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2019/09/26

ヒッチコック「サボタージュ」(1936)

Sabotage-02ヒッチコック作品の中では、本作の知名度などほんの豆粒ほどにしか満たないかもしれない。が、小さいながらも、一本一本にドキッとさせるような仕掛けを潜めて観客を驚かせるのが英国時代のヒッチコックの常套手段。本作もなめてかかると痛い目を見る。タイトルからして注意が必要で、いわゆる労働者が意図的にその仕事を遅らせたりする行為のことではなく、ここでは「破壊活動」や「テロ行為」がその意味にあたる。第二次大戦前のきな臭さ漂う中、イギリス国内で大停電や爆破テロなどを画策する謎の集団に焦点を当てつつ、八百屋に扮して捜査する刑事や、容疑者の妻であり映画館の経営を切り盛りするヒロインなども絡めつつ、事態はますます複雑さを増していく。

 

中でも一つの見せ場となるのが、時限爆弾の仕掛けられたフィルム缶がロンドン中を移動し、今にも爆発しそうな緊張感が否応なく高まっていくところ。1936年の映画ゆえ、リアルな爆破シーンを活写しているわけではないが、その分、カット割りや編集の巧みさによって驚くべきシーンに仕上がっている。未見の方はぜひ一度、見ておいたほうがいい。そこからもつれ込むクライマックスの顛末も脚本が見事。いやはや恐れ入りました。

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2019/09/24

「ホームステイ ボクと僕の100日間」(2018)

あの傑作アニメの原作が海を越え、なんと今度はタイで実写映画化。文化や日常が丁寧に(タイ式に)翻案されて、とても見応えのある作品に仕上がっていました。そんな新作「ホームステイ ボクと僕の100日間」について映画.comでレビューしています。気になった方は是非お読みください!

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「エイス・グレード」(2018)

ネット文化が当たり前のようになって、生活が変わった。人が変わった。思考法や感情のあり方、そして自己表現の方法も大きく変わった。それを映画がナチュラルに物語の体内へ取り組むことができるようになるまで随分と時間がかかった気がするが、『search』や『エイス・グレード』のような作品はその現時点での到達点と言えるのだろう。

本作は無口な学校生活を送りながら、自宅で密かに動画をアップし続ける(でも視聴者数は一桁)YouTuberがヒロインだ。中学校から高校へと進学する成長の狭間に立ち、彼女はなんとか今の自分を変えたいと願っている。その必死さゆえに、彼女は何よりも自分の心を保つために配信し続けているようにも見える。悲しいのは、その洞穴の中へ向けて叫び続ける声を、誰一人として聞いていないどころか、聞こえてさえいないことだ。

無口な日常、気まずい父娘関係、視聴者数一桁。もしもこれだけを世界の全てとして受け止めたら、それはあまりに絶望的な現実だ。だが実際はそうではない。気づくか、気付かないかで、人生は大きく変わる。このようにあらゆる世代が文学や映画や音楽を通じて何度も何度も輪郭線をなぞって謡いあげてきたテーマを、本作はネット文化を使って普遍的かつ爽やかに描ききろうとする。父親役のジョシュ・ハミルトン、最高である。

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2019/09/22

幼少期の映画体験

今や映画館といえば「完全入れ替え制」が常識だが、僕の幼少期はまだ「途中入退場可能」。すでに半分くらい上映が始まっていても平然とそこから見始めることが多かった。それゆえ映画の終了を告げるのは、カタルシス満天のクライマックスではなく、あくまで「あ、ここのシーン、見たな。じゃ、帰ろう」という“気づき”だった。僕には映画というものが一つのコンテンツというよりは、切れ目なく延々とループし続けるメビウスの輪のように思えていた。

かくも途中から見始めるものだから、想像力にかかる負荷は甚だしいものがあった。主人公は誰で、どういう状況に陥っていて、このストーリーはどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。これらをできるだけ短時間に演算処理して飲み込むのもまた、映画鑑賞の一つの習慣というか、醍醐味だった。かくも走り出した列車に後追いで飛び乗ることにかけて、我々の筋肉はアスリート並みだったのだ。

もうあんな体験、二度としたくないしできないだろう。でもなんだかとても懐かしい。タランティーノが『パルプ・フィクション』のような、ある意味、どこからでも鑑賞可能な映画を作り得たのも、ひとえに「途中入退場可能」の時代の発想があったからではないだろうか。じゃあ、クリストファー・ノーランの『メメント』は? 途中入場するとますます訳が分からなくなりそうだが、でも逆にこれは無限ループ映画のような気もする。究極のところでいうと、アンディ・ウォーホールが眠る男を6時間映し続けた『sleep』。もしも完全入れ替え制のシネコンでこの映画を見る機会があるとするなら、それは至福か、それとも拷問だろうか。

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2019/09/19

洞窟の比喩

プラトンの著作「国家」に「洞窟の比喩」という箇所がある。

洞窟の中に手足を縛られた囚人がおり、視界すら制限された彼らは正面にある壁面しか目にすることができない。背後では火が焚かれ、壁面に様々な影を映し出す。囚われの人々はその幻影=虚像を見て「ああ、これが人なのか」とか「あの動物はこんな形をしているのか」などと、すっかり世界を理解したつもりになっている。もしもこんな状況下で、一人の人間を束縛から解き放ち、洞窟外の真実を体験させたなら、どうなるだろうか・・・。

ここで最終的に述べられるのは、教育の重要性や、教育を受けた者の使命なのだが、それにしてもこの「比喩」があまりに独創的ゆえ、僕のような人間は議論そっちのけで、ついつい状況の方に目がいってしまう。そして勘のいい方は既にお察しだろう。世の中にはこれに影響を受けた創作物が星の数ほど存在する。例えば、ジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』がそうだし、『マトリックス』もここに源流の一部がありそうだ。

ふと、公開中のとある映画にもこのエッセンスがかすかに香るのを見た。相変わらず映画館という洞窟に飲み込まれていく我々を、古代ギリシアの人々はなんと見るだろうか。

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2019/09/18

「アス/Us」

ジョーダン・ピール監督の最新作『アス/Us』について書きました。

戦慄ホラーの中に現代社会への視点を潜ませた、ジョーダン・ピールの監督術/CINEMORE

Handsacrossamerica

Us

夜な夜な、自分にそっくりな姿のモンスターたちがやってくる・・・というホラーなんだけれど、映画が終わって「あれは一体何だったのか?」と考えると、思いもしなかったいろんな気づきや発見がこみ上げてきます。

ここに書いてることが正解か間違いかではなくて、いろんなことを考えさせられる、ってところがこの映画のポイントなんだと思います。

ネタバレありなので、鑑賞済みの方にしかお勧めできませんが、気になった方はお読みいただければ幸いです。

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2019/09/16

マクガフィンの由来

ヒッチコックは「映画術」の中でマクガフィンという言葉の起源についてこう述べている————列車の中で二人の男が語り合っている。一方が「あの荷台の荷物はいったい何だね?」と尋ねると、もう一方は「あれはマクガフィンだよ。スコットランドのハイランド地方で、ライオンを獲るのに用いられる道具さ」。「でもあそこにはライオンなんていないぜ」「じゃあ、マクガフィンじゃないな」と続く。なんとも煙に巻かれたような気にさせる小話だが、「映画のマクガフィンは無意味なものに限る」というヒッチコックらしい主張が垣間見えるかのようだ。

翻って、メルヴィル監督作『サムライ』では「謎の依頼人」を探し求めるというマクガフィンが起動するものの、もう一段階、俯瞰すると、タイトルの「サムライ」もまた一つのマクガフィンであることに気づかされる。

我々は「サムライとは何ぞや?」との命題を浮かべつつ本作に真向かう。だが、確たる答えは用意されておらず、我々は想像力で補うしか術がない。こういった曖昧模糊なマクガフィンのあり方を貫いたからこそ、本来繋がるはずのない日本のサムライとフランスの殺し屋が繋がった。ある種のファンタジーが両者の切断面を綺麗に繋ぎ合わせてくれたのかもしれない。

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2019/09/15

マクガフィンなるもの

マクガフィンという専門用語がある。別に知らなくても映画を楽しむのになんら支障をきたすものではないが、でも知っておくとストーリーを構造的に見つめることができる。例えば、金塊探しをめぐって大冒険が巻き起こる物語ではその金塊がマクガフィンとなり、また謎の人物を探し求める映画では人物そのものがマクガフィンとなる。かくも物語や登場人物たちに行動の動機付けを与える要素をそう呼ぶのである。

この言葉を大々的に広めたのはヒッチコックだが、彼は「マクガフィンは無意味なものに限る」との考え方で、彼の映画ではいつも、書類だとか暗号だとか、別のものでも代用可能なシンプルさが重視された。そこに意味を与え過ぎると物語の道筋がかえって見えにくくなるからだ。

ここで、昨日取り上げたジャン=ピエール・メルヴィル監督作『サムライ』を引き合いに出してみよう。主人公が追う「謎の依頼人」とはいったい何者だったのか。その正体についてメルヴィルは当初「秘密機関の長」を想定していたらしいが、結果的に「私は彼が何者なのか知らないし、知りたくもない」というほど全く特徴のない人物となった。そして書籍「サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生」の中ではっきりこう述べている。「彼はヒッチコックが(「映画術」という本の中で)トリュフォーに語っている”マクガフィン”なんだよ」。

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2019/09/14

「サムライ」(1967)

アラン・ドロン主演の名作『サムライ』について書かせて頂きました。

Lesamourai

フレンチ・フィルム・ノワールの傑作が描く孤高の生き様/CINEMORE

本作が公開されたのは僕が生まれる10年前なので、当時の日本人がどんな面持ちでこれを受け止めたのか、その確かな情景は想像するしかないのですが、今回はあくまで自分史に忠実に、自身がこの映画に触れるきっかけとなったジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』という映画を導入部に置きながら綴ってみることにしました。お前がメルヴィルを語るなんて100年早い!と言われそうですが、もう恥も外聞もない年頃なので、生きているうちにできるだけ多くの名作世界へ潜り込み、できるだけわかりやすい言葉でお伝えしてければと思います。

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2019/09/12

荒野の誓い(2017)

クリスチャン・ベールは、たった一本の映画の中で、天と地ほどかけ離れたところへ向けた人間性の変移を体現できる数少ない俳優だ。これが並の俳優だと、一個の体の中で整合性が取れずバラバラに引き裂かれてしまうだろうし、観客の目にも演技が成立しているようには到底見えないはず。だが驚くべき表現性に魅入られたベールにはそれができる。たった一つの身体で破格のスケールの人生を物語ることができるのだ。

Hostiles

公開中の映画『荒野の誓い』で彼が演じるのは、過去にネイティブ・アメリカンと壮絶な戦いを繰り広げた男。多くの死を目にし、あの戦いの意味を今なお問い続けている人物だ。お互いに許し合うこと、憎しみを乗り越えることでしか、我々は失った人間性を回復することはできない。この地で平和に暮らし、愛する人たちを守りたいと願うのであれば、それはなおさらのこと。そんな彼が就いた新たな任務の中で、彼はさらなる試練と葛藤の時を迎える・・・。

何よりも見て欲しいのはラストである。現代を代表する俳優クリスチャン・ベールの一つの到達点というべき佇まいがそこには刻まれていて、思わず意表を突かれて涙してしまった。世界中で新たな時代の争いが絶えない中で、本作は人と人とが許し合いつながり合うための気づきを与えてくれる。まずはそこから始めるべきなのだと、彼らの歴史が教えてくれている。

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2019/09/10

バート・レイノルズとワンス・アポン・ア・タイム

‘69年当時のハリウッドの状況や、俳優たちの生き様に思いを馳せることで味わいが増していく『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。たとえば、ディカプリオ演じる主人公には、バート・レイノルズを始めとする様々な実在俳優たちの姿が投影されていると言われる。となると、ブラピの役どころの一部には、レイノルズのスタントマンとして知られるハル・ニーダムあたりが降りているのだろうか。人生の低迷期を経験した二人だが、70年代になるとニーダムが監督を務めた『トランザム7000』で大ヒットを獲得。俳優とスタントマンの関係性でいうと、他にも『大脱走』のバイクシーンで名高いマックイーンとバド・イーキンズなどが有名だ。

タランティーノの『ワンス・アポン〜』に出演する予定だったレイノルズは、2018年に惜しくも急逝。また、一説によると、本作には若き日のレイノルズ役としてジェームズ・マースデンがキャスティングされていたものの、最終的に「スペシャル・サンクス」としてクレジットされるにとどまったという。出番がなくなった理由は定かではないが、こうすることでレイノルズの魂は出演者の一人としての域を超え、「主人公の一部」となって吸収、融合されていったように思えてならない。極めてタランティーノらしい追悼の仕方と言えるのかも。

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2019/09/09

タランティーノとポランスキー

タランティーノの新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』については以前にも記事を書いた。その時、下調べする中で、ロマン・ポランスキーにまつわるちょっとしたエピソードを見つけたので、ご紹介しておきたい。

ご存知の通り、本作にはポランスキーと’69年時の妻シャロン・テートが関わってくるのだが、当初、タランティーノはポランスキーに一切の許諾を求めていなかった。一連の事件はもはや個人的体験を超えた「重要な歴史の一部」であり、それゆえ彼と連絡を取って詳細な言葉を交わす必要など全くないと考えていたからだ。

一方、ポランスキーはこの企画の噂をどこからか聞きつけ、ある日、共通の友人がタラに「どんな内容なの?」と電話をかけてきたのだとか。どうやらポランスキーは怒ってるとか、懸念しているとかでは全くなく、純粋に興味関心を寄せているらしい。この時、初めてタランティーノは事前に内容を伝えておいてもいいかなと感じるわけだが、しかし当のポランスキーは自由に渡航できない身。そこで先述の共通の友人がタラ邸に招かれ、代理として門外不出の脚本を読ませてもらったそう。もちろんそこで火種が生じるなんてことはなく、結果、何ら問題ないまま、企画を前に進めていくことができたという。

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2019/09/08

「追跡者」U.S.Marshals

映画『追跡者』について書きました。

スピンオフという概念を、この時代(20年前)に堂々と振りかざすことのできた『追跡者』は、駄作か良作かといった単純な議論を超えた、かなりの先駆者だったーーーー。

Marshals

TLJは今とさほど変わりませんが、こうしてみるとRDJはやっぱり若いですね。当時33歳。薬物がらみでいろいろお騒がせしてきた彼を面白い役で使っている点でも、非常に画期的でした。その反面、彼は撮影に来なかったり、メディアに対してこの映画のことをボロクソに貶していたりもしていたそうで。多分、相当コンディションが悪かったのだろうなあと予想するわけですが。「アリーmy Love」で途中降板してしまったのも懐かしいですね。そんな彼が今やハリウッドを代表する有名人の地位にまで上り詰めているわけですから、本当に人生は何が起こるかわからないものです。

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2019/09/07

「歩け走るな!」(1966)

東京オリンピック開催まで一年を切り、期間中の宿泊場所の確保などが喫緊の課題と言われているが、今から50年も前にいち早くその問題を取り上げていた映画があった。

‘66年の米映画『歩け走るな!』は、前回のオリンピック期の東京を舞台にした物語だ。冒頭、クインシー・ジョーンズの音楽に乗せて60年代の街並みが軽快にスクリーンを駆け抜けると、そこにはホテルの空室がなく悩みに暮れるケーリー・グラントの姿。彼が掲示板で「同居人募集」の張り紙を見つけたことで、東京の空の下、外国人男女3人の奇妙なルームシェアが始まっていく。

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「ヘンな日本」の描写もあるにはあるが、イヤな気はしない。それどころか、ソ連選手がKGBに行動を監視されたり、各国選手が夜な夜なパーティーを繰り広げたり、また英米の気質の違いが火種になるなど、オリンピック開催地ならではの“るつぼ感”がとても楽しく表現されている。

で、本作はグラントの最後の出演作でもある。すでに還暦を超えていた彼は「もうロマコメの主演を張る歳でもあるまい」ときっぱり引退を決意。その心根を象徴するように、本作には「あとは若い二人に任せて、私は御暇しますかね」というシーンがある。その小粋さがなんとも素敵だ。

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2019/09/06

第四の壁で遊ぶ

第四の壁(fourth wall)という概念がある。演劇などで舞台と観客とを隔てる透明な壁のことで、これをあえて打ち破って積極的に観客へと語りかけてくる作品としてはシェイクスピアの「リチャード3世」などが有名だ。もちろん映画も例外ではない。近年だと『デッドプール2』が「第四の壁」という言葉もろとも持ち出して、観客を果敢に挑発していたのを思い出す。

先日鑑賞した『アモーレス・ペロス』でも、ガエル・ガルシア・ベルナルが一瞬だけ、カメラの向こう側へ視線を投げかける場面があった。これは照明の調整を行っている際に、ガエルが不意に視線を遊ばせたことで偶発的に起こったものとか。ちょうど主人公が暴挙に出ようとする転換点だったこともあり、作り手たちは彼の不敵な笑みを「観客への挑戦」と呼んで、そのまま使用することに決めたという。

観客に語りかけることが(名目上の)禁じ手なのは、もともと舞台芸術が観客ありきでなく、神への捧げ物、つまり儀式として発展してきたからだろうか。とすれば、最初にその壁を破り、観客に語りかけた人の勇気たるや計り知れない。今日の演劇や映画などは、そういった掟破りの連続によって発展してきたものなのだろうな。

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2019/09/04

第11回福岡インディペンデント映画祭 3日目

■いよいよ最終日。中洲川端から六本松まで走ろうかと思ったが、外へ出てみるとあいにくの雨。地下鉄で会場へと向かう。この日は日曜日ということもあり、会場の福岡市科学館内は目をキラキラと輝かせたお子さん方でいっぱいだった。もちろん彼らは映画祭を見に来たわけではなく、各種展示スペースや、プラネタリウムを兼ねたドームシアターへと吸い込まれていく。そんな流れに抗うように、私は今日もサイエンスホールを目指し、ここでひたすら映画を観る。

 

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第11回福岡インディペンデント映画祭 2日目

■二日間ほど寝ていなかったので、中洲川端にある宿泊先で泥の川に沈み込むかのように眠る。目が醒めると7時半。頭もスッキリして、映画に備えるコンディション万全である。あまりに快調すぎたため、そこから六本松まで走っていくことに決めた・・・までは良かったが、地図を見ない私は案の定、道に迷い、予定していた時間の倍かかってようやく会場に到着。そうこうして、本来、映画鑑賞のための注ぐべき体力を無駄に消耗したまま、二日目、始まる。

 

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第11回福岡インディペンデント映画祭 1日目

■今年は行けない。行けるはずがないと思っていたが、徹夜で原稿を書き上げたら急に心の中の誘惑の力が強まり始め、気がつくと格安の朝一航空券をポチッとやってしまっていた。朝一の便となると自宅からでは間に合わない。そこでいい方法がないかと調べてみたところ、お台場の大江戸温泉物語で夜を過ごし、明けて3時半のバスで成田へ向かうルートがあるらしい。こうして金曜日の朝方、まだ世間が寝静まっている頃にごそごそ温泉を抜け出して、成田から福岡へ飛んだ。

■第11回福岡インディペンデント映画祭は、六本松にある福岡市科学館にて30日から9月1日までの3日間行われた。出品作の中からグランプリや各部門を決めるコンペティションは2年に一度とのことで、今年はお休み。そのためプログラムは昨年の受賞作や、各種特集作の上映によって構成されるものとなった。

 

 

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アモーレス・ペロス

メキシコ出身の名匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが2000年に発表した長編デビュー作『アモーレス・ペロス』について書きました。

Amoresperros

イニャリトゥが亡き息子に捧げた喪失と再生の物語/CINEMORE

彼の作品は創る側が激しく魂を削り、観る側もまた魂を削る。そうやって少しずつ両者が共鳴していくひとときーーーー。東京国際映画祭で出待ちしたことのある私にとっては、とても忘れがたい作品。いろいろ調べながら、様々な思いが隠されていたことを知り、理解が深まりました。ご興味ある方は是非ご一読いただければ幸いです。

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