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2011/11/09

【レビュー】マネーボール

昔からプロ野球は嫌いだった。幼いころ大好きな番組がどれほど野球中継で潰されたことか。いつも「雨になれ!」と願っていた。いまだにバットの振り方も知らない。「ボールをよく見て打て!」ってアドバイスされてもその意味が分からない。今の運動神経ではフライもまともに取れやしないだろう。

そんな俺が、今ではどうだ。『マネーボール』を観ただけですっかり野球の専門家にでもなった気分に浸っている。ここまで引きこまれた理由は明らかだ。この映画が野球のウンチクや講釈を垂れるようなものではなく、主人公ビリー・ビーンの人生をじっくりと醸成していく深い香りと味わいに満ちていたから。

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ビリーはオークランド・アスレチックスのジェネラル・マネージャーだった。かつては鳴り物入りの選手として球界入りしたものの、良い成績が残せず、10年後にスカウトマンに転向。そこでの裏方として能力を発揮し、いつしかGMの地位にまでのぼりつめた。

ヤンキースやレッドソックスなどの強豪とは違い、彼ひきいるアスレチックスは資金力の上で極めて脆弱な球団だった。今年も惜しいところで競り負け、その後のオフではせっかく素晴らしく育った選手が次々に他球団へと引きぬかれていく。空いた穴をどの選手で埋めるか。スカウトマンたちは自分の直感を無根拠に信じ、まるで預言者が博打を打つかのように無名選手の可能性を論じ合う。当然、確たる答えは得られない。ビリーにはそれがうんざりだった。その球界の現状を変えたかった。貧乏球団でも強豪に対抗し得る秘策が欲しかった。

ある日、彼はその“答え”となるべき人物と出逢う。大学を出たばかりの若造にして、跳び抜けたデータ分析能力であらゆる選手の可能性を数字として算出するその男の名は、ピーター・ブランド。「選手じゃなく、君を買う」。いつしか強固なパートナーシップで結ばれた彼らは、周囲の大きな反発に合いながらも、この「マネーボール理論」に基づいてチームを再生させようとするが・・・。

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“深い香りと味わい”を焙煎しえた本作の立役者は、大きく見て3人存在する。

ひとりは昨年『ソーシャル・ネットワーク』でハリウッドで最も注目すべき地位にまで昇りつめた脚本家アーロン・ソーキンだ。またしてもソニー・ピクチャーズ作品で手腕を振るうことになった彼は、原作の中からビリーの人生の支柱を巧みに抽出してみせる。もちろん、いつものソーキン作品らしく、主人公は孤独な闘いを強いられる。だがそれにも増して重要なのは、「マネーボール理論」に挑もうとするビリーの現在と並行して、若き日(選手時代)の彼の挫折さえもノスタルジックに描いてみせる点だ。

この回想パートでわだかまっていく感情こそが、未来のビリーをひとつの決断に踏み切らせる原動力となる。いいかえれば、“若き日の自分”の疑問に対して、“今の自分”が数十年のインターバルを越えてようやく答えを返すという構成になっているわけだ。そうやって人生を一本の線上で集約させていく。その過程が実に丹念に描かれている。

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もうひとりは、ビリーを演じるブラッド・ピット。ここ最近では映画の部品に徹することが多かった彼が、かくも単独主演として久々に主人公の人生を演じきる。映画製作者として裏方に回ることも多くなったせいか、ピットが何よりも俳優としての観察眼を磨き上げていることに驚かされる。これまでのどの演技よりも自然で、構えることなく観客をすんなりとその人生へと導き入れてくれる。

順撮りとは限らない撮影現場でこれほどブレのない一本線を形成していける技。共演者との間に香る絶妙な空気感も然り。さらには演技に没頭すればするほど、彼のもう一つの目線が自らを冷静に俯瞰して見つめている気配さえ感じる。少なくとも、過去のフィルモグラフィーの中で最も演技的に成熟したピットにであることは間違いない。

そしてベネット・ミラー監督。もともと本作は“チェ・ゲバラ”2部作で知られるスティーヴン・ソダーバーグが手掛けるはずだったが、ミラー監督が代打としてボックス入りすることに。『カポーティ』でフィリップ・シーモア・ホフマンに主演男優賞オスカーをもたらしたこの才能が、またもやキャラクターの人間性を入念に引き出していく。奇をてらった手法などなにもない。が、この監督はどんな場面にでも、それこそ狭くひしめき合った会議室や暗い資料室でもグッと観客の主観を引き寄せるドラマを形成できる。まさにスタジアムだけでなく、その舞台裏でも様々な事件や駆け引きが繰り広げられていることを様々な角度から抽出してみせる。

また前作とは体感温度がかなり異なるのも今回の特徴だ。『カポーティ』では常に冷たい隙間風が背中を撫でるゾクっとした気配を感じさせたが、本作ではビリーの一人娘の存在が、つねにどこかから守護天使が微笑みかけているかのような温かな生気をもたらしてくれる。陰から陽へ。寒から暖へ。

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ミラー監督が投入する役者陣も見逃せない。前作の“トルーマン・カポーティ”ことシーモア・ホフマンが髪を短く刈り込み、チームの監督役で出演しているのにも驚かされる。おなじ小太り俳優ジョナ・ヒルも髪をきっちりセットし、これまでのコメディ俳優としての印象を払しょくする存在感でブラピとのコンビネーションを醸成。つくづく映画とはある意味、全員野球なのだなあと思い知らされる。パーツパーツでの仕事ぶりがいかに映画全体を輝かせていることか。

ただし、この映画は80年代に見られたベースボール映画の王道クライマックス=観客総立ち&大歓声とは一線を画すものだ(これは80年代映画だったら、スタジアムでの大団円は欠かせなかったろう)。本作が紡ぐのはあくまで一人の男の人生。そこに大観衆は必要ない。決断するのは自分自身。彼が最後の舵をどの方向へ切りだすのかにこそ、我々は大いに注目すべきなのだろう。

また本作はなにも極度に「データ至上主義」を謳った物語というわけでもない。当時の野球界はこの手法が“異端”と呼ばれるほど伝統主義に凝り固まっており、ビリー一味はそこに大きな風穴を空けようとした。その挑戦こどが要なのだ。何か新たなことに挑むとき、そこには必ず行き先を阻む者が現れる。それを乗り越えようとしてこそ初めてドラマが息づく。つまりはこの『マネーボール』も、多くの先人達が歩んできたのと同じ、普遍的な物語といえそうだ。

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