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2011/10/18

【レビュー】pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち

なるほど、そう来たか。『アバター』以降、様々な3Dを目にしてきたが、実際のところドキュメンタリーというジャンルほどこの質感にフィットするものはない。やはり観客は、最終的に3D技術を“目的”としてではなく、紛れもない“手段”として選びとっていくのだろう。

Pina

そしてこれは急逝した伝説の舞踏家ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踏団が、ピナへの思慕を抱えながらも、いまその独創的パフォーマンスを全力で映像に焼き付ける作品だ。監督を務めるのはピナと親交の深かったヴィム・ヴェンダース。「ヴッパタールを撮るには3Dしかない!」と閃いた彼は、製作直前にピナの死に直面し、企画中断を余儀なくされながらも、いつしか再び立ち上がった。資料を紐解くと、彼は『アバター』を観ながら3D技術について幾度も研究を重ねたという。(ちなみに最近3D技術に挑戦した監督にドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォークがいる。彼は劇場で『アバター』を観ながら、だんだんと気持ちが離れていって3D眼鏡を外してしまったんだとか)

そこでついにお目見えする映像には時おりピナ自身も登場する。その存在は今なお団員やヴェンダース、そして観客の心のうちに生き続け、日常の中のささやかな創造性に火をつけ続ける精霊のごとし。いつしかセッティングの始まる舞台。幕開け。四季の移り変わりを最小限の身体の動きで祝福するパフォーマンスで列を組んで登場するヴッパタールの面々。もうここから鳥肌モノだ。客席に備え付けられたカメラが舞台を捉える。それは例えるなら、深夜、人間が寝静まったのを見計らって妖精たちが箱の中で全身全霊を込めて踊り続けている風景―そんなふうに僕には思えた。そして時にカメラの視点はグングンと舞台の内部にまで潜入し、優雅な舞のみならず、演者の激しい呼吸、筋肉の隆起さえも映しとっていく。

通常のドキュメンタリーならば取材者はカメラの背後で影になるべきなのだろうが、本作ではヴェンダースが、その存在こそ露わにしないまでも、技術や構成その他の面々で持てる芸術性をすべて注ぎこんでいる。団員が舞台を飛び出し、街のそこかしこで踊るとき、その画面構成はやはり数々の名作でお馴染みのヴェンダースの“画づくり”そのものなのだ。その意味で、彼自身も紛れもない出演者のひとりと言える。

いまふと「参加型」という言葉が頭をよぎった。

確かに常人にはあのダンサーたちような身のこなしは不可能かもしれない。だが、本作では誰もが舞台上のパフォーマンスに“自分”を添え、自分なりのやり方で、手を伸ばし、脚でリズムをとりながら参加することができる。

これはもともと存在する「作品」を再現したものではない。紛れもない一回性の体験。目の前に繰り広げられている「瞬間」を駆け抜ける冒険である。

そこにいま新たな観客が参加し呼吸を共にすることによって、舞台芸術とも全く空気の異なった唯一無二の息遣いを持った劇場空間が、世界中の映画館に星の数ほど生みおとされていくことになる。

それが3D映画『pina』の最たる祝祭性なのだと思う。

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