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2011/09/26

【レビュー】さすらいの女神たち

旅芸人の記録である。かつて家族や仕事、友人らもみんな捨てアメリカへ渡った男ジョアキムが、彼の新たな家族とも言うべき一座を引き連れフランス巡業にやってくる。メンバーはふくよかな女性たちと、オネエ系の男の子。彼らはみな多少なりともオゲレツなショーで観客をパワフルに魅了し、連日の公演は大盛況を納める。このままツアーは順調にj続いていくかに見えたが、ひとりジョアキムだけが浮かぬ顔。どうやら夢にまで見たパリ公演の会場が決まらないようなのだが…。

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いまや映画俳優として世界中に知られる存在となったマチュー・アマルリックが、こと映画作りに関してこれほど秀でた人であったことは。その才能はコミカルで情熱的な本作でも、ほんのファーストショットを目にしただけで充分に伝わってくる。

真っ暗な部屋に明かりが灯る。カメラは据え置きで動かない。現われたのはひとりの女性。背後には横長の鏡、備え付けの椅子、メイク道具一式。そこが楽屋であると瞬時にわかるアイテムばかり。ふとカメラの背後の部屋にも明かりが点く。カメラの死角で見えないはずのその部屋の拡がりを、鏡の存在が自ずと浮かび上がらせる。そうやって視界は拡がりを増す―。

われわれは順を追ってこの部屋の奥行きを把握することができる。カメラの位置としてこれ以上の答えは存在しないだろう。このあまりに精密な目線の決定、語り口のあり方に嘆息すらこぼれてしまう。

ここから発展していく各シークエンスを見ても、あるいは全体を通しても、同じような手法がまるでアマルリックの流儀や作法でさえあるかのように貫かれている。ひとつの切り口から徐々に間口を広げ、全体像を把握していく。一見コミカルなようでいてその実、繊細かつ丹念でさえある語り口によって、僕らは最終的にこのジョアキムという主人公の抱える悩みと、屈辱の過去、そしていま彼が共に生き抜くファミリー=一座たちへ注ぐ限りない慈しみを、先のカメラのように空間把握的に受動することができる。

カメラが見せる部分と、見せない部分。そしていつしかそれが鮮明に浮かび上がる展開時に、カメラが“あるべき場所”にあるということ。これらすべては冒頭の楽屋シーンの応用のように思えてならない。またその呼吸の繋ぐ被写体と観客の親密な関係性が、知らず知らずのうち我々の体内に本作への限りない愛情を育ませるのだろう。

本作のマチュー・アマルリックは2010年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した。

この映画のあまりに静かなクライマックスを目にしながら、ふと授賞式の映像が頭をよぎった。劇中、およそ賞とは無縁の破天荒なステージを繰り広げる一座が、あのときばかりは皆、“ありえない場所”を“あるべき場所”に転換させて、カンヌの壇上に勇壮と立っていた。そのことに胸熱くなるものを感じたのだった。

根無し草のようで、根無し草ではない。少なくともカメラは自ずとそう肯定している。

彼らのツアーは、あるべき場所を探し求める、いわば“巡礼”のようなものだったのかもしれない。

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