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2015/01/27

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

人と人との間には常に何らかの壁やフィルターが存在する。たとえばここで私が何かを綴ろうとも、それが意図通りに伝わるとは決して限らない。それは私の文章力が覚束なかったり、意図しないところで思わず力が入ってしまったり、あるいは私自身が自分の言いたいことをよく噛み砕いて理解していないからうまく伝えられないなど、理由は様々だろう。そう、人の想いとは、えてして暗号のように難解なもの。

ただし、多くの人は本能的に、隣にいる誰かと意思疎通を図りたいと感じるものだし、自分もそう努力できる人間でありたい。それがつたないやり方であったとしても、自分や相手の中にそびえる壁を壊して何かを伝えたい。コミュニケーションとは、意思疎通とは、そういった格闘の集積であると思うから。

前置きが長くなった。映画『イミテーション・ゲーム』は、第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍が使用していた特殊な暗号機「エニグマ」を解読すべく、ひとりの男が政府に雇われ、研究に没入していく物語である。

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彼の名はアラン・チューリング。ケンブリッジ大のキングス・カレッジを卒業後、フェローとして研究に没頭した数学者だ。後に私たちが享受することになるコンピューターの基礎理論を形作った人としてもその業績はあまりに大きい。

そんな彼が、戦争が始まるとブレッチリー・パークで極秘裏に行われていた暗号解読のプロジェクトに身を投じ、そこで連合軍を苦しめ続けてきた難攻不落の暗号を解き明かすべく、マシーンの開発に明け暮れることになる。結果的に、彼の功績によってエニグマは見事解読され、連合国を勝利へと導く鍵となった。

この「あらすじ」だけをみれば、それは緊張感あふれるサスペンス。あるいは、多くの兵士達が命を散らす激戦地から遠く遠く離れたところで繰り広げられるもうひとつの「命がけの闘い」とも言えるだろう。英国の諜報機関MI6や軍部上層部との駆け引きなども盛り込んで、映画はスリリングに展開していく。しかしそれだけでは終わらない。作り手はここにチューリングの半生を織り交ぜ、なおかつ当時の時代の空気をも変数として提示してみせる。

なにしろ映画の冒頭からして、この華やかな業績とはかけ離れた、警察署の取調室から始動するのだ。1950年代、とある事件の被害者として聴取を受けるチューリング。表向きは単なる空き巣事件のようだったが、被害者であるはずのチューリングの態度に不審な点を感じた刑事は、何気なく彼の過去を捜査しはじめる。すると戦時期の功績はおろか、政府によって多くの経歴が抹消されていることが発覚。彼の身になおいっそう不審の目が向けられることになる。

当時といえば「ケンブリッジ・ファイブ」という、かつてケンブリッジ大で学んだ5人の学生が共産主義に傾倒し、後に政府内部で働く中でもソ連側のスパイとして数々の情報を流していたという事件が表沙汰となり、社会を震撼させた頃でもあった(この事件はル・カレの『裏切りのサーカス』の素材となっているとも言われる)。身の回りに共産主義者が入り込んでいることを警戒する空気、あるいはその後のチューリングを襲う悲劇に象徴されるように、理解しがたい他者を排除しようとする空気があったのは想像に難くない。

『イミテーション・ゲーム』はこの時の「取り調べ」から過去を述懐するという構成になる。ここで描かれるチューリングという人は、天才的な頭脳を持ちながらも少年時代からちょっと変わった性格の持ち主だ。寄宿学校では常にイジメの対象となる彼だったが、いつしかそこで得た唯一の友と友情を紡ぎ、仄かな想いを募らせていく。当然、彼の行動は周囲から奇異に受け取られる。彼にとって周囲の周波数は自分と同一ではあり得なかった。常に他者との違いを意識せざるを得ない人生が背負わされていた。自他のギャップを解き明かし埋め合わせる日々。それは常に暗号を解き続けるのと似ている。

そんな彼がやがて挑戦することになる人生最大の試練こそ、この「エニグマ」の解読というわけだ。

彼は解読のために、仲間意識や組織内の立場などは意にも介さず、上官の命令にも逆らい、何かに取り憑かれたかのように黙々と、巨大かつ不気味な装置を作り上げていく。また、能力のない人物はさっさと切り捨て、逆に才能があれば女性の登用も率先して行う。そうして出会った一人の女性と婚約も果たす。彼女と二人三脚で困難に立ち向かう中で、自分の主張を通すためには何が必要なのか、チームをまとめるためにはどんな配慮を成すべきなのかも学んでいく。彼にとってはこうした一挙手一投足が暗号解読のための大切な鍵でさえあったかのように、物語はすべての要素を包括して展開するのだ。そんな想いを共有して、いつしか同じ研究仲間たちが開発に力を貸しはじめる。こうして彼は、ほんの束の間ではあるものの、ひとりではない時間を得ることになる。

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人とは違う、どこか人間離れした個性と知能を持ちながら、実は誰よりも人と気持ちを通い合わせたかった。そんな痛いほどの想いが彼の原動力となっていたのかもしれない。また、時代の空気や偏見、価値観、世間体などを決して当たり前として受け止めず、そのフィルターを超えた向こう側にある真理を掴み取ろうと目指していたからこそ、彼とそのチームは常識破りの困難に勝利することが出来たのかもしれない。

いつしか「エニグマ」は人が解読し突破すべきあらゆる壁やフィルターの象徴として浮かび上がってくる。だからこそこの映画は単なる偉人伝ではなく、むしろ現代世界においてもなお訴求力を持って観客の心に光を照射させはじめるし、ベネディクト・カンバーバッチ演じるチューリングの人物像は序盤の宇宙人のような立ち振る舞いから、だんだんと共感すべき人物としてクローズアップが成されていく。つまりは、この映画もまた、アラン・チューリングの不可解な人生を解き明かすためのひとつの解読機であった。

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奇しくも私がこの映画を観た時、世間のニュースはアメリカで起こった警官による黒人射殺事件とそれに連なるデモの模様で埋め尽くされていた。それからひと月も経たないうちに、今度はフランスでテロが発生し、その後の表現の自由をめぐるデモへと繋がり、それからイスラム国による日本人誘拐事件が現在進行形で続いている。エニグマは複雑化するばかり。それに伴いフィルターや壁も分厚くなる。声尾は聞こえなくなり、隣人は遠い存在となる。『イミテーション・ゲーム』の描くテーマは、刻一刻と深刻化して、国際社会から地域のコミュニティまでをも今なお揺るがしているように思えてならない。

かくも観念的ではあるものの、ストーリーの縦軸に次々と問題意識を投入し、人類の前に立ちはだかる壁をおぼろげながら可視化してみせる。そこに大胆なチャレンジがある。混沌としたこの世の中を見つめる上で、本作はまさに映画というメディアにしか成しえない視点でもってその機会を提供してくれている。

【2015年アカデミー賞】
・作品賞候補
・主演男優賞候補(ベネディクト・カンバーバッチ)
・助演女優賞候補(キーラ・ナイトレイ)
・監督賞候補(モーテン・ティルダム)
・脚色賞候補(グレアム・ムーア)
・編集賞候補(ウィリアム・ゴールドバーグ)
・美術賞候補(マリア・デュルコヴィック)
・作曲賞候補(アレクサンドル・デスプラ)

【2015年ゴールデングローブ賞】
×作品賞候補
×主演男優賞(ドラマ部門)候補(ベネディクト・カンバーバッチ)
×助演女優賞候補(キーラ・ナイトレイ)
×脚本賞候補(グレアム・ムーア)
×作曲賞候補(アレクサンドル・デスプラ)

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