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2013/11/19

【レビュー】ハンナ・アーレント

冒頭、路上に放置された懐中電灯の灯りは、次のシーンではアーレントの煙草の火へと移り変わる。アーレントは思考の過程でゆっくりとその煙草をくゆらせる。時には長椅子に横たわりながら。そして時には窓からの景色を眺めやりながら。

ふと気づくと、外には無数の灯り。夕べの到来。そして河の向こう側には一斉にアーレントに対して視線を注ぐかのような街の灯りが浮かび上がる。非常に象徴的な場面である。こちら側とあちら側。これから描かれることが極めて孤独な闘いとなることは最初から目に見えていたーーー。

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ハンナ・アーレント。このユダヤ人思想家については名前くらいしか知らなかった。正確に言うと、アイヒマン裁判というキーワードと、「凡庸さ(陳腐さ)について」という言葉だけは聞き覚えがあったが、アーレント関連とは全く意識せぬままに、頭の中に無造作に放り込まれただけの知識だった。彼女の著書を紐解いたことはない。不勉強である。それだけの準備で映画『ハンナ・アーレント』に臨んだ。

それが幸いだったのか、この映画に対しひとつの作品として真向かうことができた。そもそもハンナ・アーレントの人生を俯瞰してみると、どの部分を抽出しても2時間ドラマになりそうな激動がある。本作はその中でも彼女の人生が濃厚に凝縮された象徴的な事件、アイヒマン裁判の顛末にスポットを当てる。

ナチス親衛隊に所属し、ホロコーストにも直接的に関与したというアドルフ・アイヒマン。彼は戦後、逃亡先のアルゼンチンにてイスラエルの特殊部隊によって拉致され、その後、イスラエルにて裁判に掛けられた。その裁判の席で彼は、大量虐殺が自らの残忍さによって行われたものではなく、自分はただ上からの命令に対して従順だっただけなのだと主張する。それを聴いたユダヤ人たちは、なんたる詭弁なのかと憤慨する。自分の手でおびただしい人たちを殺めておきながら、開き直るとはいまいましい、と。

だがアーレントの考えは違った。アイヒマンの主張にこそナチスの大犯罪が起こった仕組みを解き明かす鍵があるのではないかと考えた。アイヒマンは確かに罪人だ。しかし最大の罪は、彼が人殺しを厭わぬ悪魔的な心の持ち主だから、というものではなく、むしろ自ら思考することを放棄し、ただ機械的なシステムの一部と化すことを許容した“凡庸さ”にこそあったのではなかったか、と。

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ここからアーレントの闘いが始まる。彼女自身、同胞らと共に目くじらを立ててアイヒマンのことを感情的に糾弾できればどれほど心穏やかに、最高の友に囲まれながら人生をやり過ごせただろうか。

現代においては彼女の「凡庸さ」論について「これぞ真理!」と手を叩いて得心する人も多いだろう。しかし自分の身に起こったことと仮定して考えてみると、その論理に頷くことには相当な覚悟が必要となることが分かる。

たとえば自分の家族が無惨にも殺され、しかも全員が遺体を焼かれ、この世から消滅させられたとする。あの時代、収容所の外に出られるのは焼却炉の煙と化した時、とまで言われたほどだ。

そんな殺人行為に携わった者に対して「悪魔、地獄に堕ちろ」と罵りたいのに、一方では「彼の罪は凡庸さなのです」などと主張する仲間がいたとする。思わず頭が沸騰して、はらわたが煮えくり返ってしまいそうだ。アイヒマンは生まれつきの極悪人で、我々とは全く別種の人間で、だからこそ彼はあのような非人間的な犯罪に手を染められたのだと、そう烙印を押さないことには遺された者たちの気持ちが収まらなかったことは想像に難くない。

だがアーレントは違った。その被害者意識の波に呑み込まれることからどうにか脱しようとする。そうやって自分なりの頭で思考して論理を紡ぎ出すことこそが、かつてのナチスの亡霊や思考停止の凡庸さを、真の意味で葬り去る究極の手だてと考えたのかもしれない。

どちらの主張が正しいとかではない。どちらの声にも耳を傾けるべきだ。

ただ、この映画において、激戦に身をさらす彼女の姿はハードボイルドであった(筆者が本作とハードボイルドという言葉の結びつきを意識したきっかけはこちらの記事でした)。自らの信念をじっくりと鋳造し、論理という銃弾を装填し、真の巨大な敵(凡庸さ)に向かって引き金を引く。その姿はまるで『グロリア』のジーナ・ローランズを思わせるようだった。

時代はいま、あの頃に比べて複雑化しているのか、それとも恐ろしいほどに単純化しているのか。いずれにしても人類が人類である以上、我々は思考し続けなければならない。そうすることでしか悲劇を乗り越えることはできない。煌々と、静かに揺らぐ炎。スクリーンから投げかけられた灯火は、いつしか観る者の胸にも小さな灯りをもたらす。『ハンナ・アーレント』はそのようにして想いを、そして思考を、現代へと伝えていく映画だ。

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