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2011/07/11

【レビュー】ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

クライマックスを終え、エンドクレジットが始まった。ついに10年間に及ぶ長い長い旅路が終焉を迎えた瞬間、思わずふっとため息がこぼれた。長かったのか、あっという間だったのか。きっとそれぞれのディケイドがハリー・ポッターという物差しと共に存在する。ある者は同時多発テロをその起源に揃えて時代を論じ、またある者は自分の仕事での立場や家庭環境の変化、また生まれたばかりの赤ん坊だった我が子が小学4年生にまで成長している姿に目頭を熱くするかもしれない。少なくとも多くの人たちが、(大人たちに)見守られ冒険へと突き進む側から、愛する者を守る側へと変化を遂げてきた。作者のJ.K.ローリングにしても同じことがいえる。彼女はこの壮大な物語を紡ぎ始めて半年後に母を亡くし、それから間もなくし自らが母親となったという。つまりは人間にとって10年間とは、実にそのようなものなのだった。

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それにしても最終章『死の秘宝 PART2』はフィナーレを飾るにふさわしい見事な完成度だった。まずはこの『死の秘宝』を2部作にした判断を讃えたい。仮にこの原作をこれまで同様1つにまとめていたなら、Part2で描かれた最終決戦はクライマックスの30分ほどでちゃちゃっと描かれたに過ぎなかったろう。そもそも映画版『ハリー・ポッター』は原作のダイジェスト版的なストーリーのせわしなさが常に指摘されてきた。しかしこの最終章はどうだろう。その「30分しか与えられなかったかもしれない持ち時間」を2時間10分へと拡大させ、ストーリーを詰め込み過ぎるどころか、今回はその行間や登場人物の狭間に漂う空気をも濃厚に抽出する。激しい闘いも巻き起こる。だがその裏側ではハリーらメイン3人をめぐってバックに何の音楽もかからない静謐なシーンも数多い。ここでも彼らはこの10年間に培った集中力の高さで演技を、関係性をジッと研ぎ澄ましていく。この手法が結果的にこれまでのシリーズの中でもっとも緩急バランスを高め、観客の体感時計にちょうど適したストーリーテリングを紡ぎだしている。

また、これまでは最後に必ずダンブルドア校長をはじめ大人たちが助けに現れたり、「実はこういう理由だったんだよ」と打ち明け話を披露したりしたものだったが、今回は違う。最終章では頼もしい戦士となったメインキャストらが決して譲らない。彼らはすべてを自分たちで考え、自分たちで決断を下し、自らの力で運命を引き寄せていく。最終決戦の場はもちろんホグワーツ魔法魔術学校。彼らの子供から大人への離脱にふさわしい聖地だ。ハリーらを立派に育て上げたこの学び舎にて、彼らは外から襲い来るおびただしい数の軍勢を相手に『レッド・クリフ』さながらの防衛戦に徹する。この土壇場でマギー・スミスも高齢をおして両手をクルクルッと回転させて優雅に戦う。そして肝心な役を担うのはネビル・ロングボトムだった。

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想像できるだろうか。かつては何をするにしても臆病で行動の遅かった彼は、今やハリー不在時の学生レジスタンスを率いる傷だらけの闘士になっている。その行動力、勇気、そして何よりも仲間を想う気持ちは、彼という存在がこの物語の主人公のひとりであったこと―少なくとも4人目のメイン・キャラに位置していたことを、崇高な尊厳をもって印象付けている。我々はこの手の「5人目のビートルズ」「7人目のモンティ・パイソン」的立ち位置に弱く、そしてひとしく、映画版「ドラえもん」で逞しくなったのび太くんに涙腺を崩壊させがちな生き物。それとおんなじ原理だ。

そして今回、フィナーレを祝福すべく付与された3D効果。前作「Part1」では3Dリリースされると告知しながら結果的に製作が間に合わず、ワーナーも製作者も前代未聞の恥辱を味わう結果となった。その汚名返上の意味もあってか、僕が前日に観た『トランスフォーマー3』には到底及ばないものの、本作はそれなりの良質なクオリティに仕上がっていたと思う。特に透明マントやホグワーツ上空に張り巡らされる防衛の呪文、それに背景でうごめく絵画の中の人々、憂いの篩など、この3D技術が魔法と高い親和性にあったことに(ラストにして)気づかされた。本作は3Dカメラで撮影していないので、相当に手の込んだコンバージョン作業を念入りに進めてきたはずだ。こういう細かな演出を目にするにつけ、デヴィッド・イェーツをはじめとする作り手の愛情と、長らくシリーズを支えてくれたファンへの深い感謝の念のほとばしりを感じる。

最後にもう一点付け加えたいのが、この映画のラストシーンについて。ここからは原作を読んだ方のみご通行ください。

印象的なのは壮絶な闘いの後、学校を見つめるキャラクターらの姿だった。このとき、彼らの脳裏には様々な思い出がよぎっていたに違いない。が、ここで作り手たちは決して過去映像のフラッシュバックに甘んじない。彼らの“今”の姿を、これが最後とばかりにじっと、静かに、入念に映し取る。

これがどんな効果を及ぼすのかは実際に観てからご確認頂きたいが、彼らの幼き姿を具体的に“映さない”ことは、この後のフィナーレで物語が“すべての始まり”へと回帰し、ふたたび始まっていくことをより如実に映し出すことへと結実しているのだ。そこでは幼き日のハリーたちではなく、新たな世代が台頭している。新たな人生へ踏み出す不安で押しつぶされそうな顔が、あの場所に、いくつも並んでいる。

時代は移り変わる。そこで変わり行くもの、変わらないもの。その拮抗こそが物語に普遍性の胚芽を宿させる。

以前、J.K.ローリングはこのシリーズの結末をもうずいぶん前に書き終え、金庫の中に厳重に保管している(それはきっと小鬼たちの働くグリンゴッツ銀行に収められていたに違いない)―と口にしたことがあった。

その該当する箇所がこのラストかどうかは分からない。が、仮にそうだとするならば、もうずいぶん前から本シリーズのテーマは“移り変わり”にこそあったのだろう。そして、それは8作を通して描かれた主人公らの“成長”の集積でもある。

つまり、この瞬間から『ハリー・ポッター』について語ることは、過去と同時に、未来について語ることにもなりうる。この映画のラストからはその想いが原作以上に強く読みとれた。これは終わりであり、人生というまた新たなる壮大な冒険の始まりなのだ。

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