2011年10月29日 (土)

【レビュー】ミッション:8ミニッツ

最初の8分間がやってくる―。

Sc目が覚めると電車の中だった。シカゴ行きの通勤急行。隣では見たこともない女性が自分に向かってしゃべりかけているが、その内容は微塵も要領を得ない。真横を通り過ぎる乗客が態勢を崩しコーヒーをこぼした。「あら、失礼!」 このリアルな感じ。実態を感じる。夢ではない。確かに目は覚めているのに、ただ記憶が定まらない。思いたってトイレに駆け込む。鏡には見慣れた自分とはまるで違う顔。俺はいったい何者なのか。何がどうなってしまったのか。と、そのとき、車両の前方でけたたましい爆音。まるでスローモーションを観ているかのように爆風と炎とがこちら側に迫り出して―(ザザーッ)

コントロール・ルームから声が響く。「聴こえますか?応答してください」 男は暗く冷たいコックピットで目を覚ます。二度目の覚醒。もはや何がなんだかわからない。自分ひとりの制御を超えたところで何かが始動している。コントロール・ルームは容赦なく言葉を続ける。「犯人の手掛かりは掴めましたか?」「 なんのことだ?」 「今朝、シカゴ行きの列車が爆破されました。乗客は全員死亡。テロ犯は第2第3のテロを引き越す可能性があります。あなたには列車が爆破される8分前の“ソースコード”へ潜入してもらいます。手掛かりがつかめるまで何度でも。それではもう一度、スイッチ・オン…」「 ちょ、ちょっと待っ・・・」

そして、2度目の8分間がはじまっていく―。

Sc02
ダンカン・ジョーンズの名前を手っ取り早く認識するためには、いまだに「デヴィッド・ボウイの息子」という肩書を持ちだすのが最適なのかもしれない。が、彼の初監督作『月に囚われた男(原題Moon)』はすでに英国エンタテインメント史を代表するSF作品の傑作と言われている(EMPIRE誌では英国映画BEST100の中の第24位に選出)。あの静謐な孤独の中で巻き起こるシュールなまでのミステリーは、論じるにあたって『2001年 宇宙の旅』が引き合いに出されるほどだ。

そんなジョーンズが今回はアメリカで、しかも爆破テロを題材に作品を紡ぐことになった。少なくとも冒頭8分間の様相だと、キューブリックと比較された前作とは180度異なり、むしろ列車アクション大好き人間、トニー・スコット御大の破天荒さを身に付けたかのよう。

が、映画が進むにつれて我々はこの男が本作に他のジャンル要素を幾重にも重ね合わせていることに驚かされる。導入部はさながらトニー・スコット。ほぼリアルタイムで紡がれていく物語は「24」的でもあり、突如現われ出るコックピットは日本のロボット・アニメでよく見られるそれのようでもある。

ラブストーリーでもあり、伝え忘れたメッセージを誰かに伝えようとする映画でもあり、そして『マトリックス』のようにソースコードに入り込むという趣向はもはやネタばれなどではなく、織り込み済みの前提条件。そして“8分間”を幾度も繰り返すといった意味で、多くの映画ファンは『恋はデジャブ』でビル・マーレイがコミカルに巻き込まれた「ループ迷宮」さえも彷彿とするのではないだろうか。もっとも、こちらは作風的にもかなり切羽詰まった状況が展開しているわけだが。

ただしハラハラドキドキしておしまいという快楽的エンタテインメントで終わらないのが本作の底力だ。この後半では主人公の背負った壮絶な宿命が、“人間と生命”、“個人を吸収する巨大なコンテクスト”、さらには“死のさらに向こう側”に触れる深い洞察へと昇華されていく。その瞬間、本作はかつてフィリップ・K・ディックをはじめ多くのSF古典作家たちが提示してきたような普遍性をも獲得。それはまさにジョーンズの前作『月に囚われた男』が内包していたテーマとも相通ずるものだ。

いずれにしてもエンタテインメントのなかでこれほど濃厚な作家性を点睛できる手腕、只者ではない。彼が英国出身の(ハリウッドにおける)アウトサイダーだから成し得たのか、それともやはり『地球に落ちてきた男』(デヴィッド・ボウイ)の息子としてのDNA的俯瞰能力がその才能を迸らせるのか。

Cloud_gate ちなみにラストに登場するモニュメントはシカゴのミレニアム・パーク内にある「クラウド・ゲート」。英国を代表する現代アーティスト、アニッシュ・カプーア(彼は2012年のロンドン・オリンピック会場でも巨大モニュメントを建設することになっている)が手掛けた作品だ。

劇中での言及は皆無だが、向かい合う角度によって様々な像を映し出すその反射装置としてのこの機能に、ダンカン・ジョーンズが自らの作品のテーマ性を寄り添わせたくなったのではないだろうか。

もひとつオマケに、この『ミッション:8ミニッツ』はそのストーリーとしてのポテンシャルの高さから、主人公を代えてテレビシリーズとしても起動していくことが決定している。時期などはまだ未定だが、「グレイズ・アナトミー」や「クリミナル・マインド」のマーク・ゴードンが製作を手掛けるだけに、質の高いものが期待できそうだ。

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2011年10月24日 (月)

【レビュー】一命

狂言強盗というのは聞いたことがある。では、狂言切腹はどうだろう。

時は江戸初期。生活に困った浪人侍が大屋敷の門をくぐり、「庭を貸してくれ。切腹がしたい」と願い出る。屋敷の主人は驚いて、「切腹とは穏やかではない。何か事情がおありか?」と相談に乗り、果てにはその侍に「これを生活の足しになさい」と金子さえ与えてくれる。このことを耳にした輩が次から次に同様の手口で狂言切腹をダシに金子を手にしているという。

そしていま、ひとりのやつれた男が井伊家を訪ね、かぼそい声で「切腹をさせていただきたい」と言う。家人は彼を座敷に通したうえで、「考え直すなら今のうちだ」と諭し、こう続ける。

「以前にもそなたと同じような用件で尋ねてきた若侍がいた。だが当家では狂言切腹なるものは通用しない。彼がその後、どのような末路を辿ったか知りたいか?」

それでも男の決心は変わらない。時は満ち、庭先での切腹の準備が始まる。そして男は、自分の介錯を3人の若者にお願いしたいと言う。が、彼らは皆、どういうわけか行方が分からなくなっている者ばかり。家中の者たちの顔色が変わる。この男はいったい何者なのか?そこで彼がポツリと語り始めたこととは・・・。

********

三池崇史の容赦のない演出には『十三人の刺客』に続いて圧倒された。前回は動だが、本作はとことん静でいく。しかしその静謐な世界観の中でとんでもない人間の残酷さと、その対極にある純粋さが激しくせめぎ合いを見せる。その背後には関ヶ原の合戦からだいぶ経ち、平和な世の中が浸透するにつれて武士の価値観が少しずつ変容をきたし始めている社会状況がある(『十三人の刺客』はそれから更に時が進んだ江戸末期が舞台だった)。

ここに描かれる顛末はそのような日常に投下された劇薬のようなものだ。登場するのは刀は差しても合戦はおろか、人を切ったこともない者ばかりである。その渦中で瑛太が見せるハラキリの無念さ、エグさ、とことんさ。あそこが目をそむけたくなるほど酷いからこそ、後続の物語がその余韻のもとになだらかに連なっていったのだと思う。よくぞ躊躇せずにあそこまで描ききったものだ。

そして肝心の市川海老蔵はというと―。

数ヶ月前、この映画の音楽を手掛ける坂本龍一(彼のサウンドトラックは、水滴や風の音さえも聴こえてきそうなほどの静謐さに富んだものだった)がJ-WAVE「Radio Sakamoto」の中で海老蔵の起こした傷害事件について「あれは仕方ないと思った。(当時、彼が取り組んでいた役は)それくらいの壮絶な役だから」と語っていたのを思い出す。

事件の前日に映画を撮り終えたばかりだったという海老蔵は、役が沁みついて離れないまま、あの事件の日を迎えたのだろう。そして気持ちの整理が付かないまま、荒れてしまったのだろう。その行為は決して正当化されるものではないが、実際にこの映画を目の当たりにすると、役者とはこれほどまでに壮絶な職業なのかと、そのギリギリまで追い詰められた表情、目の動き、そして嗚咽に近い感情の発露の映し出される様に打ちのめされた。海老蔵が役作りにおいてとことんまで自分を追いこんでいたのは間違いない。そうしなければ表現できない境地に彼は達していた。海老蔵だとか、11代目とか、容疑者だとか、そんなスクリーンの外の事象を吹っ飛ばすほどの人生を背負ったキャラクターがそこには存在していたのだった。

一方、本作が時代劇史上はじめて3Dに挑戦したことはどのような成果を遺しただろうか。

そもそも三池崇史の『十三人の刺客』を観た時、僕はその冒頭、日本家屋の小さな扉を開くたびに次から次に恐怖譚が飛び出すという趣向に慄きながらも魅了された。あの極度の閉所感覚は他国では考えられないだろう。『十三人の刺客』を海外映画祭で発表した三池は観客の反応からそのことを実感したはずだ。

だからこその『一命』の3Dである。あの欧米人にとっては縮尺を間違えたかのような閉所感覚と、ふとした瞬間に柱と柱の隙間に引きずり込まれてしまいそうなほどに深い闇。それら表現するには3Dはまさに取り組み甲斐のある新技術と言えるだろう。

が、弱い。せっかく多様な日本家屋の建築技術が登場するのである。その細かく造りこまれた意匠、そして光&影のコントラストを世界に知らしめることのできる最高技術を手にしながら、それを充分には生かし切れていない。3Dはもっと深く表現されていい。もっとデコボコしていていい。そして臆せず、暗闇の裂け目として、もっともっと闇を表現していい。その意味で特筆すべき効果を上げていたのは、冒頭の玄関口を映し出したシーンと、雪の舞い落ちるシーン。これくらいだろう。

序盤に映し出される勇壮な鎧兜は、クライマックスではすっかり形骸化した象徴と化している。そのことが指し示す意味合いは深い。と同時に、昨今の大作映画における3D技術がこのような「鎧兜」になっている例がどれほど多いことか。奇才・三池崇史のことである。もしかするとそのような意味合いを含めての壮大なアンチテーゼだった・・・ってこともあり得るのだろうか。

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2011年10月18日 (火)

【レビュー】明りを灯す人

かつて『あの娘と自転車に乗って』という映画があった。なんとも胸を打つ純朴な響きだが、坂の多い長崎で育った自分には現実問題として“あの娘”と“自転車”という要素が一文の中に結実することなどあり得ないことで、未知なる世界だった。それゆえ舞台となったキルギスも、ほぼファンタジーの国に思えた。しかし、これだけは確実に言える。かの国にはいまだ「あの娘と自転車に乗る」ことに価値を見出す稀有な純情野郎が存在するのだ。

アブディカリコフ(ロシア名)。またの名を、アリム・クバト(キルギス名)。そんな彼の最新作が届いた。それが『明かりを灯す人』である。

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これはいざ旅するとなるとあまりに遠すぎる国キルギスへの脳内トリップを実現させてくれる貴重な作品であり、地平線の先まで広がる草原の広大さを見つめていると、僕自身の身体に沁み込んだ“日常”という概念の矮小さを思い知らされる。その気づきはまさに旅の効能と同じものなのかもしれない。

英語のタイトルは"The Light Thief(明かり泥棒)"。監督自身が演じる「ミスター・ライト(明かり屋さん)」は、その職能を使って各家庭に電気を導く日々を送っている。それが彼の仕事かと思いきや、なにやらこれは彼の善意、いや言葉を代えれば、タイトルどおりの「泥棒」行為のようだった。つまりはそこらの宙を貫く電線からちょっとだけ電力を拝借しているのだ。しかし彼自身、富める者と乏しい者とが共存する世界において、この行為を悪事などとは露ほども考えていないようだ。

おりしもキルギス中央では政府転覆、武力衝突、民族抗争と悲劇的な事態が巻き起こっているさなか。日常を支配する価値観なんて、いとも簡単に反転してしまう。その余波はこんなにのどかな村にまで。ミスター・ライトの朴訥な人柄がふと何かを察知したとき、そこには政治家を名乗る様々な人たちの姿が。不穏な風。惑う人々。果たして、この村はどう変貌を遂げてしまうのか―。

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監督であり、主演俳優でもあるアリム・クバトが9年もの歳月をかけたという本作。恐らくその過程では幾度もストーリーの変更を余儀なくされたことだろう(とくにキルギス2010年の政変などは映画自体に大きな衝撃を与えたはずだ)。

が、そこで複雑性を増すのでなく、むしろ完成した作品がよりシンプルかつ普遍的な身体を獲得していたことに驚かされる。それは序盤のミスターライトの「泥棒行為」、またはそれを「悪いこと」として取り締まろうとする権力の二律構造を、反転させ、繰り返し、このキルギスの草原という目線から国家、世界の在り方を見つめてみようとする試みでもある。

僕らはこの映画に遠く離れたのどかな国家を観るのではなく、ここで描かれる事象の多くが心理的・事象的にどんどん自分の身近なものへと近似していくことに愕然とさせられることだろう。

かの国はもはや冒頭に掲げた「ファンタジーの国」ではありえないのかもしれない。

だがライト氏が灯しつづける仄かな明かりだけは、世界のどこにでもあり、誰の心をも温かく照らす根源的な人間性の鼓動を象徴しているような気がしてならなかった。

そして、この朴訥な映画は、とある悲劇と共に幕を下ろす。

人間は、いや、我々ひとりひとりは、彼の意志を継ぎ、誰かのための「ミスター・ライト」と呼ばれる存在になれるだろうか。

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2011年10月 8日 (土)

【レビュー】猿の惑星/創世記

各メディアで「泣ける!」「大感動!」との文字があまりに踊っているので、今回はこの二言を禁じてお届けしたい。が、それにしても本作について述べるとなれば、大方の文章はどれも似た書き出しとなるのだろう。

それは「誰もがこの最新作のヒットを予想だにしていなかった」ということだ。

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当然、僕の中にも予告や宣伝を見るたびに嘲笑にも似た感情が芽生えていたことを告白せねばなるまい。また、BBCが伝えていたルパート・ワイアット監督への取材によると、今回の世界的な高評価に誰よりも彼自身が驚きを隠せないのだそうだ。いまだに戸惑いを引きずった彼は、ヒットの要因として「VFX技術をディテールに注いだこと」を挙げている。

それはつまり、ビッグバジェット映画にありがちな大規模カタルシス場面に技術を投入するのではなく、むしろ観客の体内に自然な形で入り込んでいくような場面にこそ手の込んだ作業を施しているということだ。たとえば我々は映画の中盤までくると、あのシーザーをはじめとする猿たちをひとつの個性、ひとつのキャラクターとして認識し、彼らの身体に流れる血潮や感情の起伏を一挙手一投足から読みとっている。これは『アバター』のモーションキャプチャー技術を応用して人間の俳優の顔面の動きまでをも猿の造型に投影したもの。かつてこれほど人間以外の外見をした生き物の感情に寄り添った映画体験があっただろうかと、映画が終わってから徐々に驚きが込み上げてくる。

また、今回の着眼点が我々の暮らしに、または現代社会の要素に深く通低していることも評価の要因だ。そもそも『猿の惑星』シリーズは、アメリカが公民権運動やベトナム戦争に揺れていた時代、当時の観客の意識を“虐げる者”から“虐げられる者”へと転換するのに画期的な役割を果たし、結果的に啓蒙を含んだエンタテインメントとしてその存在自体が時代と密接に結びつくに至った。ではこの現代においてふたたび「権利擁護」を掲げるのか?

いや、そうではない。本作では事の発端となる「アルツハイマーの特効薬」を糸口に、“老いていく生命“と“育ちゆく生命”とのベクトルの交錯点を身を切るほどの切なさで描ききっているのだ。

あの特殊技術で描かれた猿シーザー以上に、かつて怪優として鳴らしたジョン・リスゴーが思いもかけず要介護のおじいちゃん役で現われた瞬間、僕らはいったい何を感じるだろうか。僕は思わず「わー!」とか「ひゃー!」とか声にならない感嘆をあげそうになった。そして次の瞬間、同じような状況を自分の祖母と共に日々繰り返していることに思い至った。これは彼らの物語ではなく、私の物語であり、あなたの物語でもある。

その部分を旧シリーズのような衝撃を持って突きつけるのではなく、ゆっくりと提示して観客と共に価値観を共有しあっていく目線の在り方がとても心優しく思えたのだった。

かつて未来世界の黙示録を描いた『猿』はいま、観客と同じ風景と日常を見つめている。それはこの混沌とした時代を、憎しみ合いではなく慈しみ合いで乗り越えていこうとする作り手の意識の現われのような気がする。たとえ未来の結末がすでに(旧作によって)定められていようとも。

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2011年8月23日 (火)

【レビュー】 キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー

コミックスでは1941年に初登場を果たした、マーベルの中でも最古参ヒーローのひとり。この全身を星条旗であしらったかのようなコスチューム・デザインを一目見るや、なぜ彼がマーベル映画の世界戦略において最後の最後まで“出し渋り”されていたのか理解できるというものだ。

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アメリカがまだある程度、世界のリーダーとしての余力を保っていた時代に彼がお目見えしたなら、それは世界中の反感を買ったことだろう。今だから許される。すっかり弱体化してしまったこの国に星条旗男の映画が産み落とされたとして、それはアメリカ万歳という発想には直結しない。むしろ生じるのは古き良き“ノスタルジー”。それを、あのロケットボーイズたちの挑戦劇『遠い空の向こうに』の名匠ジョー・ジョンストンが描くのだとするなら、そこで立ち現われてくるほろ苦い空気を観賞前の我々がイメージするのはそう難しいことではない。

主人公は小柄な体格で幾つもの持病もちの青年スティーヴ・ロジャース。1940年代、アンクル・サムが"I Want You!"と指をさして若者たちの戦意を高揚させていたころ、彼は幾度となく兵役検査に引っ掛かり入隊を断られていた。しかし彼ときたら、おそらくマーベル・コミックのヒーローたちの中でも1、2位を争うくらいに真っ直ぐな人間。映画の中でいくつも重ねられていく善人エピソードの数々。そうしていつの日か、彼にチャンスが訪れる。軍が進めるスーパーソルジャー計画の被験者となってもらいたいとスカウトされるのだ。二つ返事で承諾した吹けば飛ぶようなヒョロヒョロな彼は、装置に入って出てくるや筋骨隆々のたくましい男へと様変わりしていた。

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時は満ちた。このとびきりのパワーを使って彼はナチス・ドイツ極秘計画の粉砕にいざ向かう!!

などと、すんなりとはいかないのだ。

ページをめくると彼はステージ上のヒーローとして全国行脚しながら観客に戦時国債の重要性をミュージカル調でアピールしている。今や彼はアンクル・サムと同じ位置に収まった。もちろんスーパーパワーは持ち腐れ。それは彼を深い葛藤へと追い込んでいく。そして仲間の部隊が敵陣に囚われたとの情報を耳にしたとき、彼の中で決意が奮い立つ。ステージ上のキャプテン・アメリカは遂に現実のスーパーヒーローとなって、いま、最も危険なエリアへたった一人での突入劇を敢行しようとしていた―。

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長い!ここまでが長い!ヒーロー映画というよりは、ひとりの男の苦悩を綴ったドラマがひたすら続く。しかしそれが駄作であるというでは毛頭ない。だからこそ面白い!ドラマ最高!ビバ!ノスタルジー!まるで『遠い空の向こうに』の青年たちが、たったひとつのロケットを空に高く打ち出すべく胸熱くなる人間ドラマを醸成していったように、ここでもスティーヴ・ロジャースがヒーローとして起つまでをひたすら根気強く、丁寧に映像化していく。

とりわけジョンストン作品で幾度も描かれる“父子の関係”がここでもポイントとなる。そもそもロジャースには父親がいない。でもだからこそ、彼の長所を最初に見抜いたナチスからの亡命博士(スタンリー・トゥッチ)との間に堅い絆が香る瞬間がある。そして博士亡き後の軍隊生活ではトミー・リー・ジョーンズ演じる気難しい大佐にも武骨な背中が見え隠れする。彼らの一方通行のやり取りがまるで分かりあえない父子のようでなんとユニークなことか。彼らトゥッチとジョーンズのキャラがふたつ合体すると、理想的なロジャースの父親像ができあがってくるかのようだ。

Captain
また、もうひとつの鍵となるのが次回作(2012年夏公開)となるマーベル・ヒーロー大集合ムービー『アベンジャーズ』への数々の布石である。『アイアンマン』、『マイティ・ソー』を次回作へと招聘すべく、人物、アイテムなど、これらとの結節部となるものがたびたび登場。どんどん世界が密接に絡まり合っていく様を、過去の視点から追体験することができる。

そして訪れるラスト、『アベンジャーズ』と時代背景を合わせるべく、キャプテンは現代へと降臨を果たす。その過程はしかと本編で確認していただくとして、そのクライマックスが切ない。こんなんでヒーロー映画と呼べるのかってくらい切なすぎる。試写が終わって感想を口にする人たちから幾度も「せつねー!」という声がもれきこえてきた。とくにロジャースの最後のセリフにほろっと泣かされる。

この余韻に浸りながら、今日、もう何度目だろう、またもや『遠い空の向こうに』のキュンキュンくる感触のことを思い出していた。そして帰り路のあいだ中、今日は早く戻って、あの名作のDVDを蔵出し再見しようと心に決めていた。僕の中で『キャプテン・アメリカ』はマーベル映画でありながら、かくもやはりジョー・ジョンストン印の、何かが噴射して空高く上昇していく映画なのだった。

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