« 【NEWS】ビグロー新作撮影をめぐりインドで抗議活動 | トップページ | 【NEWS】新ロボコップ俳優ついに正式決定 »

2012/03/04

【レビュー】世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶

ドイツの巨匠がふたり、同時期に、それぞれ初となる3Dドキュメンタリーのフィールドへと飛び込んだ。その現場から聴こえてくるエピソードがそれぞれの個性を物語っていて面白い。まずヴィム・ヴェンダース監督は『pina』を製作するにあたって繰り返し『アバター』を観て、その技術と映像との相性について徹底的に検証したという。一方、『世界最古の洞窟壁画3D』を監督したドイツの奇才ヴェルナー・ヘルツォークは、『アバター』を観たときの感想について「なんだか嫌になって3Dメガネをはずしてしまったよ」と打ち明ける。彼は他の多くの映画関係者とは根本的に異なり、『アバター』に映画の新たな可能性など微塵も見出さなかったようだ。恐らくこの先自分が3D映画を製作することになるなどとは夢にも思っていなかっただろう。

そんな彼に「これは3Dで表現する以外に他に方法が見当たらない」と思わしめた被写体があった。それがこれ。人類の至宝「ショーヴェ洞窟壁画」だ。

Cavehorses
洞窟壁画として有名なものに“ラスコー”がある。あれが1万7千年前のもの。ショーヴェは3万2千年前だというから、ざっと2倍近い古さということになる。この時点ですでに途方に暮れてしまった人は、ひとことで「ずいぶん昔のこと」として脳内処理いただきたい。

とにもかくにも、あのヘルツォークが3Dカメラでショーヴェ洞窟を撮った。通常、一般人の入窟は許可されていない。カメラが入るのも今回が初めてのことだ。ドキュメンタリーゆえ「社会科見学のようなものだろう」と人は言うかもしれない。しかし巨匠はこれまで手掛けてきた狂気じみた、あるいは変態じみた怪作フィクション群とはまるで違う畏敬に満ちた眼差しでもって、僕ら観客を神秘と静寂と陶酔の世界へといざなってくれる。

ふと、この洞窟の入り口が、今さっきくぐり抜けたばかりの劇場の入口のように思える。映画館と洞窟、そして暗闇。原始も現代も変わらない密閉空間が、3万年もの時間差を一瞬にして埋め、我々を古代人と同じ連続性のもとに立たせているのだ。

そこで目の当たりにする意匠の数々。映像の動きに従って自らも意識の歩を進めるうちに自分がひとつ大きな勘違いをしていたことに気づかされた。僕は当初、ヘルツォークがこの洞窟内のゴツゴツした岩肌を活写するために3Dカメラを持ち出したのだとばかり思っていたが、それは違った。このショーヴェ洞窟では岩肌どころか、この肝心の壁画自体が凹凸の激しい岩肌に描かれている。そして驚きべきことに古代人たちはその凹凸を、この絵画の巧みな“演出”として利用しているのだ。ある部分では動物の躍動感あふれる筋肉の隆起を表し、ある部分では交錯した二枚岩が前方と後方の“遠近”を形作る。また他の動物絵画では脚が意図的に8本分描かれていたりもし、これはつまり漫画の手法と同じく、脚が高速で運動を繰り返す様子を表現したものと推測できる。こうした芸術性を前にすると、ヘルツォークが3Dカメラを選択せざるを得なかった理由が自ずと共有でき、自分が何かしら古代の儀式へとどっぷりと浸かってしまったような感覚さえ湧きおこってくる。

Herzog ヘルツォークは本作の水先案内人であり、語り部役も担っている(日本語吹き替え版はオダギリジョーが担当)。残念ながらこのツアーをもってしても、ショーヴェの洞窟壁画が何のために描かれたものなのか、古代人がこの場を何に利用していたのか、はっきりとは解き明かすことはできない。しかし何らかの儀式性を兼ね備えていたにしろ、記録的な意味合いがあったにせよ、古代人の“ストーリー”がここに封じ込められていたことには疑いがない。多くの映画鑑賞において我々は作品にストーリーラインを求めるが、この『洞窟壁画3D』を形成するのは、3万年前に一度語られたストーリーのかけらに手探りで触れようとする精神性である。それはまさに、いわば古代人の遺した“失われたフィルム”が今まさに暗闇に投影されているかのような状況と言える。

ふとヘルツォークが「誰かに見られているような感覚」という言葉を口にする。それは彼のみならず、ツアーの参加者(研究者や撮影クルーなど)の誰もが抱いていた想いだったという。さらに言えば、僕自身も客席に居ながらにして同じ思いにさらされていた。“誰か”の正体とは何者だろうか。洞窟内に留まる古代人の魂か、あるいはもっと高みにある神格化された存在か。いずれにせよ、我々がスクリーンに臨み、そして何者かこちらをじっと見つめているという感覚が互いに交錯した時、そのスクリーンを鏡面的媒介とした視線のシャワーは、何かしら途方もなく巨大なものとそれに対峙する矮小な自己との相対関係をまざまざと実感させるものとなる。

また「ヘルツォークらしいなあ」と感じたのは、最後に「編集後記」なるものが付与されるところだ。ここで彼はピリリと辛い文明論を展開する。観客によっては「ここは蛇足」と感じるかもしれないが、長年のファンにとってはまさに画竜点睛の域。そこでは先の“鏡面性”が趣向を変えた形で照射されていて唸らされる。ヘルツォークはやっぱりこうでなきゃ。

映画が終わり劇場を後にするとき、観客はあたかも自分が深い深い眠りから覚めたような、あるいは今まさに母の胎内から産まれ落ちた赤子になったような気分にさらされるはずだ。誰かが「それは洞窟による浄化作用かもしれません」と教えてくれた。古代人たちもこうやって暗闇の中、たいまつの火に揺らぐ(まるで実際に動いているかのような)洞窟壁画を観賞し、おなじように赤子に回帰したような心持ちで洞窟を後にしたのだろうか。そのような光景が3万年前に・・・。そんなことを考えていたら、日常の些細な悩みなんて軽く吹っ飛んでいた。「メメント・モリ(死を想え)」と人は言う。いや、その前に3万2千年前に想いを馳せよ。そこから見えてくるもの、そして自分自身の姿が必ずあるはずなのだ。

この記事が参考になりましたら、クリックのほどお願い致します。

TOP】【レビュー】【TWITTER

|

« 【NEWS】ビグロー新作撮影をめぐりインドで抗議活動 | トップページ | 【NEWS】新ロボコップ俳優ついに正式決定 »