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2015/06/09

海街diary

吸い込まれそうな光。打ち寄せる波。古くて広い鎌倉の家に暮らすこの四姉妹の物語は、幅広く支持を集めるコミックの映画化ながら、これまでの是枝裕和監督作ともにわかに繋がっているかのような印象さえ受けた。いや、もっと言えば、物語の中のみならず、どこか僕らが暮らす日常とも確かな連続性があって、この世界の片隅に本当に彼女たちが生きている、そんな意識を自ずと芽生えさせる作品だった。

姉妹の家庭環境は複雑だ。かつて父が家族を捨てて、母も自分の人生を求めて家を出た。残された姉妹は祖母の手で育てられた。その祖母もいつしか亡くなり、今では成人した三姉妹が自分たちの力でこの家を守っていた。そこに、父が死んだとの知らせが届く。知らない田舎町を訪れて葬儀に参列する姉妹たち。彼女たちは父の遺したもうひとりの娘と出会う。哀しみの淵にあっても毅然とした妹だった。看護師の長女は瞬時に、この妹が最期まで付きっきりで父を看病し続けてくれたことに気付き、別れ際おもわず「鎌倉で一緒に暮らさない?」と声をかける---。

こうして始まった四姉妹の共同生活。それぞれが持つ個性豊かな性格、表情をキャメラが丹念に映し撮っていく。編集が穏やかな鼓動を刻む。衝突する場面も多い、が、基本的に血がつながっている彼女達はどこかで鏡面的に、相手の姿に自分自身を見出すかのように、家族のこと、自分のこと、これからの人生のことにそれぞれの気づきを見出していく。

その過程を身体に水分がすっと沁み込んでいくかのように受け止め、登場人物の喜怒哀楽に身構えることなく、家族の肖像をずっと穏やかな気持ちで見守っている自分がいた。登場人物の中にリリー・フランキー演じるカフェのおじさんがいるが、言うなれば、彼とちょうど同じくらいの距離感。

是枝監督の作品では、よく「死」が隠れたモチーフとなる。本作でも同じだ。最初は誰もがドキリとさせられ、登場人物の心象にも影を投げかける要素ではあるものの、しかし是枝作品の中で死はそれのみで完結することはなく、必ず「生」との連続性を持って提示される。だからこそ是枝さんの作品はすべてを受け止めて流れていく河のように感じられるのかもしれない。その河は、登場人物だけにとどまらず、なんだか自分の心の中にも流れている、懐かしく、親密なもの。たとえば、本作で姉妹が「おばあちゃんの匂い」と口にする時、どれだけ多くの観客が懐かしいその匂いを思い出し、鼻をツンとさせるだろうか。こういった点が、彼女たちと観客とが同じ世界の空気を吸っているように感じられる理由かもしれない。

そして是枝作品では多くの主人公が「自分は此処にいていいのか?」と思い悩む。本作の末妹「すず」もこれと同様の立場だ。そこにはアイデンティティがまだ確立する前の子供たちの心象に深く寄り添いたいとする視座があるのだろう。そして多くの場合、答えはもう先に出ているのだ。あとは打ち寄せる波のように、少しずつ少しずつ心が満ちていくのを待つ。その過程が丹念に描かれている。

凛とした女優たちによって、鎌倉の四季の移ろいにあわせながら丹念に綴られていく四姉妹物語。その映像に触れるだけで涙ぐんでしまうものがあった。見終わった後には「物語」として閉じるのではなく、むしろ自分の人生に向けて光を照射してくれる。人は多くの人と出逢い、別れて生きていくもので、その経験が多ければ多いほどこの映画は胸に響くものとなる。角度によって煌めきも変わる。おそらく10年後、20年後、その印象は観る人の中でも大きく変容し続けるに違いない。

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