2011年7月29日 (金)

【レビュー】トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン

たとえばオプティマスから藪から棒に「お前はこの映画が好きか?」と聴かれたとする。僕はきっと「好きだ」と答えるだろうが、その言葉は責任感を伴わない極めて軽めのものだ。それこそ「はい、食べ放題コースは大好きです」と答えるような気軽さ。もちろん年齢とともに翌日の胃もたれはしんどくなるし、中性脂肪のつきすぎや、痛風の気にも注意しなければいけないのだが、この飲み会には飲み会なりの、質より量、参加しておいて別にソンはない、と思わせるチカラ技の魅力があるのだ。

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『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』はそういう映画だ。世の評論家が言葉を尽くしてその大味ぶりを批判しても、スルリと身を交わして縦横無尽にハイウェイを滑走していくロボたちのように、あの灼熱のワシャワシャとした強引さを押しとどめるものはもうどこにもない。しかも冒頭こそ60年代の月面着陸から始まったかと思ったら、それに続く現代シークエンスはとことんアホだ。とくにあのビッチ娘ミーガン・フォックスから強制交代となった新ヒロインの登場する場面は苦笑してしまうほどとことんアホだ。なんなんだあのバーニーのぬいぐるみは。まるで米プレイボーイ誌のグラビア・ページのようで、あれは確実にマイケル・ベイの性癖をさらけ出していた(あんなのが好きなのか)。しかも劇中には我々日本人にとってはナーバスにならざるをえない場所での、まったくもってどうかしている銃撃戦が繰り広げられたりもする。ドキドキしていいんだろうか。ワクワクしていいんだろうか。不謹慎ではないだろうか。いや、いいんだろう。この瞬間だけは。

この細部の描写はともかく、ストーリー、とくに起承転結の「起」部分だけは気が効いている。思い返せば第2弾『トランスフォーマー/リベンジ』ではこの脚本がボロクソに批判されたものだった。これに対しマイケル・ベイ本人も否定はしない。「あれは本当にひどかった」という述懐の中で彼は、「あのときはちょうど脚本家協会がストライキに入るころでね。本当にありえない時間で突貫工事のようにストーリーをこしらえたんだ」と打ち明けている。これは「だからこそ今度の第3弾は自信を持って観客に提示できる」との意志表示だったのだろうが、なるほど、この言葉どおり、60年代以降のアメリカの歴史を絶妙に総括するような展開には魅力が光る。それにしても『X-Men ファースト・ジェネレーション』をはじめ、最近の大作映画がどこか宗教間の争いやテロリズムの匂いを払しょくした一昔前のノスタルジーを求めているように感じるのは気のせいだろうか。

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また、今回のひとつの主軸となっている3D効果のほどは凄まじい。それこそ食べ放題コース以上の、灼熱のバーベキューパーティーだ。「この肉、もう焼けただろうか?」くらいの勢いで、金属野郎たちがワシャワシャと立体トランスフォームに余念がない。なんと言っていいのか、上記でこれほどマイケル・ベイをアホだと言いながら、こんなチカラ技を成し遂げてしまうのは凄いと思った。圧倒された。思わず肉、焼き過ぎた。こんな巨大ダムをこしらえるような所業はベイのような剛腕だからこそ可能なのであって、インディペンデント出身の繊細な監督であったり、あるいは日本人がいくら頑張って背伸びをしたって生涯ムリなんじゃないかとも思った。奇しくもベイとタイプしてたら「米」と出た。そう、この映画を観てると久々に「アメリカに負けた」と否応なしに感じてしまうのだ。

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この3D撮影に挑むにあたり、マイケル米は1年間にわたり技術を学習したんだそうだ。この絶対に人任せにしない性格!コントロール主義者!そりゃ、ミーガン・フォックスが現場での彼を「まるでヒトラーみたいだ」と揶揄するわけだ。ちなみに世にある3D作品に関して「3D撮影」か「2Dからのコンバージョン」かでクオリティが大きく違うように思われがちだが、本作は『アバター』スタッフを大勢起用しての3Dカメラ撮影を行う一方で、手の込んだVFXの必要な場面では2Dカメラで撮影し、これを入念に3Dへとコンバージョンしていく方法が取られている。正直、この差は全く判別できず、一貫した熱狂と興奮を与えてくれる。

中でも見どころなのは、クライマックスの混沌とした、それこそスピルバーグの『宇宙戦争』&ヘンテコSF『スカイライン』を混ぜ合わせたかのような市街戦。とりわけ、あの予告編でもお馴染みの空中部隊が機体から意を決してダイブするシーンに尽きる。巨大ビル群の狭間を隊員たちがスーッ!!と立体的に滑空していく姿の美しさはまるで、胃もたれ中にハイと手渡された胃薬のように沁み渡ってくる。このシーンがもう少し長かったなら不覚にも涙がこぼれてしまっていただろう。

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これだけ強調してもやっぱり「食い放題・飲み放題」は嫌だと言う人に対し、マイケル米はもうひとつの裏メニューを用意している。俳優コースだ。そもそも上司役のジョン・マルコヴィッチのあの使い方ときたら常人の発想では考えられないものだし、それにフランシス・マクドーマンドとジョン・タトゥーロというメンツが揃い踏みしている姿を見ると、いま目の前で展開している映像が万が一にもコーエン兄弟作品なのではないかという錯覚さえ覚えてしまう。加えてこれまで王子様たる起用が多かったパトリック・デンプシーのまさかのキャスティング。そして、最終兵器としての『ハングオーバー』で大ブレイクしたケン・チョンの投入。

この豪華メンバーで贈る灼熱の食いだおれ祭り。CGの金属ロボだけじゃない、人間だってキャラの強さだけでこれだけの馬力が出せるんだってことを証明してくれる。

さあ、推せるだけのポイントはすべて推してみた。これでオプティマスも「よくやった」と褒めてくれるだろう。

あとはあなたが颯爽と飲み会場へ足を運ぶだけだ。胃薬は持っただろうか。終電の時間はチェックしたか。もしものときに介抱してくれる人はいるだろうか。そして中年男性には飲酒後のウコン服用がおススメです。

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2011年7月11日 (月)

【レビュー】ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

クライマックスを終え、エンドクレジットが始まった。ついに10年間に及ぶ長い長い旅路が終焉を迎えた瞬間、思わずふっとため息がこぼれた。長かったのか、あっという間だったのか。きっとそれぞれのディケイドがハリー・ポッターという物差しと共に存在する。ある者は同時多発テロをその起源に揃えて時代を論じ、またある者は自分の仕事での立場や家庭環境の変化、また生まれたばかりの赤ん坊だった我が子が小学4年生にまで成長している姿に目頭を熱くするかもしれない。少なくとも多くの人たちが、(大人たちに)見守られ冒険へと突き進む側から、愛する者を守る側へと変化を遂げてきた。作者のJ.K.ローリングにしても同じことがいえる。彼女はこの壮大な物語を紡ぎ始めて半年後に母を亡くし、それから間もなくし自らが母親となったという。つまりは人間にとって10年間とは、実にそのようなものなのだった。

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それにしても最終章『死の秘宝 PART2』はフィナーレを飾るにふさわしい見事な完成度だった。まずはこの『死の秘宝』を2部作にした判断を讃えたい。仮にこの原作をこれまで同様1つにまとめていたなら、Part2で描かれた最終決戦はクライマックスの30分ほどでちゃちゃっと描かれたに過ぎなかったろう。そもそも映画版『ハリー・ポッター』は原作のダイジェスト版的なストーリーのせわしなさが常に指摘されてきた。しかしこの最終章はどうだろう。その「30分しか与えられなかったかもしれない持ち時間」を2時間10分へと拡大させ、ストーリーを詰め込み過ぎるどころか、今回はその行間や登場人物の狭間に漂う空気をも濃厚に抽出する。激しい闘いも巻き起こる。だがその裏側ではハリーらメイン3人をめぐってバックに何の音楽もかからない静謐なシーンも数多い。ここでも彼らはこの10年間に培った集中力の高さで演技を、関係性をジッと研ぎ澄ましていく。この手法が結果的にこれまでのシリーズの中でもっとも緩急バランスを高め、観客の体感時計にちょうど適したストーリーテリングを紡ぎだしている。

また、これまでは最後に必ずダンブルドア校長をはじめ大人たちが助けに現れたり、「実はこういう理由だったんだよ」と打ち明け話を披露したりしたものだったが、今回は違う。最終章では頼もしい戦士となったメインキャストらが決して譲らない。彼らはすべてを自分たちで考え、自分たちで決断を下し、自らの力で運命を引き寄せていく。最終決戦の場はもちろんホグワーツ魔法魔術学校。彼らの子供から大人への離脱にふさわしい聖地だ。ハリーらを立派に育て上げたこの学び舎にて、彼らは外から襲い来るおびただしい数の軍勢を相手に『レッド・クリフ』さながらの防衛戦に徹する。この土壇場でマギー・スミスも高齢をおして両手をクルクルッと回転させて優雅に戦う。そして肝心な役を担うのはネビル・ロングボトムだった。

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想像できるだろうか。かつては何をするにしても臆病で行動の遅かった彼は、今やハリー不在時の学生レジスタンスを率いる傷だらけの闘士になっている。その行動力、勇気、そして何よりも仲間を想う気持ちは、彼という存在がこの物語の主人公のひとりであったこと―少なくとも4人目のメイン・キャラに位置していたことを、崇高な尊厳をもって印象付けている。我々はこの手の「5人目のビートルズ」「7人目のモンティ・パイソン」的立ち位置に弱く、そしてひとしく、映画版「ドラえもん」で逞しくなったのび太くんに涙腺を崩壊させがちな生き物。それとおんなじ原理だ。

そして今回、フィナーレを祝福すべく付与された3D効果。前作「Part1」では3Dリリースされると告知しながら結果的に製作が間に合わず、ワーナーも製作者も前代未聞の恥辱を味わう結果となった。その汚名返上の意味もあってか、僕が前日に観た『トランスフォーマー3』には到底及ばないものの、本作はそれなりの良質なクオリティに仕上がっていたと思う。特に透明マントやホグワーツ上空に張り巡らされる防衛の呪文、それに背景でうごめく絵画の中の人々、憂いの篩など、この3D技術が魔法と高い親和性にあったことに(ラストにして)気づかされた。本作は3Dカメラで撮影していないので、相当に手の込んだコンバージョン作業を念入りに進めてきたはずだ。こういう細かな演出を目にするにつけ、デヴィッド・イェーツをはじめとする作り手の愛情と、長らくシリーズを支えてくれたファンへの深い感謝の念のほとばしりを感じる。

最後にもう一点付け加えたいのが、この映画のラストシーンについて。ここからは原作を読んだ方のみご通行ください。

印象的なのは壮絶な闘いの後、学校を見つめるキャラクターらの姿だった。このとき、彼らの脳裏には様々な思い出がよぎっていたに違いない。が、ここで作り手たちは決して過去映像のフラッシュバックに甘んじない。彼らの“今”の姿を、これが最後とばかりにじっと、静かに、入念に映し取る。

これがどんな効果を及ぼすのかは実際に観てからご確認頂きたいが、彼らの幼き姿を具体的に“映さない”ことは、この後のフィナーレで物語が“すべての始まり”へと回帰し、ふたたび始まっていくことをより如実に映し出すことへと結実しているのだ。そこでは幼き日のハリーたちではなく、新たな世代が台頭している。新たな人生へ踏み出す不安で押しつぶされそうな顔が、あの場所に、いくつも並んでいる。

時代は移り変わる。そこで変わり行くもの、変わらないもの。その拮抗こそが物語に普遍性の胚芽を宿させる。

以前、J.K.ローリングはこのシリーズの結末をもうずいぶん前に書き終え、金庫の中に厳重に保管している(それはきっと小鬼たちの働くグリンゴッツ銀行に収められていたに違いない)―と口にしたことがあった。

その該当する箇所がこのラストかどうかは分からない。が、仮にそうだとするならば、もうずいぶん前から本シリーズのテーマは“移り変わり”にこそあったのだろう。そして、それは8作を通して描かれた主人公らの“成長”の集積でもある。

つまり、この瞬間から『ハリー・ポッター』について語ることは、過去と同時に、未来について語ることにもなりうる。この映画のラストからはその想いが原作以上に強く読みとれた。これは終わりであり、人生というまた新たなる壮大な冒険の始まりなのだ。

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2011年7月 3日 (日)

【レビュー】ラスト・ターゲット

U2のアルバム・ジャケットをはじめとする数多くのアーティストを被写体としたアートワーク、また独創性あふれるミュージック・ビデオの演出などでも知られるアントン・コービン。彼が監督第一弾に選んだ『コントロール』は、これまで自分の見つめ続けてきたミュージシャンの肖像をモノクロームの魔法で彩り、世界中から多くの賞賛を集めた。あれから2年、ついに監督第二弾が届けられる。今回は全編カラー。ひとりの殺し屋をめぐる物語だという。まさに助走から大いなる羽ばたきへとフォーメーションを変えたコービンの勝負どころの一本。その出来栄えのほどは、いかに。

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原題は"The American"。ひとりのアメリカ人の殺し屋が、潜伏先の北欧で命を狙われる。どこからか情報が漏れたのか。「カステルヴェッキオで連絡をまて」。そう指示された彼は、中世の雰囲気を今なお讃えるこの美しい街で、北欧とは違う、眩しすぎるほどの陽光に身をさらしながら静かな毎日をやり過ごす。

最初はよそよそしかった住人たちとも少しずつ打ちとけていく。しかしそれでいて、いつまで経っても「おい、アメリカ人」などと呼ばれたりもする。彼は少しはイタリア語が話せるかもしれない。が、究極的には異邦人だであることには変わりなかった。そんな中、彼はひとりの娼婦と出逢い、徐々に惹かれていく。と、機を同じくして、もうひとりの女が登場。彼女はアメリカ人に銃の調達を依頼するのだが。。。

蝶が葉に止まった束の間を描いたかのような本作で、クルーニーは寡黙すぎるほどに言葉を発しない(アメリカ人なのに!)。どこからか感じる視線。後をつけてくる男の影。俺は命を狙われているのかいないのか。焦燥感だけが募る毎日。ときどきストイックに筋トレに精を出したりするものの(身体の引き締まり方がまるでスティーヴ・マックイーンのようだ)、ふと今度はストイックな目つきで外出するのでどこ行くのかと思いきや、なんとまあ、彼も人間ゆえ、不安を紛らすべく娼館に行きますわなあ。またここで惜しげもなく全裸をさらすネーチャンの、見るからにフワリとしたオシリのカタチには思わずため息がこぼれる。これだけで1800円払ってもいいくらいだ(俺も思い切ったこと言うなあ…)。

しかし主人公が殺し屋だからって、常に拳銃をバキュンバキュンと撃ちあう映画を思い描くと手痛い失敗をする。これは極めてアーティーなサスペンスだ。まるでLimboの世界で、もっと根源的な命のやりとりが行われているかのよう。美しさ&幻想性に包まれた街並みを背景に、最初から最後まで線をピンと張られた静謐感が身を浸す。きっとカステルベッキオ自体が主人公の心理を投影した箱庭的存在なのだ。そこに眩い光が満ちていれば彼の心にも光があふれる。彼の動線によって細かな道筋が分かり始め、いつしかこの街の全景が頭に思い浮かぶようになる。主人公が今日はどの道を通るかによって、その秘めたる目論見が伝わってくる。また、街が徐々に祝祭的雰囲気に包まれていくの従い、映画も、主人公も、ハイライトの到来を感じとり、じっと運命の瞬きを待ち続ける。

それ以上でも以下でもない。そんなミニマルなつくりだが、ラストはひとつの旅を終えたかのような感慨に包みこんでくれる。写真家がひとつのフレーム内に世界を閉じ込めるように、本作でもコービンは見事に生を凝縮してみせた。

なお、飛び立つ蝶に呼応するかのように、つい先日、アントン・コービンの監督第3弾が発表された。スパイ小説で名高いジョン・ル・カレのポリティカル・サスペンス"A Most Wanted Man"だ(詳しくはこちら)。この未知なる素材をどのように料理するのか。コービンの采配に期待したい。

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2011年6月30日 (木)

【レビュー】マイティ・ソー

60年代にコミック・デビューしたマーヴェル・ヒーローが新たに映画界へと殴り込みをかけてきた。彼の名は“ソー”。彼のタイプを類別するのはいささか困難だ。突然変異型でもなければ、特殊能力型とも言い難い。かといってアイアンマンみたく自作自演型というわけでもない。なにしろ彼は神なのだ。全知全能の神、の息子の、やがて後を継いで神界を治めることになるであろう、まだ若くて横暴なプリンス。そんな彼が父の逆鱗に触れ、地球へと追放されたことから、地球上での“ヒーロー”たるきっかけが生じていく。

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アメコミに興味のない人には触手の動かない作品かもしれない。見てくれもやや野暮ったい。「これを観たから人生が救われた!生きてるって素晴らしい!」と感動するタイプでもさらさらない。しかし常にあらゆる作品をいったんは肯定的に受けとめることを自分に課した筆者にはとても面白く感じられた。今どき小学生も使わない表現を駆使すれば、ドキドキワクワク。なぜだろう。どうしてなんでしょう。

やっぱり僕は監督名でこの映画を観てたんだと思う。シェイクスピア俳優として、また自らも映画や舞台の演出を手掛けるケネス・ブラナーがいったいこのジャンルをどのように料理するのか?と。

確かにケネス・ブラナーは神々の世界においてまるでシェイクスピア劇に登場する王宮のような荘厳さを付与した。彼が「シェイクスピア劇に長けている」ということは、裏返してみるとアップデートの名手ということにもつながる。そういうコスチューム・プレイの面白さを、現代へと伝える策に長じているということだ。アンソニー・ホプキンスが片目に眼帯はめて腹の底からセリフを響かせたり、馬にまたがりその前足をヒヒヒンと上下させたりする威厳あふれる光景を、単なるオモシロ映像としてではなく、それなりの整合性を持って伝えられるのは、ちゃんと型を知ったブラナーならではだろう。少なくともジョン・ファヴロー(『アイアンマン』)やジョー・ジョンストン(『キャプテン・アメリカ』)、マーティン・キャンベル(『グリーン・ランタン』、こちらはDCコミックだが)にはできない芸当だ。

そうやってひとつの“神の世界”を成立させる一方で、ブラナーはもう二つの全く気色もテンションもスケールも異なる世界の創出にも挑む。ひとつは氷に閉ざされた敵地。ここでは神殿でのフラストレーションをぶちまけるかのように過剰なほどCG満載のバトルが無尽蔵に繰り広げられる。そしてもうひとつは我々の勝手知ったる地球(ここでようやくヒロイン役のナタリー・ポートマンが登場するわけだが)。そもそもこの三角関係こそ原作コミック「マイティ・ソー」の持ち味たる世界観なのだろうが、それをいざひとつの作品としてスクリーン上に成立させるとなると、これはかなりの至難のワザとなる。

また終盤のメインとなるこの地球では、今後のヒーロー総出演ムービー『アベンジャーズ』へと連なる人々もうごめく中(弓矢を持った隊員にも注目)、その3世界(これを伝統性、カタルシス性、現代性とでも言おうか)をいっしょくたに放り込んだかのような温度感の衝突が描かれる。

とりわけシェイクスピア的演技を地球人(現代人)の文脈で「ちょっと、どうしちゃったの…?」と不安気に見つめるシーンが多く見られる。実はこの『星の王子様ニューヨークへ行く』的な、「ハムレット、アメリカの田舎町へ墜ちる」こそ、実はケネス・ブラナーのいちばんやりたかったことではないだろうか。そこで加えられる「あの人、変わってるよね」的な笑いこそ、ブラナーが自分に捧げたセルフ・パロディ、つまりはシェイクスピアを現代に受け継ぐ表現者としてのメンタリティのように感じられた。

シェイクスピア劇のみならず、あらゆる劇作品で重要なのもそこだと思うのだ。伝統性とカタルシスと現代性、この三者が拮抗するところに物語は宿る。ただし、この領域を自在に行き来する際には、両者を隔てる開閉門の管理がとても重要となるのは言うまでもない。『マイティ・ソー』を観終わった後、無性にあの盲目の門番のことが思い出される理由も、実はそこのあたりにあるのかもしれない。

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2011年6月 6日 (月)

【レビュー】ハングオーバー2

こちとら先週、高校時代の親友をひとり送り出したばかりだ。あいつら3人組とまったく同じ心境、心情。それゆえたしかに多少のひいき目はあったかもしれない。しかし、それにしても欧米のレビューはこの映画について辛口だ。一方、これに反して劇場に詰めかけた観客の満足度ときたら、これがなかなか好調のよう。正直、ざまあみろと思う。世に批評家と呼ばれる人間は数多くいれど、コメディを評論する人間の「自分は笑いとは何たるかを知っております。ええ、私の笑点こそ、世界の笑いにおける唯一の標準値に相違ございません」という語り口にはウンザリなのだ。もう世界にいる何十億の人々それぞれが、それぞれの感性に任せて、好きな時に笑えば、それでいいじゃん!

と、このように多少取り乱した気持ちにもさせるのも、披露宴後の酒がなかなか抜けないせいだ。その勢いでこれを書いている。こんな気持ちに浸れるのは今しかない。逃すな。このシンクロニシティこそ『ハングオーバー2』の魅力なのだった。

Hangover
本作には独身仲間をひとり送り出す祝福と寂寥が渦巻く。このビミョーな気持ちは口にすると変な誤解を招くし、かといってなかなか埋められるものではない。だから俺たちゃ酒に走る。それで軽々と境界線を越えてしまう。そして気がつくと、ブラッドリー・クーパーが前回とほぼ同じ携帯電話でのセリフ、いや、そのグレードアップ版を口にしている。

「もう・・・最悪だよ…この前以上だ」

失われた記憶の奪還。それはかつてはサスペンスやミステリーで用いられてきた手法だった。ある者は全く同じプロットでサスペンスに振りきれて『アンノウン』を作り、トッド・フィリップス監督とその仲間たちはコメディの大草原で『ハングオーバー』の大合唱を奏でてみせるのだ。

そうして培われた糞爆弾のごときストーリーが今回はバンコクにて炸裂。闇の濃い、タブー知らずのこのテリトリーで、まさに『男はつらいよ』的なまでに要所要所をパターン化することで展開と終着地をあえてわかりやすくした、酔いどれどもの宴が爆走をはじめる。

前作の赤ん坊やショウガールはそっくりそのまま別要素へと置き換えられ、謎の中国人ミスター・チャウはもちろん、今回は『サイドウェイ』のポール・ジアマッティまで顔を出す。焦燥感は2倍、モザイク度は4倍、キャラの相性&コンビネーションは5倍。とりわけザック・ガリファナキスのコメディ・リリーフぶりときたら、行動は奇天烈なのに目だけは常に据わっていて、ポコンと飛び出したお腹も、まさにそこにあるべくして存在するカオスのようで安定感たっぷり。その安定が無性に心地悪い。

メガネ男も今回は自分の祝宴ということでメインを張る。ブラッドリー・クーパーは相変わらず無意味にイケメンだ。それ以上でもそれ以下でもない。かつて『ゴースト・バスターズ』で築かれたデブ、メガネ、崩れイケメン(ビル・マーレイは決してイケメンではなかったが)のトライアングルが、ここでもいくらか踏襲されているかのよう。そんな彼らが以前から知る友人たちみたく妙に馴れ馴れしく、あちら側から心の内側へと滑り込んでくる。

そうやって考えていると、この続編に組み込まれた“パターン”こそ儀式の象徴のように思えてきた。彼らは独身最後の数時間をあえていったん忘却し、それを後から必死に取り戻そうとすることによって、逆に生涯忘れることのない記念碑的瞬間を掘り起こす。彼らにとって、まさに結婚式の表裏一体ともいうべき無軌道きわまりない儀式。すなわち忘却&奪還。バカ騒ぎのうちにこうした人生の通過点がさりげなく描かれるのも、本作の魅力なのだろう。

きっと近いうちに3度目も必ずやってくる。そして苦難を乗り越えるごとに彼らの友情は強度を増す。その純度がホンモノでありさえすれば、このパターン化は『寅さん』的に息長くつづく映画シリーズとして、あるいはテレビドラマ化としても進化、存続することが可能なのだろう。

『ハングオーバー2』絡みの以下の記事も併せてご覧ください

有名俳優のカメオ出演が全カット?
公開直前に巻き起こったタトゥー訴訟

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