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2018/02/11

『ヘンリー・フール』3部作

ハル・ハートリーという映画作家がいる。

彼の手がける作品の魅力ついて一言で説明するのは困難だ。いや、どれだけ言葉を尽くしたとしても、最終的には「とりあえず観て。そこから始めよう」とこちらが匙を投げてしまうかもしれない。それほど彼の作品は、ある意味、掴みどころがなく、そうであるがゆえに、公開から20年以上が経った作品たちも今なお抗い難い魅力を放ち続けてやまない。その作品に触れると我々はまるで日向に横たわるみたいな心地よさに包まれる。その光の射す方へ向けた、やわらかないざない。

正直、ストーリーのことはあまり覚えていないのだ。ただ、コミカルな描写に思わず笑みがこぼれたり、繊細な演出に胸打たれたり、唐突もなく出演者たちが踊りだす(『シンプルメン』)可愛らしさにときめいたり、なんだか上映中にいろんな感情が刺激され「ああ、なんだかこの映画が好きだ」と感じてしまう。それくらいの説明が、語彙力の乏しい私には限界だ。

だが、1999年に日本公開を迎えた『ヘンリー・フール』は、これまでの「掴み所のなさ」とはやや違う、ストーリーとしての強度があったように思う。それは、どこからともなく、両手に大きなバックを抱えてやってきた謎めいた男が、ゴミ収集人のサイモンの自宅で暮らし始める物語。名はヘンリー・フール。「告白」と銘打たれた超大作を執筆中の彼は、どうやら自称・作家らしいのだが、どれほど凄い作家なのかは一向に分からない。

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ヘンリーは、酒もタバコも大好き。人としても問題が多い。そんな彼が、言葉数も少なく憂鬱そうな表情を浮かべるサイモンに様々なことを指南し始める。文学のこと、世界のこと、人生のこと、哲学のこと。次第に彼はメンターのような存在となっていく。

やがて、彼に影響されたサイモンはノートと鉛筆を手に取り、何やら「ポエムらしきもの」を書きなぐり始める。スペリングも文法も無茶苦茶。でもそこには光るものがあった。彼の才能をいち早く発見したヘンリーは、そのポエムらしきものが書かれた紙切れを、近所の雑貨店の店先に貼り出す。すると、それを読んだ人は怒り出したり、卑猥だと叫んだり、琴線に触れたと涙したり・・・。次第に「ポルノか?芸術か?」をめぐる社会現象にまで発展していってしまうーーー。

(以下、結末にも触れています)

この『ヘンリー・フール』の面白いところは、肝心の師匠ヘンリーの正体というか、自称・作家としての真価が明らかになる場面だろう。彼の「告白」がどれほどの大傑作なのか期待してページを開くと、実は全く大したことのない作品だった、というのだ。どうやら、ずっと偉そうに指南してきた彼には、これっぽっちの才能もなかったらしい。なんという皮肉。

だが、それでもヘンリーは、最後の最後まで「告白」を書き連ねた何冊ものノートを大事そうに、鞄いっぱいに抱えながら、走り続ける。その姿は実に情けなく、滑稽だ。でも同時に、胸が揺さぶられるほど感動的でもある。なぜか。その光景が誰しもの胸のうちにある普遍性に突き刺さるからではないだろうか。世の中は複雑にできている。何が正しいのか、間違っているのかもわからない。今評価されているものが10年後、20年後に誰からも苦笑されるような代物に成り下がっていることもしばしばだ。そんな渦中で、何か信じられるものといえば、両手に抱えた二つの鞄。その中に詰め込まれた、周囲から見れば何の価値もない己の才能だけなのだ。

本作のタイトルは、筆一本で社会現象を巻き起こす”サイモン・グリム”ではない。あくまで「ヘンリー・フール」だ。そちら側から物語を切り開くハル・ハートリーはやはり素晴らしいと思う。私はヘンリーの人間性の大部分は全くもって信じられないが、しかしあの鞄を抱えて走り続けるヘンリーの姿だけは信じられる。その姿に優しい眼差しを注ぐハル・ハートリーの力量も信じられる。

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本作が日本で劇場公開された1999年は、個人的に人生最悪というほど悩みにくれた年だった。今後の人生、どうやって生きていけばいいのか皆目わからず、信じられるものなど何もなかった。だが、そういう時に限って、たった一本の映画がとてつもない勇気をあたえてくれることがあるものだ。どういうわけか、思いがけないタイミングで試写会に当選し、とても体調が悪かったにもかかわらず「もったいないから」という理由だけで駆けつけた新宿の安田生命ホール。人によっては本当に取るに足らない映画に見えるかもしれないが、少なくとも私はこの映画に、二つの鞄を抱えて走るヘンリーの姿に救われたし、その時の高揚した感情は今なお、胸の中で残り火をたたえている。

本作は1997年の制作から20周年を迎えた。ヘンリーの息子として登場するリアム・エイケン君はもう28歳。『ヘンリー・フール』はこれまで一度もDVDリリースされることなく、すっかり幻の作品と化していた。

しかしその状態がついに打破されるという嬉しいニュースが届いた。日本でのクラウドファンディングの呼びかけが実り、本国でポッシブル・フィルムズ制作の『ヘンリー・フール』DVDーBOXセットが「日本語字幕付き」でリリースされることになったのだ(日本のAMAZONでも取り扱いあり)。しかも『ヘンリー・フール』のみならず、2006年の第二作『フェイ・グリム』、2014年の第三作『ネッド・ライフル』も含めてトリロジーでのお目見えである。なんとありがたいことか。クラウドファンディングに参加された方々に、心から御礼を申し上げたい。

私自身、まさか彼らの物語に続きがあるなんて知らなかった。知りたいような、知りたくないような。そんな複雑な感情を胸に、さっそく覗いてみると、続編内ではヘンリー・フールが著した膨大な「告白」をめぐって予想もつかない事態が巻き起こっていた。その妻、フェイ・グリムは行方不明となった夫の影を追い、まるでスパイのように世界各国を飛び回る。さらにその息子、ネッド・ライフルは保護プログラムの終了とともに社会へと旅立ち、母の代わりに自分が父ヘンリー・フールを探し出そうと奔走するーーー。

いずれも世界、芸術、嘘、裏切り、才能、陰謀など、大胆なテーマを取り扱いながらも、ハートリー監督はこの奇想天外な世界を「カメラのフレーム」の中だけで巧みに切り取って、たとえそれが低予算であっても、彼にしか成しえないセンスの塊のようなフィクションを紡ぎ出してくれる。やはりハートリー節は健在だった。おなじみの俳優たちもみんな年輪を重ねて、びっくりするくらいのベテラン俳優に成長している(彼らに再会できたのも本当に嬉しかった)。そしてどこからともなく流れてくる音楽は、相変わらずハートリー自身が奏でているものだ。20年前のコード進行とメロディをかすかに残しながら、作品ごとに異なる色調が折り重なって、独自の主旋律として立ち上がっていく。

3部作を見終わった時、私自身の旅も終わったような気がした。それは予想していた結末とはまるで違ったが、しかし予想を裏切ってくれたことが正直、嬉しかった。果たして本作に触れた方々は、どのような感想を胸に抱かれるだろう。この日本に一体どれくらいのファンがいるのか皆目見当もつかないのだが、私のように旅を終えられた方もいれば、いまから旅を始める方もいらっしゃるはずだ。そこでは、私がこの映画に出会って救われた時代とはまた別の、現代の文脈での受け止め方がなされるのかもしれない。今はただ、雑貨屋の店頭に張り出されたサイモンの詩のように、じわじわとこの三部作の存在が広がっていくことを願うばかりだ。

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