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2011/10/25

【TIFF】プレイ

『ドラゴン・タトゥーの女』や『ぼくのエリ 200歳の少女』、それにスザンネ・ビアやラース・フォン・トリアーという突き抜けた存在も。北欧産の映画はいつも観客の感性に何かしら鋭利な刃物を突きつけ、それが低温過ぎるあまり、僕らはそれに刺されていることにさえ気づいていない。気が付くと胸元から血が・・・血がっ!

第24回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されているスウェーデン映画『プレイ』もその一端を担う作品だ。主な出演者は子供たちのみ。ショッピングモールでの長回しにはじまる冒頭、黒人少年グループが同年代くらいの白人の男の子に声をかけ、すかさずぐるりと取り囲む。それは一言で言えば“カツアゲ”。しかしそこに暴力はいっさい介入しない。彼らは矢継ぎ早に言葉を並べ立て、一人が血気盛んならばもう一人はそれを抑える役目といった具合に巧妙に連携しあい、次第に対象となる“カモ=白人少年”を精神的に追いこんでいく。

Playtiff
題材となったのはスウェーデンで本当に起こった事件。作り手はこの少年たちの巧みな連携プレーにドラマツルギーにおける魅了効果、つまり"Play(演劇性/遊戯性)"を見出したのだという。

周囲の大人たちもこれが暴力沙汰となれば咄嗟に止めに入るのだろう。しかしここで映し出されるのはあくまで子供たちの対峙に過ぎない。カモの男の子たちも「大人の助けを求めなきゃ」と「いや、自分でなんとか対処できるかも」の微妙なラインで踏みとどまり、これがアリ地獄のように深みにはまっていく。

17_1 店内で、街中で、電車内で、黒人少年たちは怖いものなど存在しないとばかりに、大人たちまでも小馬鹿にしてケラケラと笑う。スクリーンを眺める自分も次第にムカムカを取り越して、“意志疎通のできない恐怖”に震えが止まらなくなる瞬間に苛まれた。日本のような国ならまだ安全だが、多種多様な民族が共存する西欧諸国ではこんな情景も日常茶飯事なのだろうか。観客には当然、これを「不快だ!」としてすぐさま放り出すことも可能だ。しかしそれは日本の安全無臭な島国気質を世界のリアルに求めてしまうかのようで、逆に自分がカゴの中の鳥であることを露呈することに繋がりかねない。とりあえずはこの顛末を見つめてみよう。それが国際映画祭の意義ではないか…

なんとか気持ちを落ち着け、座り直す自分がいる。でも3分後、やっぱりムカつきが再発する。この繰り返し。本作においては観客もまた“Play”に参加させられた一人なのだ。まるで少年たちにカツアゲされ続けるかのような2時間。しょうがないので必死になって水中深くから酸素を求めて手をばたつかせ、上へ上へと伸し上がり、なんとかこの映画を上方から俯瞰して見ようとしてみる。

17_2 すると他にも、アンデス地方の衣装に身を包んだ移民たちが、街中で騒音にも似たボリュームで民族音楽をかき鳴らしている様が、時おり意味不明にも挿入されていることに気づく。これも彼らなりの“play”の在り方なのだろう。黒人少年たちの犯罪とはまた別種だが、これもまた観客をひとつのレトリックに誘い込むことによって成し遂げられる何らかの効果を描いているように思える。かくも世の中は、playとplayの狭間に自分のplayを挟みこむことによって強引に成立する、あるいは成立していると思いこむ類のものなのかもしれない。これを鏡面的に受け取るならば、日本の文化は「あらかじめ決められたplay」ということもできるのかもしれない。

また、これもまた時おり挿入されるシーンだが、列車の乗降口に置き去りにされた“ゆりかご”のエピソードも印象的だった。自分のものだと名乗り出る者はいない。そこで“揺られているべき”幼子も存在しない。空っぽ。そして乗務員もまたこれを早急に列車外へ放り出したい。が、それもままならない事情がある―。

この“ゆりかご”が何を象徴しているのかは推して知るべしだ。

それらの描写が幾つも、後になって覆いすがるように蘇ってくる。不気味で、挑発的。まさに映画祭でなければ見られない他国のリアルな現状を冷やかに浮き彫りにした一作だ。

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