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2012/02/21

【レビュー】アーティスト

流行と技術の相関関係は面白いもので、それは映画についても言えること。ちょっと前に3Dがもてはやされたかと思えば、今度はその揺り戻しでサイレント、しかもブラック&ホワイトときたもんだ。これはアンチ・テクノロジー組による由々しき逆襲だろうか?いやいや、人間とはそもそも生まれながらに発見し感動する生き物なのであり、その定義の難しい“感動”とやらは、経験則的に見て、どうやら自分の使い慣れない感覚が覚醒したときに最高値を迎えるらしい。現在、世界中の人々を魅了している『アーティスト』もその効用を見事に用いた作品といえる。

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まず座席に腰を落ち着かせた観客は、予告編が終わりいざ本編が始まろうかという時、目の前のスクリーン・サイズが(予告編よりも)グッと縮小されていく光景に驚くだろう。これは初期ハリウッドで用いられていた1.33:1という比率。これじゃダイナミックな映像が味わえないじゃないかと訝るのはやめよう。作り手は1920年代のハリウッド映画にリスペクトを捧げ、サイレント&白黒の趣向を最大限に堪能できる規格としてこのスクリーンサイズを選択している。

サイレントを誤解する人がいるが、上映中はシーンとしているわけではなく、常にサウンドトラックが高鳴っている。ただ登場人物たちが喋らないだけだ。彼らが“喋る”映画は“トーキー”と呼ばれ、この技術を用いた初の長編映画は1927年に公開された『ジャズ・シンガー』と言われている。ディカプリオ主演の『アビエイター』ではこの技術革命に主役のハワード・ヒューズが衝撃を受ける場面が盛り込まれている。そしてこの『アーティスト』もまさにその過渡期を描いた物語。

かつてサイレント映画の大スターがいた。彼に憧れる女優の卵がいた。女優にとって大スターは夜空に輝く星のような存在。手を伸ばしてもとても届かない。しかし時代が轟音を立てて激変する。トーキー技術の到来である。大スターは「そんなものは映画とはいわない」とばかりに否定した。そして没落していった。世界に不況がやってくる。人々は映画に夢を求めた。新しさを求めた。女優の卵はこのチャンスを機に大きく羽ばたいた。彼女は一躍、大女優に。いつしかふたりの立場は大きく逆転していた。しかし彼女はひとときたりとも彼のことを忘れてはいなかったー。

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本編を中盤ごろまで観ていると、なぜミシェル・アザナヴィシウス監督がこの映画をサイレントかつ白黒にしたのかその理由が分かってくる。おそらく彼の頭の中には技術の引き算としての『アーティスト』は全くなかったのだろう。よくある意図的に制限を設けてそこから飛び抜ける、といったものではなく、少なくとも僕の理解ではアザナヴィシウスは3Dを超えるエンタテインメントとして“足し算”としてこの手法を選びとっている。それが如実に分かるのが、大スターが時代に取り残されてしまった過酷な状況を楽屋のほんのワンシーンで巧みに描ききってしまう場面だ。誰もが「なるほど!」と手をポンと打ちたくなってしまう趣向が詰まっている。

サイレント時代の裏側を覗き見る上でも興味深く、スターと卵の純愛ムービーとしても胸熱くなり、方々で大絶賛されている名犬アギー君(彼はカンヌでパルムドッグを受賞)の演技と、またそれに匹敵するほどの名お抱え運転手ぶりを披露するジェームズ・クロムウェルの控えめな存在感を見逃してはならない(犬のように愛らしい表情のクロムウェルにもパルムドッグを与えるべきだ)。

そして何より、時代が一回転して至極新しい感覚をもたらしてくれる表現手法の数々をとくと味わうべし。ムルナウやフリッツ・ラング、ヒッチコック、ルビッチ、フォード、ワイルダーといった作品のクラシックの域に留まらない“永遠の新しさ”を知っている人はもちろん、それらを未体験の人にとっても新たな感覚を刺激されての映画観賞にドキドキ胸を弾ませ、いつしか二人と一緒に身体をスウィングさせながら華麗なステップを踏み出してしまうことだろう。

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