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2011/10/24

【レビュー】一命

狂言強盗というのは聞いたことがある。では、狂言切腹はどうだろう。

時は江戸初期。生活に困った浪人侍が大屋敷の門をくぐり、「庭を貸してくれ。切腹がしたい」と願い出る。屋敷の主人は驚いて、「切腹とは穏やかではない。何か事情がおありか?」と相談に乗り、果てにはその侍に「これを生活の足しになさい」と金子さえ与えてくれる。このことを耳にした輩が次から次に同様の手口で狂言切腹をダシに金子を手にしているという。

そしていま、ひとりのやつれた男が井伊家を訪ね、かぼそい声で「切腹をさせていただきたい」と言う。家人は彼を座敷に通したうえで、「考え直すなら今のうちだ」と諭し、こう続ける。

「以前にもそなたと同じような用件で尋ねてきた若侍がいた。だが当家では狂言切腹なるものは通用しない。彼がその後、どのような末路を辿ったか知りたいか?」

それでも男の決心は変わらない。時は満ち、庭先での切腹の準備が始まる。そして男は、自分の介錯を3人の若者にお願いしたいと言う。が、彼らは皆、どういうわけか行方が分からなくなっている者ばかり。家中の者たちの顔色が変わる。この男はいったい何者なのか?そこで彼がポツリと語り始めたこととは・・・。

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三池崇史の容赦のない演出には『十三人の刺客』に続いて圧倒された。前回は動だが、本作はとことん静でいく。しかしその静謐な世界観の中でとんでもない人間の残酷さと、その対極にある純粋さが激しくせめぎ合いを見せる。その背後には関ヶ原の合戦からだいぶ経ち、平和な世の中が浸透するにつれて武士の価値観が少しずつ変容をきたし始めている社会状況がある(『十三人の刺客』はそれから更に時が進んだ江戸末期が舞台だった)。

ここに描かれる顛末はそのような日常に投下された劇薬のようなものだ。登場するのは刀は差しても合戦はおろか、人を切ったこともない者ばかりである。その渦中で瑛太が見せるハラキリの無念さ、エグさ、とことんさ。あそこが目をそむけたくなるほど酷いからこそ、後続の物語がその余韻のもとになだらかに連なっていったのだと思う。よくぞ躊躇せずにあそこまで描ききったものだ。

そして肝心の市川海老蔵はというと―。

数ヶ月前、この映画の音楽を手掛ける坂本龍一(彼のサウンドトラックは、水滴や風の音さえも聴こえてきそうなほどの静謐さに富んだものだった)がJ-WAVE「Radio Sakamoto」の中で海老蔵の起こした傷害事件について「あれは仕方ないと思った。(当時、彼が取り組んでいた役は)それくらいの壮絶な役だから」と語っていたのを思い出す。

事件の前日に映画を撮り終えたばかりだったという海老蔵は、役が沁みついて離れないまま、あの事件の日を迎えたのだろう。そして気持ちの整理が付かないまま、荒れてしまったのだろう。その行為は決して正当化されるものではないが、実際にこの映画を目の当たりにすると、役者とはこれほどまでに壮絶な職業なのかと、そのギリギリまで追い詰められた表情、目の動き、そして嗚咽に近い感情の発露の映し出される様に打ちのめされた。海老蔵が役作りにおいてとことんまで自分を追いこんでいたのは間違いない。そうしなければ表現できない境地に彼は達していた。海老蔵だとか、11代目とか、容疑者だとか、そんなスクリーンの外の事象を吹っ飛ばすほどの人生を背負ったキャラクターがそこには存在していたのだった。

一方、本作が時代劇史上はじめて3Dに挑戦したことはどのような成果を遺しただろうか。

そもそも三池崇史の『十三人の刺客』を観た時、僕はその冒頭、日本家屋の小さな扉を開くたびに次から次に恐怖譚が飛び出すという趣向に慄きながらも魅了された。あの極度の閉所感覚は他国では考えられないだろう。『十三人の刺客』を海外映画祭で発表した三池は観客の反応からそのことを実感したはずだ。

だからこその『一命』の3Dである。あの欧米人にとっては縮尺を間違えたかのような閉所感覚と、ふとした瞬間に柱と柱の隙間に引きずり込まれてしまいそうなほどに深い闇。それら表現するには3Dはまさに取り組み甲斐のある新技術と言えるだろう。

が、弱い。せっかく多様な日本家屋の建築技術が登場するのである。その細かく造りこまれた意匠、そして光&影のコントラストを世界に知らしめることのできる最高技術を手にしながら、それを充分には生かし切れていない。3Dはもっと深く表現されていい。もっとデコボコしていていい。そして臆せず、暗闇の裂け目として、もっともっと闇を表現していい。その意味で特筆すべき効果を上げていたのは、冒頭の玄関口を映し出したシーンと、雪の舞い落ちるシーン。これくらいだろう。

序盤に映し出される勇壮な鎧兜は、クライマックスではすっかり形骸化した象徴と化している。そのことが指し示す意味合いは深い。と同時に、昨今の大作映画における3D技術がこのような「鎧兜」になっている例がどれほど多いことか。奇才・三池崇史のことである。もしかするとそのような意味合いを含めての壮大なアンチテーゼだった・・・ってこともあり得るのだろうか。

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