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2012/03/20

【レビュー】裏切りのサーカス

一度観ただけでは全体像を把握しきれなかった。自分の理解力の無さに腹が立ったし、いやそもそも英国ではすでに伝家の宝刀と化したジョン・ル・カレによるこの原作"Tinker, Tailor, Soldier, Spy"がここまで省略の美学を駆使して描かれ、それを日本人である私が彼らとまったく同じ条件のもとで享受しなければならないことに、まずもってディスアドバンテージを感じずにいられなかった。

暗号名、人物名、作戦名、西側と東側、前後する時系列、人々の思惑、目線、語られない言葉、そして一度だに映し出されることはないカーラという人物。様々な情報のせいで頭の中は早くも飽和状態となる。果たして自分はこの物語についていけてるのか、いないのか。それすらも分からない。

しかしながらその飽和の海を漂いつつ、自分の胸をよぎった想いは、思いがけなくも非常に心地の良いものだった。分からなさの満喫。まるで自分の実力よりも少しだけ難易度の高い応用問題を解かされているような感覚。決してこの映画を克服できたような達成感はないが、逆にその一部として取り込まれたかのような充足感がある。それはある意味、私も秘密裏にあの老スパイ、ゲイリー・オールドマン演じるジョージ・スマイリーに、少なからず心を絆されていたという証しなのかもしれない。

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注意!この映画に限っては、ある程度のあらすじ、人物名などを把握してから臨まれることをお勧めします。すべての流れを頭に入れて臨むと、言葉、表情の背景
が分かってどんどん引きこまれてしまうことでしょう。

時は70年代初頭、イギリス諜報部(通称サーカス/その所在地がロンドンのケンブリッジ・サーカスであることからそう呼ぶ)では組織内に二重スパイを宿している可能性が浮上していた。責任者コントロール(ジョン・ハート)はジム・プリドー(マーク・ストロング)をハンガリーへと送り込み、そこで東側の大物との取り引きし裏切り者の名前を手に入れようとしていた。しかし作戦はあえなく失敗に終わる。何者かが情報を漏らしていたのだ。プリドーは撃たれ、その後の消息は不明に。すべてを引責したコントロールは組織を去ることを表明する。古い同僚、ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)も一緒に。その後、コントロールは失意のうちに死を遂げる。

サーカス内はパワーバランスが激変した。新たにパーシー・アララインが勢力を強め、彼の側近たちが上層部を支配するようになった。どうやら彼らは“ウィッチクラフト”と名付けた極秘作戦により独自の情報源と取引することでソ連側の動きを察知しているようだった。

そんな矢先、引退したスマイリーに政府筋から命令が下る。コントロールが抱いていた懸念、つまり「組織内に裏切り者がいるのかどうか」を調べてほしいと言うのだ。コントロールは生前、その可能性をサーカス上層部のメンバーに絞り込み、彼らに知られぬように英国伝統の“数え唄”から引用した暗号名を付けて捜査を進めていた。

ティンカー(修理屋)、テイラー(仕立屋)、ソルジャー(軍人)、そしてプアマン(貧乏人)。

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スマイリーによる極秘捜査がはじまる。彼のチームには元公安部の敏腕メンデルが補佐に付き、さらにはサーカス内の新鋭ピーター・グィラムが参加する。ふいにスマイリーの脳裏に現役時代の懐かしき日々が蘇る。仲間たち。和やかなクリスマス・パーティ。サーカス内の派閥争い。スマイリーの元を去った妻。ソ連KGBの大物、カーラ・・・。

それら記憶のモヤの先に潜む、真の裏切り者の正体とは―?

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なにしろ「007」のイアン・フレミングと同じ英国諜報部のOBたるル・カレによるスパイ小説である。描かれる世界観のリアルさといったらこの上ない。冷戦期ゆえに爆発や銃撃戦といった表向きの派手なシーンこそ皆無だが、その代わりに緻密なチェスの駒を一つずつ進めて相手の反応を探るかのような老熟したスパイの戦いがある。スマイリーは新しくあつらえたばかりの眼鏡の奥から真実を見極め、作戦を仕掛け、ホテルの一室からじっと動かない。そしてここぞと言う場面では粘着性のある声色を冷徹なまでに震わせながら、相手を袋小路へ追いこんでいく。その枯れた風貌が凄味を増す一瞬の落差にこそゲイリー・オールドマンの名人芸が光る。

そしてもうひとつ押さえておきたいのは、スマイリーの属する“西側”とカーラ率いる“東側”とが、まるで鏡面ごしに互いを見つめあうかのように存在し合っているという実態だ。

こちらが右手をかざせば相手も右手をかざす。ひとつが無くなればもうひとつの存在意義も消滅する。スマイリーらが追い求めるのは、もしかすると形を変えた自分自身の影かもしれないのだ。ふいに「かつて東側の要人を寝返らさせるために世界を飛び回って口説いていた」と語るスマイリー。その姿はどこかアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」にも似た孤独と哀愁を感じる。

そんな中、かつて一度だけ遭遇したかもしれないソ連側の“カーラ”についてスマイリーが重い口を開くシーンが印象的だ。なぜか女性名で呼ばれるこの謎の人物は紛れもない男性、それも鉄のカーテンの奥深くからこちらの動きを注意深く凝視している超大物である。こちらから手を伸ばしても決して届かない。それは叶わぬ愛のかたちにも似ている。

スマイリーにとってカーラは宿敵であるにも関わらず、この場面にどういうわけか“愛の告白”にも似た芳香が伴うのはなぜだろう。仮にカーラを“想いの届かぬ相手”と定義したとき、それは俄かにスマイリーが自分の元へ帰ってきてほしいと願い続ける愛妻との関係に通じるものがある。この距離感のイリュージョン。ものすごく近しい存在が、ものすごく遠い存在に思える瞬間。あるいはその逆。ここらの複層的な空気や時間の刻み方ひとつ取ってしても、この映画が何やらただ事ならぬ怪作である証しを垣間見ることができる。

*ちなみに1979年のTVドラマ版では具体的に映像としてカーラの姿が描写されるが(演じるのはパトリック・スチュワート)、今回の映画版ではすべてオールドマンの語りのみで描写される。この言葉の響きだけで観客の脳裏に絵が浮かばせる表現力の深さこそ、彼が主演男優賞オスカー候補となり得た理由だろう。

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また、言うまでもなく今回の映画化に際しては監督の功績があまりにも大きい。北欧映画にしてヴァンパイア版「小さな恋のメロディ」とも言うべき『ぼくのエリ/200歳の少女』で世界を魅了したトーマス・アルフレッドソン監督は、英国人には気づかない“外の目”から観た英国と世界との連続性を、驚きのアングルで切り取って提示してみせる。加えて、本作の製作にはフランス系のスタジオキャナルも参加。いわば外からの視点がこのクラシックをふたたび鮮烈なスタイルのもとで蘇らせたといっても過言ではない。

とりわけ様々な想いが複層的に渦巻くパーティー・シーンはイギリスらしさの象徴とも言うべき秀逸な場面だ。サーカスの面々が羽目を外し、無礼講でダンスに興じ、パンチのレシピにケチをつけ、壁には輪っかを連ねた飾り物が学芸会風に垂れ下る。そして普段は敵国であるはずのソ連国家の大合唱。もしかすると同じ日、同じ時間、世界の裏側ではソ連KGBの面々がクリスマスに浮かれ、イギリスの国家を歌っているのかもしれない。幾度か繰り返されるそのシーンの愛らしさ、イギリス人らしさと言ったらない。またここで交わされる視線にこそ、あらゆる答えが詰まっていたことに、観客はラストシーンになって改めて気づかされることだろう。

そこからなだれ込むエンディング、フランスの名曲「La Mer(海)」に乗せて描かれていくエピローグの優雅さに思わずむせ返りそうになった(フランスの楽曲を使用したのはスタジオ・キャナルへの配慮か。あるいは東西冷戦に乗じたフランス側からの文化侵略か)。まさかラスト・ピースにこんな絵柄をあてはめてくるだなんて誰が予想できただろうか。

もはや「誰が犯人か?」「自分は理解できているのか」なんてどうでもいいことだった。今はただ、このステップ、メロディー、余韻に身を委ねていたい。乾杯を捧げたい。心からそう思えたのだった。

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