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2012/05/25

【レビュー】私が、生きる肌

人は往々にして「映画とはこうでなければならない」などと口にしがちだ。しかしその言葉は自分の好みを他人に押しつけるための手段でしかない。実際には映画にあらかじめ定められた拘束着などあろうはずもなく、むしろ我々はそこから解き放たれたフリーな一手を突きつけられたときにこそ、心の底から驚き、あわてふためき、混乱し、意味不明に「申し訳ありませんでした」と土下座しそうになる。

僕にとってスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの監督作とは、上京して『ライブ・フレッシュ』や『オール・アバウト・マイ・マザー』という作品群に出逢ったときから常にそのようなものだった。好き嫌いの領域では到底片づけられない。むしろ僕という人間のその小さな器では垣間見ようもなかった人間の有り様を見せつけてくれる。そして映画をマイノリティ視点の代弁者として捉えたときに、アルモドバルほど観客の心のスイッチを入れ替え、これまでとは全く違った思考回路にいざなってくれる映画監督を僕は知らない。

その長きにわたるキャリアの中でも最新作『私が、生きる肌』(英題:The Skin I Live in)は、現実よりもちょっと先にある医学的、情念的狂気を丹念に描き、まさに驚きに値するものだった。と、ここで「驚き」という言葉を使用しただけでもハードルを上げることになるので、もうこれくらいにしておこう。

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主人公はアントニオ・バンデラス演じる医師だ。火傷を帯びた身体への皮膚移植の分野でめまぐるしい功績をあげてきた彼だが、実生活では屋敷に謎の監禁部屋を作り、そこにひとりの美しい女性を住まわせている。全身スキンウェアに覆われた彼女は日がな鳥かごの鳥のように暮らし、その不自由さも今や日常と化している様子だった。しかしある日、あるじ不在の屋敷にひとりの獰猛な男が銀行強盗犯として逃げ込んでくる。監禁部屋の彼女を発見した男はそこで欲望の限りを尽くそうとするのだが―。

同性愛や女性映画といった視点は鳴りを潜める。代わりに特異なストーリーテリングにあわせて、皮膚レベルにおける”衣”的問題が顔をのぞかせ、そこに人間の心の在り方が重ねて紡がれていく。妖艶と狂気とを横断するカメラワークが観る者の心を異世界へといざない、時折混入される赤が鮮烈に心に突き刺さる。

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面白いのは、外面的に観ればかなりアブノーマルに見えるこの映画もまた何らかの衣服を身にまとっており、その表層的な部分に覆われることによって観客の興味を繋ぎとめ、なおかつその向こう側にはアルモドバルの相変わらずの視点「身体と心の不一致」が見え隠れするところだ。仮に人間の身に同様のことが本当に巻き起こったとして、この試練にどう立ち向かえば良いというのか。はたまたこの映画で描かれる構造自体が、これまでアルモドバルが見つめ、描き続けてきた人たちの、偽らざる心の象徴であるとしたら・・・。

心と身体を分かつのはほんの数ミリにしか過ぎない皮膚。本作はその数ミリの宇宙に観るダーク・ファンタジーであり、身体の慟哭であり、叫びでもある。アルモドバルの真意を測るには、この皮膚上(ストーリー)と皮膚下(メタ)の2種類のレベルでこの映画に向き合う必要性がありそうだ。

そして観終わった後、どういうわけか、たまらなく母親に逢いたくなる。こんな不思議な気持ちに浸らせてくれるのも、アルモドバルならではと言えるだろう。

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