでもありえない。

映画にそこまでのことが成し得るとは思わなかった。それは裏返すと、ペテン師と罵られる可能性すら秘めていることの表れなのかもしれない。カンヌ映画祭で賛否が大きく割れたと言われるのもそこらへんに原因を持つ。これを笑い飛ばすのはごく簡単なことだ。

だが、それにしてもあの、ブラッド・ピットがはじめて赤子に接する時の、大いなる奇跡と対峙するかのような厳粛な表情だけは誰にも笑い飛ばせはしまい。あれは本作におけるあまりに美しい瞬間だった。その美しさゆえ、すべてのことが無条件に信じられた。この先どんな時代が到来しようとも、あれこそは変わらず受け継がれていく地球の真実であり、人類の素顔であると信じてやまない。

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