2011年6月28日 (火)

【レビュー】BIUTIFUL ビューティフル

重ね合わせる手、一面の雪景色、懐かしい声の響き。男は言う。
「むかし、海のさざ波をずっと聴かせるラジオがあった。すごく怖かったんだ」
海の音、ざざざん。風の音、びゅうびゅう。
どう違う?
そして、あの向こうには何がある?どんな世界が待ってる?
BIUTIFL

302biutiful2010720pblurayx26415gb_2 
冒頭のシーンから心掴まれる、この2時間半の長い旅路。スペル間違いの英単語が、世界でただ一つの想いを形成する。そこに魂が息づく。するともはやBIUTIFULはひとつの概念や経験、遍歴、宿命ですらあるかのごとく身を貫く響きを持って、一概には言い切れない染みや汚濁さえ伴った“美しさ”を照らし出す。

さながらスペイン、バルセロナがひとつの身体のようだ。サクラダファミリアが顔ならば、その脚や手先の部分では影の社会がうごめく。ハビエル・バルデム演じる主人公もその影の住人だ。外国人の不法就労、闇市を斡旋し、パートタイムで死者の残した言葉を伝える。そう、彼はどういうわけか、そういう能力を与えられている。だが、彼自身、先が長くない。自分の生をどうすることもできない。死にゆく自分の言葉は、自分で伝えるしかすべがない。愛する子供たち。元妻。肌の色の違う外国人。兄。霊魂。そして自分が幼いころに死んだ、父―。

これまでギジェルモ・アリアガの脚本によって物語を織りなしてきたイニャリトゥ監督が、今回は彼の力を借りず、しかもトレードマークだった複数のエピソードを立体的に組み立てる手法から脱してみせる。じっとこの街から離れず、たったひとりの男の肉体から逃げ出すことなく、呼吸を刻んでいくのだ。

たしかに彼の作品を見続けてきた者にとっては多少なりとも不安がよぎるかもしれない。だが、いざ始まってみるとどうだろう。これまでに比べて大幅に狭められたこの場所で、カメラはむしろ世界にも増して広大な人生のフィールドを彷徨い、さらには世代から世代へ、魂を越えて受け継がれていく絶えまない連鎖をも浮かび上がらせていく。いわば、シンプルかつ強固な縦軸と横軸によって荘厳な神殿をこしらえたかのような、静かな圧倒が心に押し寄せる。

また各シークエンスの成り立ち方がどれも胸を揺さぶってやまない。決してトリッキーな手法を用いることなく、その場を構成するひとりひとりが個の足で立ち、それぞれの放出する空気を互いに絡ませることによって俄かな化学変化が生成されていく様を、実に粘り強い演出力で記録していく。ここではスタートの位置や終着地は大した問題では無い。要は、そのシークエンスにおいて各々がどれだけ心の変移を歩んだのか、それをいかに映像中の空気として映し取るのか。この一枚一枚、入念な層を織りなしていく生の迫力に、意識がくらむほど体力を奪われたし、深く傷も負った。それでも観客として長い長い旅を終えて、いま、ついにこの場に立ってる。そんな言い尽くせぬ到達感こそ、この映画の証なのだ。

僕の知っていたイニャリトゥは…かつて僕が臆面なく映画祭で出待ちしながら無惨にも無視されたイニャリトゥは、その手中にとんでもない微熱を讃えながら、今や僕の知らない、壁の向こう側へと行ってしまった。

海の音ざざざん、風の音びゅうびゅう。

どう違う?

そして、次はどんな世界が待ってる?

この記事が参考になりましたら、クリックのほどお願い致します。

TOP】【レビュー】【TWITTER

| | トラックバック (0)

2011年6月25日 (土)

【レビュー】SUPER 8

1979年、夏―。悲しい事故が起こった。オープニング・シークエンスがセリフなくしてそのことをさりげなく観客に伝える。そのとき、側にいるべき保安官の父は、少年との間に距離をおこうとした。いま少年の心の隙間を埋められるもの、それは同じ学校の親友同士でつくる8ミリ映画でしかありえなかった。

Sturzansuper8
「映画祭に出そうと思うんだ!」と誰かが声をあげる。オーソン・ウェルズにも似た太っちょが仲間を扱き使いながら監督を務め、メガネ君はセリフを覚えるのに必死で、もうひとりの男の子は笑うと矯正歯がニュッと突きでる。そして今夜の撮影には新たな仲間が。女優として美しい女の子が参加を快諾してくれたのだ。

線路わきのロケ地でスタンバイ中、主人公の少年は少女にメイクを施す。筆ごしに触れる彼女の透き通るような肌。その視線の漂い。「アクション!」の掛け声と共にリハーサルがはじまる。彼女がセリフを口にした瞬間、少年の心は魔法にかかり、どこか遠い世界へ浮遊して飛び出したかのようだった。息が止まる。瞬きもせずにじっと見つめる。

そしていざ迎えた本番。フィルムが回り始めると、今度は遠くから電車の近づく気配が伝わってくる。オーソン・ウェルズが気を狂わさんばかりに叫ぶ。「いいぞ!状況に奥行きが増す!」。接近してくる電車の姿を盛り込みながら撮影は進む。轟音がセリフをかき消す。風圧が髪を逆立てる。そしてようやく過ぎ去ったかと思ったその矢先、先頭車両の付近で大爆発が巻き起こる。

大破する車両、燃え盛る炎。うごめく謎の生命体。

それはこの、もう二度とは戻ってこない夏休み数日間の、ほんの幕開けに過ぎなかった―。

Photosuper820113
彼らのことを昔から知っている。次に踏み出す第一歩も、いまその表情で何を考えているのかも手に取るように分かる。J.J.エイブラムス監督の描く主人公たちの遺伝子は間違いなく、かつて70年代~80年代のスピルバーグ系の映画によって、視覚的に僕らの体内に組み込まれたものであり、それゆえ映画の面白さとはまた別に、まるで遠い昔の自分を眺めやるような不可思議な感覚を禁じえない。

髪や肌の色もまったく違うし、あんなスイートな恋物語なんて縁もゆかりもなかったはずだが、それでも彼らを媒介として、今の自分と昔の自分とが映画の中で対峙を果たす。本作に付随するノスタルジーは恐らくそのような場所からふっと滲みでるものなのだろう。

期せずしてスピルバーグ(『SUPER 8』のプロデューサーでもある)の『未知との遭遇』を見直してみると、かの有名な宇宙との交信音を耳にしたヒロインが、ふと懐かしい情景を再訪するかのように"I know・・・(知ってる)"と口にする。その表情は『SUPER 8』を体感した僕らが浮かべる特殊な柔らかさに包まれていたかもしれない。

『未知との遭遇』『E.T.』『ジュラシック・パーク』『宇宙戦争』『グーニーズ』・・・この映画を的確に伝えるためには、感想よりもこれらの作品名を連ねるのがいちばん手っ取り早い。さながら心の痛みを抱えた主人公は、『グーニーズ』のマイキーか、『E.T.』のエリオット少年のようだ。彼らの存在は、かつて僕らがあんなに巨大で、その暗闇が無限に続くかに見えた映画館で感情移入し、その体内に入り込んで自ら大冒険を繰り広げた―そんな思いを可能にしてくれた、まさに“アバター”のような存在だった。

この3D全盛期、なぜJ.J.エイブラムスはこの作品を3Dで撮らなかったのかとの声を聴く。しかし思い出してほしい。あの列車事故にまつわるリアルな現場を“背景”に、少年たちはその“前景”でカメラを回しフィクションを紡ぐ。同一のフレームに二種類の次元が同居する、この不可思議な二重性。つまりはすべてあの太っちょオーソン・ウェルズ少年が言うように、この時点すでに「奥行きが増す!」ということなのだろう。すでに立体的である構造に、3D技術なんて必要ない。

また、このシーンに象徴されるように、主人公の心の痛みは同一フレームで“リアル”と“イマジネーション”を拮抗させ、この通過儀礼を乗り越えることで、いつしかカメラのレンズを通さない形でキュアの次元へと導かれていく。ある意味、この物語は少年の心象風景をSFとしてスクリーンに投影したもの。と同時に“怪物”に込められた意味も限定されるべきものではなく、あらゆる可能性に向けて開かれている。究極的には一番遠い存在、なおかつ一番近い存在=少年自身でさえあり得るのだろう。

そして、夢のような2時間が過ぎ去り場内が明るくなって、ふうと一息呼吸をおいてから、自分の両手を見つめる。さっきまでスクリーンを駆けまわっていた自分が、もはやあの頃の少年ではないことに打ちのめされる。むしろあの子供たちの親たちと同じ世代になっている。

いつのまにか僕は、あの子たちの想像も及ばないような遠く遠く、それこそあの光が飛翔していく、その更にずっと先まで、やってきてしまったようだ。

この記事が参考になりましたら、クリックのほどお願い致します。

TOP】【レビュー】【TWITTER

| | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

【レビュー】127時間

『スラムドッグ・ミリオネア』からもっと遠く、ぶっ飛んだ景色を見るために、ダニー・ボイル監督はとんでもない素材に手を出した。それはひとりの若者アーロン・ラルストンの超絶的なメモワール。トレッキング中に落石によって手を挟まれ、身動きとれなくなった彼は、生還までの127時間、何を想い、どんな情景を心にめぐらせ、如何なる決意を持って最後の脱出を試みたのか―。

127hours

脚本サイモン・ビューフォイ、音楽A.R.ラーマンともに『スラムドッグ』のチームである。が、主な出演者はジェームズ・フランコひとり。ビューフォイにとってはひとり芝居か、あるいは密室劇の脚本を執筆するみたいな感覚さえあったかもしれない。しかしそれを束ねるダニー・ボイルに至っては、この極限の閉所感覚に驚くべきイマジネーションで立ち向ってみせるのだ。フィジカルを越えろ、イマジネーションを使え、人はその想像領域においてどれほどまでも羽ばたける、と言わんばかりに。

そもそも僕はオープニング・シークエンスからして腰が砕けそうになった。A.R.ラーマンによる壮大な楽曲(スラムドッグよりも数倍パワーアップしているように感じる)に乗せて映し出されるのは想像だにしない地球の鼓動だった。朝が来る。陽が昇り、人々が営みをはじめる。通勤ラッシュ。そしてスタジアムでは人々が諸手を挙げて全身全霊で歓喜を体現する。大歓声。『スラムドッグ』のエンディングでは出演者たちがインド映画おなじみの群舞を披露したが、本作では主人公に代わってカメラが、映像が、アクロバティックなダンスを披露し、意識を更なる高みへと飛翔させる。たかがメモワールかもしれない。だが本作には男の辿る悪夢と陶酔の8日間の心的葛藤を、地球レベルの歓喜の歌とシンクロしたかのような圧倒的高揚が刻まれている。

時に運命は絶望の中でユーモラスに微笑み、また朦朧とした中で残酷な決断を主人公に突きつける。スクリーンに映し出される肉体的な苦闘と、その創造性あふれる精神世界との振り子運動を、観客もラルストンと共に共有することになるだろう。それゆえ、かなりの精神的緊張を強いる場面もある。そしてふと気付くと、我々もいつしか傍観者ではなく彼と同じく体験者としてこの映画に顔をゆがめながら、懸命に参加してしまっている。

127hours02

手を頑なに食らい込んだ岩肌はひとつのきっかけに過ぎない。誰もが心に抱える精神的メタファーと捉えることだってできる。そこで自由を奪われながらもやがて想いの大部分を占めるようになるのは、これまでの人生と、仕事、恋人、友人、家族、そしてここを切り抜けさえすれば在り得るかもしれない未来のビジョンだ。ごく親しい佳き人たちがいま、記憶の側から自分の姿を見つめている。過去から現在へと連なってきた生命の連鎖がここにある。自分にはこの窮地を乗り越え、築かねばならない未来がたくさん残っている。そう確信したとき、彼の取るべき行動は一つしかない。

そして、そこから一気に解き放たれた瞬間のカタルシスと言ったら、今すぐ身体に羽根が生えて飛んでいってしまうかってくらいの高揚とエクスタシーと、そして忘れてはならない、沸々と湧きおこる“感謝の気持ち”を伴っていた。誰に向けて、とは言わない。自分を支えてくれるあらゆる人間、いや自然、地球、宇宙をも含めた、すべての万物に対しての感謝の気持ちであふれかえっていく。え?ネタばれしすぎだって?いやいや、こんなのほんの序の口ですよ。この映画は体験してみないと“あらすじ”などでは一切わからない。しかも劇場で、主人公と痛みを共有しながら見ないと、何の意味もない。

言葉が足りずに不甲斐ないが、『127時間』は僕にとってそんな映画だったのだ。

たぶん、あなたにとっても。

なお、アメリカの映画祭で初お披露目された折には「観客に緊張を強いるワンシーン」において体調を崩した観客がいたという。そして先日ツイッター上で伺った意見によると、日本の試写会でも気分が悪くなった方がいらっしゃったようだ。アメリカでのレーティングはRなのにもかかわらず、日本の映倫審査では「G」(誰でも観賞可能)となっている。これでは観客の心構えに隙を作ることになるので、あえて「心臓の悪い方や精神的な刺激に過敏な方はご用心を」と書き添えておきたい。

この記事が参考になりましたら、クリックのほどお願い致します。

TOP】【レビュー】【TWITTER

| | トラックバック (0)

2011年6月14日 (火)

【レビュー】テンペスト

「テンペスト」がこの世に生を受けるのは、映画の発明から遡ること300年前。その後、幾度となく舞台として上演され、映画の原作としても名を残してきたこのシェイクスピアの系譜に、新たな作品が加わった。それも「ライオン・キング」をはじめとする舞台作品で名高いジュリー・テイモアが監督を務めているのだから、観客としては古典の域にとどまらぬスタイリッシュな創造性を期待せずにはいられない。それこそ彼女の初監督作でシェイクスピア物『タイタス』が見事な映像的興奮を獲得していたように。

Tempest_2
物語は“テンペスト(嵐)”と共に始まる。手のひらに形作られた砂の城が雨に打たれ象徴的に崩壊する。雨粒はなおも激しく地を這い、それに抗おうと身をくねらせる洋上の船はやがて大きな破裂音と共に木端微塵となる。しかし命を落とした者はいなかった。高貴な身なりの男たちはバラバラに区分され、近くの島へと流れ着く。目を覚ましたその地で彼らは命拾いしたことに歓喜するかもしれない。だがここはかつて彼らに追放されし女王の住む島。彼女は魔法を使う。科学も使う。もちろん一連の嵐だって彼女が意図的に起こしたものだ。さあ、役者はすべて揃った。「LOST」のごとく不思議な現象の多発するこの島で、女王プロスペローが秘かにたくらむものとは―。

セリフはほぼ原文のままだという。だが決定的な違いとして、科学と魔法を操る主人公プロスペローは本作ではジュリー・テイモア監督と同じ“女性”となり(注意・性転換したという意味では無い!)、アカデミー賞女優ヘレン・ミレンがこの役を凄まじい執念で生ききってみせる。さすが英国俳優、シェイクスピアは基礎の基礎だ。身体にセリフが沁み込んでいる。吐き出すその一言に炎の揺らめきが見える。

また、原作では「怪獣」と称される奇妙な生き物を、ここでは黒人俳優のジャイモン・フンスウが演じる。おそらくアフリカ系の観客が本作を目の当たりにしたなら、やや表情を歪めてしまうだろう。テイモアはシェイクスピア以前も以降も人類が変わらず歩んできた植民地支配の略奪と憎悪の記憶を、ここにそのまま刻み込もうとしているからだ。やがてこの映画の出演者たちは大団円を迎えるかもしれない。だが、この怪物だけは蚊帳の外だ。最後まで掠奪者との間に和解が成し遂げられることはない。

が、ヘレン・ミレンが彼を見つめる視線に、僅かに感情の揺らめきが見えたのも事実だ。それは果たして贖罪だったのか、我が子を想うかのような親しみだったのか、あるいは人間になりきれない存在に対する憐れみか、永遠に相いれない絶望的な隔たりだったのか。個人的にはここらの曖昧な描写が意味深に思えたり、あるいは言葉足らずに感じられたり(しかしこれ以上描いてしまうと、本筋が原文から逸脱してしまう。ここがジュリー・テイモアが盛り込み得るギリギリの限界だったのだろう)。

かくもジュリー・テイモア版『テンペスト』は、シェイクスピア時代の通低観念に基づいて書かれたこの原作の細部を実験的に入れ替えることにより、そこを貫く言葉の槍でもって現代さえも見事に突き通してみせる。我々は過去のコスチューム・プレイを眺めながら、そこに自分たちにとってごく身近な観念さえもが乱反射して映り込む様を発見するだろう。そして嵐のあと、プロスペローが魔法と科学を駆使した怒りの矛を収め、皆が朗らかな笑顔に包まれる瞬間に、震災を経た日本の姿、近い未来そうなってほしいと願わずにはいられない姿さえもが映り込んでいる気がして、思わず胸が悲鳴をあげそうになった。

そこで「新世界へ!」という言葉が耳にこだまする。

シェイクスピアの作品ではお馴染みのこの言葉に、これほど希望を込めて心が呼応したのは今回が初めてだったかもしれない。

僕の耳にはこれが「新しい時代へ!」という意味に聴こえたのだ。

この記事が参考になりましたら、クリックのほどお願い致します。

TOP】【レビュー】【TWITTER

| | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

2010年05月公開作品 | 2010年06月公開作品 | 2010年07月公開作品 | 2010年08月公開作品 | 2010年09月公開作品 | 2010年10月公開作品 | 2010年11月公開作品 | 2010年12月公開作品 | 2011年01月公開作品 | 2011年02月公開作品 | 2011年03月公開作品 | 2011年04月公開作品 | 2011年05月公開作品 | 2011年06月公開作品 | 2011年07月公開作品 | 2011年08月公開作品 | 2011年09月公開作品 | 2011年10月公開作品 | 50音順タイトル | BOOKS | memo | movie festivals | NEWS | TOP | trailer | WORDS | 【Hero】 | 【my French Film Festival 2011】 | 【おいしい映画】 | 【お年寄りが元気!】 | 【アート×映画】 | 【クラシック音楽はお好き?】 | 【ドキュメンタリー万歳】 | 【劇場未公開作】 | 【劇薬!】 | 【地域:TOKYO発】 | 【地域:アジア】 | 【地域:中東発】 | 【地域:仏国発】 | 【地域:北欧発】 | 【地域:南米発】 | 【地域:英国発】 | 【学園という名の社会】 | 【宇宙で逢いましょう】 | 【家族でがんばる!】 | 【新感覚アクション】 | 【映画×偉人】 | 【生きるためのファンタジー】 | 【監督:クリント・イーストウッド】 | 【監督:ジョー・ライト】 | 【監督:ミシェル・ゴンドリー】 | 【素晴らしき、黙示録の世界】 | 【脚本:ピーター・モーガン】 | 【音楽×映画】 | アウシュヴィッツ訪問 | イベント、取材 | クエンティン・タランティーノ | ジョゼフ・ゴードン=レヴィット | スティーヴン・キング | スティーヴン・スピルバーグ | 一言レビュー | 今年のベスト(2006) | 今年のベスト(2007) | 今年のベスト(2008) | 今年のベスト(2009) | 今年のベスト(2010) | 全米BOX OFFICE | 再起復活ベン・アフレック | 旅の記録 | 映画業界 | 追悼デニス・ホッパー