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2012/05/11

【レビュー】ミッドナイト・イン・パリ

人間の意識や想像力はタイムマシンをも凌ぐ。あらためてそう思わせてくれたのが、ウディ・アレンのこの新作だった。タイムスリップにはいちいちSF的な特殊装置など必要ない。アレンほどウェルメイドな成熟ぶりを自由自在に操れるようになると、そこの街角をちょっと曲がり、午前零時の鐘の音を聞いただけですぐに時代を遡れるのだ。それも日常との落差なく、ごく自然と。

アカデミー賞で脚本賞に輝き、世界中でアレン作品として最大のヒットを記録した『ミッドナイト・イン・パリ』はその物語中にマジックリアリズムともいうべき語り口を秘めている。冒頭にまるでポストカードから飛び出したかのようなパリの街並みを朝から夕暮れまで、それこそバックにはシドニー・ベシェのオールディーズなジャズ・ナンバーを一曲分、十分に響かせたかと思うと、その後、映画は一気に革新へと入っていく。

Midnight
パリを訪れたカップルがふいに別行動を取る。男は脚本家をなりわいとしているが、もう他人の書いた脚本のリライト仕事で日銭を稼ぐのは嫌だと考えている。もっと自分のオリジナリティを高めたい。書きかけの小説を完成させたい。そう思いながら徘徊していた深夜のパリの裏道。道に迷って途方に暮れていると、あちら側から懐古趣味なクラシックカーがやってきて、綺麗に着飾った紳士淑女らが「さあ、来いよ!」と手招いてくれる。そうやって誘われた彼が押し開くのは、19世紀パリに集いし芸術家たちが織りなすダンスパーティーだった―。

登場人物は数知れず。それこそフィッツジェラルド夫婦にはじまり、コール・ポーター、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ、マン・レイ、ルイス・ブニュエル、T.S.エリオット。彼らが仰々しく登場するのではなく、気がつくとすぐ隣に居て、芸術談議に花を咲かせつつ、なおかつこちらの意見にも耳を傾け、親身になってアドバイスを授けてくれる。その時空を超えたあまりに自然な語り口に魅了されないわけがない。

そこで話題に昇るのは“ノスタルジー”という概念だ。あたかもウディ・アレン本人が乗り移ったかのようなオーウェン・ウィルソン(その仕種や話ぶりがアレンにしか見えなくなってくる不思議!)がボソボソと不器用に語るのは、“ノスタルジー・ショップ”を題材にした幻想小説の構想。恋人も友人も馬鹿にして相手にしないが、「僕らはいつも一昔前の時代に恋焦がれる」というテーマを芸術家たちは決して一蹴することなく、「そりゃ面白いな」と真摯に受け止めてくれる。同業者として敬意をもって接してくれるのだ。

そんな情景に魅了されながらふと想う。そもそも我々が異国の地で、いま踏みしめた石畳を100年前、200年前に歩いていたであろう人々に思いを馳せることはままあることではないか。また、想い詰めた人であれば「ああ、エジソンならばどう乗り切るだろう?」などと何気ない想いをめぐらすことも日常茶飯事だろう。

『ミッドナイト・イン・パリ』はそうやって我々が旅先で心に灯す何気ない創造力の発露を、ひとつの物語として巧みに紡ぎだした映画と言える。たかが一瞬の夢、日常に見た幻かもしれないが、そこは多くの旅行者が経験してきた意識上の普遍性で見事に彩られており、だからこそ僕らはまるで自分の内的世界を探索するかのようにこの物語をすぐさま血肉化して享受できるのかもしれない。

ちなみに、この映画の構造はなぜかクリストファー・ノーラン監督作『インセプション』を彷彿とさせる。気になってネットで2作品のタイトルを同時に検索にかけると、やはり同じことを感じた観客は世界中にたくさんいたようで、「『ミッドナイト・イン・パリ』はアレン版の『インセプション』だ!」と言い切ってしまっている輩まで存在した。

さて、あなたはどのように感じるだろうか。

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