2011年5月 9日 (月)

【レビュー】ザ・ファイター

試写で腰をおろしたのは最前列だった。決して近すぎることはなかった。なにしろボクシングのファイトシーンを凌駕するほどの人間と人間との白熱したコミュニケーションのバトルを、毛穴レベルで観戦できたのだから。

これは崖っぷちに立たされたボクサーの再起の物語かもしれない。だが、年齢的にも体力的にも後がないはずの彼は、常にある種の、幾層にも渡る皮膜のようなもので守られている。それは地域社会であったり、恋人の存在であったり、そしてあの、奇妙な因縁と連帯感で結びついた巨大な家族の力であったり。

Fighterあんなにも面倒くさくて、しかしながら底知れぬ炎に包まれた人間社会の最小単位の人々が、この映画の中でひとつの試練と達成とを共有する。とりわけダンナすら足蹴にしそうなメリッサ・レオ演じる“とにかく凄すぎるママ”は、思うがままに家族をコントロールしようとニワトリのようにトサカを尖らせ、その様に観客を茫然とさせる。彼女ひきいる娘たちも、まるでアマゾネス集団とも言うべき異様な威圧感で他者を圧倒する。

また、クリスチャン・ベイル演じる兄貴は過去のたった一度の栄光を(それも相手がリング上の汗で滑ったおかげで勝ったというもの)人生の金メダルとして掲げ、それでいて、ひとたび苦難が迫るとすぐにクスリへと逃げる始末。しかしそんな自分の姿を心のどこかで必死に悔いてはいる。そしてトレーナーとして、愛すべき弟ミッキーをチャンピオンに導きたいと人一倍願っている。

主人公ミッキー・ウォードにとってみれば、彼らの存在は邪念ともいうべき足枷そのものだ。それを粉砕すれば、彼は途端に農場から解放された奴隷のごとく自由に羽ばたけるのかもしれない。

恋人もそう強く促す。「あの家族のもとに戻っちゃだめ!」と。アマゾネスとヤク中は血相を変えて反論する。「帰ってこい!われわれはファミリーなんだ!」と。

ふたつの両極端な主張に引き裂かれるように、ミッキーが下した決断が極めて象徴的だった。

彼はどちらの主張も絶対に切り捨てはしない。家族も、恋人も尊重しつつ、その両方を抱き締めながら栄光に向かって歩んでいく。

Thefighter このシーンを見つめながら僕は、以前、監督のデヴィッド・O・ラッセルにインタビューしたときの記憶を想いだしていた。それはちょうどアメリカがブッシュ大統領の再選を決定した時分だった。そのとき前作『ハッカビーズ』について投げかけた僕の質問に対し、彼はこう口にした。

「この国はすっかりレッド・ステイツとブルー・ステイツに分けられてしまったかに見える。でも大事なのはそんなことじゃない。数ある選択肢から自分の直感と判断に基づいて何かを掴み取るということなんだ」

映画も、政治も、往々にして物事を単純化しがちだ。赤か青か、恋人か家族か。生きるべきか、死ぬべきか。

人生とは選択によって切り開かれていくものと誰かが言った。しかし時に大事なのは、切り捨てることではなく、その両方を同じ圧力で抱き締めることなのかもしれない。

あのときのデヴィッドの言葉が、『ザ・ファイター』によってさらに濾過され、純化された状態で胸に響いてきた。そしてアカデミー賞では主役を差し置いて助演男優賞(ベイル)、助演女優賞(レオ)を獲得しながらも、実は若干影の薄いミッキーこそが、すべての調和を試みる世界の中心であり、その意味において彼はリングでも実生活でも真の「ファイター」であったことに相違はない。

この世に無駄なものなんて何ひとつ存在しない。

思い返せば、収監中の兄貴は弟の試合をつぶさに電話で実況してもらいながら、その勝利が決まると思わず「うぉー!」と咆哮する。その瞬間、兄の周りを勢いよく回転するカメラの動きに共振しない観客はいまい。

また冒頭、このウザい兄貴が工事現場でチャンピオンのごとく拳を天に突き上げると、カメラはそこから猛スピードで疾走し、止まらなくなる。かくも心に宿した激情とカメラとを絶妙にシンクロさせ、そこから生じるヴァイタリティによってこの物語に弾みをつける。その手の役回りは、実は全てこのダメな兄貴の仕事だった。

Melisaそして、ふと気づけば、あのママも、単なる猛烈アマゾネスなどはなかった。息子にどれだけ罵られて激高しようとも、決して袂を分かつことはなく、事の成り行きを執念深く見守りつづける。

彼女はきっと家族のためと信じたならば自分が一手に悪役を引き受けることだって辞さなかったろう。クライマックスではあれだけ反目しあった息子の恋人とリングサイドで言葉を交わすシーンがさりげなく盛り込まれる。そして勝利者となった息子の雄姿に、心の底から歓喜の情をほとばしらせる。

もしかすると、この映画で最初から最後まで巨大な石のように不動の重心を担い続けていたのは彼女だったのかもしれない―。

そんな“凄すぎるママ”こと実在の人物アリス・ウォードが、4月27日に亡くなった。享年79。

今年の母の日を、ウォード家の面々はいったいどのように過ごしたろう?巨星を失った彼らの傷心は察して余りある。

そんなことを考えるにつけ、『ザ・ファイター』はこの地上におけるあらゆる母親たる存在に、心からの感謝の意を捧げるべき映画なのだと、そう思えてならなかった。

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2011年1月 5日 (水)

英国王のスピーチ The King's Speech

個性的なキャラには事欠かないイギリス王室史から、またひとりの逸材が発掘された。その人の名はジョージ6世。娘の(現女王)エリザベス2世の栄光のせいで歴史の影に隠れがちな王様ではあるものの、逆境を耐え忍ぶその姿は、混沌とした現代だからこそ力強い共振をもって観客の心に迫ってくる。

本作は幼い頃から「自分がここにいていいんだろうか?」とその正当性を問い続けてきた王様のお話だ。ジョージ5世の次男として生まれ、継承順位から言えば兄に次ぐ立場。国家や民を思う心は人一倍なれど、彼には幼いころから抱えた弱点があった。それは言葉を発すると必ず吃音を伴ってしまうこと。今日も国家行事でのスピーチが虚しい結果に終わり、彼は傷心を抱えたまま自宅で娘たち(マーガレット&エリザベス)をしっかりと抱きしめる。

そんな彼の愛妻が、すがるように最後の望みを託したスピーチ矯正の専門家がいた。ロンドンの深い霧をかき分け辿りついた、王家の者にとってはまるで不思議の世界とも思しき薄暗い診療所で、ひとりの豪州男が出迎える。その名、ライオネル。この先、彼とジョージは二人三脚でこの難題に取り組んでいくことになるのだが・・・。

時代は移り変わる。前王は死に、続く兄エドワードは王冠を捨てて既婚者との婚約(イギリス国教会では禁じられている)に走った。これぞ運命の皮肉。王位はジョージのもとへ巡り、時を同じくしてイギリスには戦争の足音が忍び寄ってくる。。。今こそ国民にとって王の力強いスピーチが必要な時!涙ぐましいコーチングは、はたしてジョージの吃音を克服させられるのか?

Thekingsspeech_2   
『シングルマン』で艶やかな演技を魅せたコリン・ファースが、今回も極めて難易度の高い演技に挑んでいる。アクセル踏んでは急停止する車のごとく、彼の発話はスタッカートに次ぐスタッカート。自分の意見をほんのワン・センテンス表明することさえ困難を極め、ましてやスピーチときたら意味不明の混沌を充満させてしまう逆カリスマぶり。だが被写体に肉薄したカメラワークはジョージの物腰や表情、しゃべり方を克明に捉え、彼の繊細な心の動きを言葉以上の的確さで観客へ伝えていく。

「自分は王にふさわしいのか?」「自分はここにいていいのか?」その想いは日に日に大きくなっていく。しかし、彼は一度たりとも、そこから逃げ出してしまおうなどとは思わない。国民のために粛々と運命を受け入れ、自分のふがいなさに打ちひしがれながらも希望を失わず、前を向いて歩んでいこうとする。

本作を観ながら、どういうわけだか「王室の演劇性」という言葉が浮かんだ。代々続いてきた伝統と言う名のコスチュームを身にまとい、自分がその役柄にとって“ホンモノ”なのか“ニセモノ”なのか思い悩みながらも、いざ舞台の幕が上がればエンディングまでショー・マスト・ゴー・オン。本作にはそんな三谷作品にあるかのような高揚感さえもが重層的に織り込まれ、観客を静かに魅了し続ける。

また、主人公の陰影を強めるのが、ジェフリー・ラッシュ演じるライオネルという存在だ。

彼は発話の治療を施すエキスパートである一方、いつの日か俳優として英国の舞台に立ちたいと願っている変わりモノ。だが、オーストラリア人である以上、彼が舞台で英国人のセリフを口にすることは叶わぬ夢に等しい。今日もオーディション会場で演出家にそっけない評価を突きつけられた彼は肩を落として帰途に着く。

ここにも「望むべき役につけなかった男」が存在するというわけだ。しかし彼の目前にはいま、神の啓示のごとく新たなミッション=王の治療が突きつけられている。このときライオネルは「自分ならばジョージを救えるかもしれない」ときっと感じ取ったはず。

身分も、出身も、抱え持った宿命もまるで違う。だがジョージとライオネルは互いに人生を、自分自身ではない誰かのために捧げようとする。その宿命を甘んじて受けとめ、ときにはユーモラスに、ときには激しくぶつかり合いながらも、いつしか固い友情でさえ結ばれていく。その意味で彼らは表裏一体を成す存在といえるのかもしれない。

そしてふたりが共に挑むラストのスピーチは、自分ではない誰かのために奏でられるからこそ、あんなにも荘厳に、なおかつ現代の観客の五臓六腑にも沁み渡るほどの誇り高い響きを獲得するのだろう。トム・フーパー監督によるこのハイライトシーンの演出術にも注目したい。

オスカーに向けた賞レースもいよいよ本格化。デジタル世代の神話&作話の新しさで注目を集める『ソーシャル・ネットワーク』と、オーソドックスなストーリー力学を丁寧に駆使し幅広い世代に訴求力のある『英国王のスピーチ』。はたして米アカデミー協会の民たちはどちらの王に軍配を上げるのだろうか。

Long live the King !!

なお、本作のサブ・テキストならぬサブ映画としては、ジョージの娘エリザベス女王を描く『クイーン』や、ジョージの兄エドワードと米国人既婚者のウォレス・シンプソンとの愛をテーマに掲げる"W.E."(マドンナ監督作として現在製作中)、悲劇の王子と呼ばれたジョージの末弟の物語「プリンス」、さらには本作のセリフに登場する「頭のおかしくなった国王」ジョージ3世については『英国万歳!』に詳しい。

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2010年12月12日 (日)

ヒア アフター

かつて丹波哲郎は、自身の長年に渡るライフワークを注ぎ込んだ監督作の表題で「死んだら驚いた」と打ち出した。死とは誰の身にとっても言いようのない恐怖であり、それゆえ人類の飽くことなき興味関心の対象となりつづけ、それにまつわる多種多様な解釈は世にある宗教の最も核心的な部分を成してきた。

『ヒア アフター』はクリント・イーストウッドにとって未体験ジャンルだ。もちろん彼は、宗教者などではないどころか、これまでのフィルモグラフィーではいったいどれだけの敵対者を銃口の煙の彼方へ葬り去ってきたか知れない。法からも神の道からも逸れた文字通りの“アウトロー”なのだ。

そんな彼が死の向こう側へと想いを馳せる。いや、それは正確な表現ではない。この映画では「あの世」の具体的なビジョンなど何ひとつ登場しないからだ。メインとなるのはあくまで「この世」。それも“失った人”や“あの世”のことを必死に考え、思い悩む人間たちの孤独な姿にカメラは真向かいつづける。

それゆえこの映画にはなにひとつ嘘が無い。未知なる領域へ踏み出しながらも、「死へ想いを馳せる人間たち」という究極のリアリティに踏み留まる謙虚さ、視座の確かさ。これぞイーストウッドならではの語り口と言えよう。

Hereafter

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2010年10月28日 (木)

【レビュー】ザ・タウン

ボストンの犯罪多発地区―。

『ダークナイト』のオープニングをも思わせる周到な銀行強盗から幕を開ける。ドクロのマスクを被った男たちは機敏にその場を征圧し、ひとりも犠牲者を出さぬまま巨大な金庫から大金をせしめ取る。そこでマスク越しに出逢った女性支店長と強盗団リーダーのダグ。彼らが街角で再会するとき、そこには仄かな愛情が芽生えはじめることに。

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と書くと、『ザ・タウン』がまるでロマンティック・コメディか何かだと思われてしまうかも。本作を観る前の筆者の懸念もそこにあった。きっと10年前くらいならベン・アフレック主演でそういうジャンルもあり得たのだろう。

だがこの触感、これまでと全く違うのだ。映画は冒頭から終盤まで常にストイックに駆け抜ける。男女のロマンティックな要素も身を切るように辛く、切ない。そして街に広く展開するアクションシーンはまるで『ヒート』を彷彿とさせるほど熱く渇いている。恐らく低温ヤケドとはこのことを言うのだろう。

同じく故郷ボストンを舞台にした『ゴーン・ベイビー・ゴーン』もそうだが、監督進出後のベン・アフレックにはある種の堅い決意が伺える。それは、知らないことはやらない、理解できないことはやらない、自分に嘘はつかない、ということだ。彼はかつて他の監督や製作者によってめちゃくちゃにされてしまった「俳優ベン・アフレック」の肖像を、ここで立て直し、見事に機能させてみせる。あの目の物悲しさ、想いをストレートには伝えられないもどかしさ、負の連鎖を止められない悔しさ。きっと誰もが彼の等身大の演技&骨太な演出に感銘を受けることだろう。

そして何よりも、この映画の主人公は、やはりひとつの“街”なのである。

このコンセプトが鮮明だからこそ本作はかくも素晴らしく仕上がった。なにしろベンは原作小説「強盗こそ、我らが宿命」(チャック・ホーガン著)の映画化にあたり、まるでドキュメンタリーでも作るみたいに、その土地の人間に話を聞き、犯罪に手を染める側、それを取り締まる側の苦悩と葛藤に耳を傾け、ストーリーは二の次だとでも言わんばかりに、その香り立つほどのリアリティが作品内に自ずとひとつの真実の砦を築いてく過程を見守った。そして『ゴーン・ベイビー・ゴーン』と同じく地元の俳優やエキストラたちを数多く起用し、彼らがほんとうに泣けてくるほど素朴で温かいリアルな呼吸を本作に吹き入れている。

それら故郷の街並みや人々の暮らしがまるで細胞のごとくうごめき、それぞれを支えあうことでひとつのキャラクター=タウンが立ちあがった。ブルックリンを舞台にした『クロッシング』(アントワン・フークア監督)もそうだが、映画は地元と一体化したとき、他では決してありえない異様な身体を獲得し、さらに進化・増殖することを辞めない。

これはまさしくベン・アフレックにしか描けなかった故郷へのラブレターであり、この不況期における力強い街興しでさえあるのだろう。全てにおいて新しい映画作りのかたちがここにはある。それを他でもないベン・アフレックが成立させてしまったことが嬉しくてならない。役者として一度はハリウッドから見放された男が、である。この逆襲はとても華麗で、なおかつ心から信用できる。なにしろ彼はいま、ありのまま、なのだから。

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