2011年5月10日 (火)

【レビュー】メアリー&マックス

大学生になって上京したてのころ、慣れない新宿の真ん中で街頭アンケートに答えたことがあった。その中の設問を今でも忘れない。

「人間は究極的に、孤独な存在だと思いますか?それとも、どこかで誰かと繋がっていると思いますか?」

当時の僕はなんの躊躇もなく「孤独」にマルをした。が、それは間違いだったと今では思う。実際、僕が孤独だと思い込んでいたものは、その孤独をを受け入れてくれる、周囲の温かな繋がりによって成立していた。僕は単に視界が開けてなくて、それが見えてないだけだった。

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メアリー&マックス』を観ながらどうしてそんな遠い日の記憶がよみがえったんだろう。これはオーストラリア・メルボルンに住む薄幸な10代の少女と、アメリカ・ニューヨークで暮らす40代の中年男性との20年間に渡る交流の物語だ。

少女メアリーはアルコール中毒の母親に育てられ、学校ではいじめられ、それでも人生はそんなものなのだと思っている。幸せな自分の姿をこれまで一度も見たことがないから。

そんな矢先、ふと湧きあがった疑問を誰かに尋ねようと想っても、尋ねるべき人がいない。彼女には友達がいなかった。

なので、ふいに破り取った電話帳に載っていた人物に手紙を出すことにした。まるでダーツの旅のような要領だ。受取人はニューヨーク在住のマックスという男性だった。

Maxマックスは独特な人だ。アスペルガ―症候群を抱え、不安が膨らむと心が爆発したきり戻ってこれなくなることもある。友人はいないようだ。唯一、部屋の隅からじっとこちらを見つめている人の気配を感じることがあるが、これは彼の病状がもたらすものらしかった―。

もしも彼らが新宿の真ん中で同じ質問をされたなら、いったいどう答えただろうか。躊躇することなく「孤独」にマルをしただろうか。あるいはメアリーはまだ孤独というものを知らず、「繋がっている」と答えただろうか。

この物語はビター・コメディと言わんばかりにふたりの運命に悪戯をしかける。ふたりは手紙を通して繋がろうとしたあまり、いつしかその手痛い代償を支払う羽目になる。言葉はときに誤解を生み、絶望を突きつける。唯一の友から返事が来ない地獄なんて、友を得る前には知るよしもなかったものだ。

だがここで不思議なことに気づく。主人公たちはこんなにも苦難の日々にさらされているのに、僕らはこの映画を観ながら、絶望とは真逆の、大きな希望さえ感じている。ふたりの姿を目の当たりにしながら、心が陽だまりの中へいざなわれていくのを感じる。なぜだろう。

Mary 答えは明白だった。クレイ・アニメによって綴られる語り口があまりに優しく、このカメラが、作り手のまなざしが、言葉を超えた映像の魔法で、彼らの孤独を柔らかく否定してくれるのだ。

僕らが客席に座りこの視点に同調すると、彼らへ注がれた作り手の愛情がとめどなく流れ込んでくる。長所はおろか欠点さえも、唯一無二の個性として描かれるこのひととき。ペンギン・カフェ・オーケストラの名曲"Perpetuum Mobile"に乗せて、日常における一挙手一投足から都市の全景に至るまで、そこに息づく生命をありのままに抱き締めていく視点がそこには介在する。彼らは孤独ではない。つねに誰かの大きな愛によってスクリーンに照射されている。

ある人はそれこそ神の目線というかもしれない。ときに作り手というものは神の肩代わりをさせられる。仮にアダム・エリオット監督がそう呼ばれるとしたら、彼は2人にとってあまりに慈愛に満ちた神様なのだった。

*******

マックスは確かにアスペルガ―という病を患っているかもしれない。だが、クレイの魔法とも言うべきディフォルメによって、そのハンディキャップはいつしか、一人の人間の類稀なる強烈な個性として成立している。そこには語り継ぐに足る個性豊かなキャラクターが存在するだけだ。

そうしているうちに、またどこかから"Perpertuum Mobile"の調べが聴こえてくる。

日常が波のごとく寄せては返す。

かつてポール・オースターは「事実とは時に小説よりも奇妙なもの。だからこそ、この日常が持つ、ウソのようなホントの奇跡を、小説にも取り入れてみたい」と語った。事実に着想を得て紡がれたという『メアリー&マックス』は、やがてそのラストで、オースターの言葉を踏襲するかのようなささやかな奇跡をもたらしてくれる。

ほらね、やっぱり孤独なんかじゃなかった。

見上げた空は、一面の絆で覆われていた。それはあまりにも美しい情景だった。

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映画の冒頭に流れるのはペンギン・カフェ・オーケストラによる"Perpetuum Mobile"。寄せては返すさざ波のように、絶え間ない時間の流れをミニマルに讃えながら、なぜかゆっくりと、やさしい気持ちに導いていってくれる不思議な楽曲です。

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2011年4月 4日 (月)

【レビュー】SOMEWHERE サムウェア

映画の見方が分からなくなってしまった。これっぽっちもだ。おそらく世の中には大きな物語と小さな物語とがあり、小さなものは小さいなりに、大きなものは大きいなりに、世界のどこか遠く遠くにいる誰かの心に届くように紡がれていくものだと思っていた。また自分でもそれらの物語にチューニングしてすぐさま感覚を埋没できるように、経験を重ねてきたつもりだった。その自負がいつしか自惚れにすり替わっていたのだろう。ソフィア・コッポラが描く『サムウェア』を観て激しく動揺した。僕の日常に突如として舞い降りてきたこの映画は、僕が丹念に耕してきたと思い込んできた感性の土壌に、全くと言っていいほど着地する場所を見出さなかった。

ソフィア・コッポラはこれまでにも「大きな事件ではない、日常の中のささやかなこと」への着眼を徹底してきた。あの歴史絵巻『マリー・アントワネット』でさえ、彼女の手にかかるとマリーの日常の「ささやかなこと」に着目したガーリーなムービーと成り得てしまった。またそこに巨匠フランシス・フォード・コッポラの娘として映画界、芸能界の酸いも甘いも見つめてきたソフィアならではの目線もシンクロして、大きな物語はごく個人的な、小さな小さな物語へと収束していった。彼女の映画はフィクションという“虚構”の渦中にありながら、究極的にはすべてが等身大の彼女の中に渦巻く“リアル”に端を発している。

そんなソフィアが『SOMEWHERE』では自分と同年齢ほどの男性の目線で世界を見つめる。スティーヴン・ド―フ演じるのは、芸能人御用達のホテル“シャトー・マーモント”に入り浸る、ひとりのハリウッド俳優。先の見えない、先を見つめない生活を送る彼のもとに、ある日、幼い娘がやってくる。いつでも父親ってわけではない。ほんのときどきだけ、父親として側にいてあげられる彼。そうやって娘と暮らしていくうちに、彼の中でも微かな心の変化が巻き起こってくる。ここで娘というファクターが生まれるのは、『マリー・アントワネット』から本作に至るまでの間でソフィア自身が母となったからなのだろう。

本作では冒頭からすべてがくるくると回転している。フェラーリも轟音を立てながらサーキット内をくるくる。ポールダンサー姉妹もふたりそろってくるくる。ダコタ・ファニングの妹、エル・ファニング演じる幼い娘もスケートリンク上でくるくると回転する。それらはすべて主人公の、まるで宇宙空間をゆっくりとキリモミしながら浮遊するかのような心境の投影にも思える。そんな彼がやがてその軌道から抜け出して、フェラーリのエンジンを切り、自分の足で歩きだそうとする。フェラーリやシャトー・マーモントは彼にとって繭のような存在だ。彼はいま、じっとしていれば自分の傷つくことのないその温床からついに羽ばたこうと…

実際にはこの書き方はフェアではない。世にある多くの映画は冒頭から終幕に向けて空気を流動させていく引力によって「いま自分がいる位置」を踏みしめながら観賞することができる。が、『サムウェア』では、あれ、いまどこにいるんだろう?と自分を見失う瞬間がしばしば存在した。そこでは物語の引力に身を任せることが叶わず、無風状態に漂う空気や景色に身を晒さねばならない。誤解を恐れずにいうならば、僕にはこれが恐ろしかった。何も考えずにこのシーンだけを抽出すれば、フォトジェニックな美しい一瞬なのかもしれない。だが僕には一つ間違えるとこれらの風景の中で足場を失い、その場にずっと閉じ込められてしまいそうな、宇宙的な“出口のない永遠”を感じてしまった。それはもう、絶望的といっていいほどに。

映画の見方がわからなくなった。まるで宇宙空間に何年も存在し、それでようやく地球上に戻ってきた飛行士のようだ。僕の中では決して好き嫌いに類別できる映画では無いが、それをあえて前向きにとらえてみることにする。

つまり、こうだ。

映画とはそもそも個人の嗜好では無く、自分自身を知るためのツールなのだ。そして本作のようないわば“未知との遭遇”によってこそ自分の中の秘めたる感性が微かなこれまでに奏でたことのない音響を発するのだ。くるくるから、キリモミから脱出しよう。フェラーリのエンジンをオフにしよう。ホテルからチェックアウトしよう。歩き出そう。そうしていざなわれる場所こそ、“サムウェア”と名付けられた聖域といえるのだろう。

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ソフィア・コッポラのパートナー、トーマス・マーズ率いるPhoenixの"Wolfgang Amadeus Phoenix"は、僕が2011になって最よく聴いているアルバムのひとつだ。『サムウェア』のサントラは洋邦問わずリリースされていないのだが、使用楽曲のいくつかはこのアルバムで耳にすることができる。お薦めの一枚。

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2011年4月 2日 (土)

【レビュー】婚前特急

邦画を潤沢な資金と有名俳優を投入して全国シネコン展開、なおかつ全国ネットでTV告知を大量投下できるメジャー作品と、そうでない作品とに分けるとすると、本作は明らかに後者に属する。それにマーケティングをガッチリと固めてくる前者にくらべると、『婚前特急』の外見上の佇まいは少々飛っつきにくいものがあり、僕個人の主観を例に取ると、あたかもアジアの他国から届いた(“本国では大ヒット”と銘打たれた)ラブ・コメディのような温度差を感じていた。

そんな感じで、うがった角度で観はじめたものだから、「吉高由里子が、5人の男を手玉にとり、その中から本命の恋人を見つける・・・」といった情景にも、僕はやや失礼なリアクションを露わにしていたかもしれない。

いま考えると大変失礼なことをした。

というのも、映画が進むにつれて、だんだんと姿勢を正し始める自分に気付いたからだ。

これまで自分がこの映画について摂取していた表層はフェイクだった。ストーリーの力を超えて本作をリードする吉高由里子は、どんな高飛車なセリフもちょっと掠れ気味の、低音の効いたトーンで、自らの内部にナチュラルに血肉化させて吐き出していく。その一挙手一投足に引きずられる5人の男たちも素敵だ。攻める吉高。受ける男たち。攻める吉・・・。だが、この途上で思わぬ具合にその形勢が逆転する。5枚のカードの中から最もあり得ない男が吉高を追い込み、彼女に隠された怪物性を露わにさせていくのだ。

プロットだけを見れば「うぬぼれたヒロインが苦杯をなめる」という、ごくありふれたものに受け取られそうだが、実際には演出側の挑戦がふんだんに詰め込まれており、製作陣がこの若手監督と俳優らの才能に賭けようとした意気込みが伝わってくる。編集やCGなどでは決して誤魔化しようのない長回しを入念に仕掛け、そこで徐々に醸成されていく特殊な空気をナショナル・ジオグラフィックのカメラよろしく執念深く映し撮って提示してくる。まだいくか?まだカットの声をかけないのか?これは放置なのか?それとも計算なのか?

とりわけクライマックス、文字通りに壁をブチ破り、映画が閉塞感を突き抜ける瞬間、何とも言えない気持ちよさに包まれた。これは同時に「最近面白い邦画に出逢えないな…」と嘆いてきた自分の本音を突き破る開放感でもあった。

今後の作品で前田弘二監督がどんな演出を仕掛けてくるのか。長編第一作目でこれほど驚かさせてくれたのだから、次回作ではもっと凄いことになりそうだ。そしてあの吉高由里子の暴走に堂々と渡りあった浜野謙太(SAKEROCK)の神がかり的な存在感については、いまだにスクリーンで目にしたものがすべて夢ではなかったかと、俄かに信じられなくなるときがあるのだ。

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