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2020/01/29

『彼らは生きていた』がもたらす、かつてない映像体験

かつて映画界に一大旋風を巻き起こした『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ。この映像革命とも言える本作を手がけたピーター・ジャクソン監督がいかなる作品を仕掛けるのかは、新作発表のたびに世界中のファンが固唾をのんで見守ってきた関心事と言える。そんな彼が2019年に解き放った最新作はまさかの戦争ドキュメンタリー。今からほぼ100年前の第一次大戦、その戦場の最前線に焦点を当てた作品だ。そしてさすが、ピーター・ジャクソンというべきか、彼が本作で見せた執念のほどは凄まじいものだった。まずはBBCに保管されていた膨大なる映像資料を紐解く。もちろん音も色も付いていないものだ。この「モノクロ」と「サイレント」というあり方は、私たちの日常の中でも記号的に機能し、そこに映し出されたものを自ずと「歴史」として捉えるメカニズムが出来上がっているように思える。

だが、これを逆手に取ったかのようなピーター・ジャクソンの企てが始まる。彼は記録映像に「色」と「音」をつけ、これまで私たちが「歴史」として分類していた思考上の壁を取り払ってみせるのだ。

モノクロ映像で始まった本作は、冒頭を抜けたある地点から、ふとカラー映像に変わる。その刹那、自分の胸の中で沸き起こったかつてない「揺らぎ」の感覚は長らく忘れることがないだろう。戦場へと向かう兵士一人一人の表情が克明に伝わってきて、それは自ずと、彼らの感情そのものと対峙することにもつながっていく。歴史と対面するのではない。私たちは日常中でふとすれ違った若者の顔を直視するみたいに、驚くほどすぐそばにある存在に触れるのだ。彼らが映し出されるのは一瞬でしかないものの、その一瞬からリアルな「生」が飛び込んでくる。

新たな事実が解き明かされるわけでも、衝撃的な場面(戦場のシーンでは多くの死体が映し出されるものの)が描写されるわけでもないのだけれど、音と色を伴って歴史的映像に触れたこと、もっと言うと100年前の兵士たちの素顔に出会えたことは、自分の目で同時代的にそれらを目撃したかのように驚くべき体験だった。記録を記憶として受け継ぐこと。従来とは全く別の感覚を発動させながら歴史を感じ、触れること。『彼らは生きていた』はそういった映画の可能性を指し示してくれる極めて興味深い作品である。

 

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2020/01/27

フェリーニの『甘い生活』

どうやら私が学生の頃、フェデリコ・フェリーニ作品は映画を愛する者にとって必須の教科書のように言われていたらしい。あえて「らしい」という表現を使ったのは、こと私自身に至っては、誰かにそう言われたわけでも、見ろと強制されたわけでもないからだ。私に映画の師匠はいなかったし、映画研究会に所属して映画の見方を習ったわけでもなかった。ただ、そうはいっても、新宿TSUTAYAで目にするフェリーニ作品は、セルでもレンタルでも圧倒的な存在感があり、私にとってそれは手を出したくても出せない高い壁のようにすら思えた。そこを登らないと次の景色が見えてこないのはわかっているのに・・・。私はその山を迂回して別の景色ばかりを目にして生きてきた。で、結局、いつかは忘れ物を取りに、元の場所まで戻ってくる羽目になるのだ。

La-dolce-vita

そんなわけでフェリーニの『8 1/2』に続いて『甘い生活』を見た。3時間に迫る映画だ。かつての新宿TSUTAYAでもレンタルVHSをよく見かけたが、パッケージの印象からして甘いラブストーリーなんだなと思っていた。もし私に師匠がいれば「ばかやろう、むしろ怪作の部類だよ」と教えてくれたはずだ。

線形のストーリー構成から華麗に逸脱したこの映画は、当時のタブロイド紙を賑わした様々なセンセーショナルなニュースが元になっている。それらをちりばめた7日間が、マルチェロ・マストロヤンニ演じる新聞記者の目を通してタペストリーのごとく綴られていく。

さすがフェリーニ。あっけにとられる描写が多い。特筆すべきは冒頭、ヘリに吊り下げられたキリスト像がローマ上空を滑空するシーン。そして中盤、聖母マリアを見たという少女たちをめぐって人々が大集結する場面。さらにはラスト、海辺に怪魚が打ち上げられるシーン。いずれも幻想性を丁寧かつ繊細に浮かび上がらせ、イマジネーションが炸裂する。

やがて各エピソードの総体から浮かび上がるのは、当時の社会性や時代性だろうか。説教じみたことは一つもない。むしろそうやって様々な日常や事件を投げかけられ、共にその場の空気を吸い、ローマの7日間を共有したかのような余韻がこみ上げる。そんな3時間。もっと若き日に出会いたかった・・・正直、そう思ったが、これはこれで、今しか成し得ない唯一無二の出会いだったようにも思える。早いも遅いもない。最後は巡り巡って、誰もがあるべき場所に立つ。人生とはそういうものだ。

 

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2020/01/23

追悼テリー・ジョーンズ

学生時代の頃だったろうか。友人と公園でパンを食ってたら、鳩がその食べクズを狙って何気なく近づいてきて、ああもう鬱陶しいな、こんな鳩、爆発しちゃえばいいのに!とちょっとだけ過度な言葉をこぼした時、ふと友人が「それ、モンティ・パイソン」みたいだな、と口にしたのだ。その時、僕はモンティ・パイソンが何たるかを全く知らなかったから、今思えばコムデギャルソンとかと同じ響きを持つ言葉として「なんだかオシャレでかっこいい」とすら感じていたかもしれない。で、その時、友人から教えてもらったのは、彼らが6人組のコメディ集団であること。しかもメンバーの一人は『12モンキーズ』などで知られるテリー・ギリアムだということだ。

60年代にBBCで伝説的なコメディ番組をスタートさせた彼らは、タブーをものともせず、権力を笑い飛ばして、あらゆるものを揶揄し、馬鹿げたものの中に知的なものを、そして知的なものの中に馬鹿げたものを見出す天才だった。彼らが掲げ、振り下ろすナンセンスという名の武器。その唖然とするような切れ味はもはやコメディを超えた芸術的な域にまで達していたように思う。僕らは画質も音質も最悪のVTRのテープで彼らのスケッチを擦り切れるまで見た。ある日、本当にテープが擦り切れて、こんなことって起こるんだなと感じたものだ。面白いことにそれから間もなくしてTVシリーズのDVDが発売され、あの頃の努力はなんだったんだと思ったが、今になって思うと、観るときの手間暇ってやつはそのまま付加価値となってより頑強に記憶を補強しているらしいことにも気づく。あの時に見たモンティパイソンは最高だった。今なおそう思う。

テリー・ジョーンズが亡くなった。彼のチームメイト、テリー・ギリアムの新作『ドン・キホーテ』が日本公開される直前の出来事である。これまでタブーを恐れず死さえも笑い飛ばしてきたパイソンズだけに、今回も何らかの目配せがあるように思えてならないのだが、今朝見たニュース映像では親友のマイケル・ペイリンが泣いていた。「もう、あいつと飲みにいけないんだ」と泣いていた。そんな姿を見て、ああ本当なんだ、と実感が湧いた。

甲高い声、女装姿、それから全裸で尻を出してオルガンをジャジャーンと弾く姿。それから歴史家としての一面も併せ持ち、数々のスケッチでもそのこだわりを強くにじませてきた彼。情熱的で、その熱心さが時に頑固さへと逆噴射することもあっても、それも全部込みで世界中から愛されてきた彼。

映画監督としても『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』でテリー・ギリアムと共に共同監督を務め、単独で監督した『ライフ・オブ・ブライアン』(この時、監督は一人の方がよかろうという方針もあって、ジョーンズが監督し、ギリアムはプロダクション・デザイナーに徹した)では宗教上のタブーを冒し、世界中で大論争を巻き起こして、パイソンズの名をさらに高めることにつながった。それ以上でもそれ以下でもないのかもしれないが、彼らの築き上げてきたものは、あらゆるものに遺伝子として受け継がれている。ご冥福をお祈りするのと共に、心から感謝の気持ちを捧げたい。

 

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81/2

映画というものは数だけたくさん見ればいいものではないと思っている。仕事柄、結構な数の関連作品を見たり、それに類する書籍なども読み漁っているものの、だからと言ってなんなんだと思う。行けば行くほど自分が正しい道を進んでいるのか自信がなくなり、むしろ普段は全く映画を見ない人が偶然出会う運命的な一本の方が、どれほど貴重かと思う。様々な理由で映画に触れる機会の得られぬ人が味わうたった一本の方が、飲み干した時の癒しもひとしおだろう。


私の父は何か事あれば「フェリーニはいいぞ」が口癖だった。今になって思えば、父はそれほど映画そのものの知識が深いわけでも、数多くの量を見ているわけでもなかったのかもしれない。しかしおそらく学生時代に、わずかな金額で三本立てくらい見れた映画館にこもるのが唯一の楽しみで、そこで見たフェリーニが忘れられなかったのだ。なので私が幼い頃から、折に触れて「フェリーニはいいぞ」と口にしていた。それはもはや作品そのものがいいというよりも、人生や、過ぎ去りし日々や、何とも言えない郷愁のようなものも全部込みの、父だけのフェリーニが出来上がっていたのだと思う。なので父のフェリーニと、私のフェリーニは多分違う。奇しくも私がフェリーニを始めてみたのも学生時代だったが、ちっとも面白いとは思えないどころか、話の筋さえ分からなかった。フェリーニなど最悪だと思った。


でも、40歳を過ぎたあたりから、何か自分の中の感覚のあらゆるものが変わり始めているのも事実だ。確実に言えるのは、自分があの頃の父の年齢とほぼ同じところにまで追いついているということ。そして気づけば私も、いつの間にか「スコセッシがいい」とか「イーストウッドがいい」とか口にするようになっている。若き日の私がいちばん嫌いそうなタイプの人間だ。

フェリーニの『8 1/2』という作品の主人公もまた、私とほぼ同じ年齢だという。当時のフェリーニ監督の年齢とも大して差はない。監督の投影ともいうべき主人公は、映画作りに行き詰って終始悩みにくれ、保養地にある温泉の蒸気に紛れて、かつての幼少期の記憶のようなものが一気に噴き出していく。最初は不気味に、辛辣に、そしていつしか穏やかになって、最終的には祝祭的な雰囲気を高鳴らせながら、あの伝説的な大団円へと突入していく。

久々に見て、自分でも意外なくらい、まっさらな気持ちでこの映画を受け止めることできた。知らないうちに「フェリーニっていいな」と思えるようになってる。そんな自分に驚いた。私の中のフェリーニも人生の光と影を帯びながら、父のそれに少しずつ近づいていってるのだろうか。

 

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2020/01/20

2020年1月20日は何の日?

今日は何の日?
と聞かれてすぐに答えが思いついた方はかなりの映画通。

Felini

2020年1月20日は、映像の魔術師ことフェデリコ・フェリーニ監督が生まれてちょうど100周年にあたる日です。

当の本人は1993年に亡くなっていますが、それでもなお、彼の名作達は生き続ける。
もしもフェリーニ作品をご覧になったことがない方は、この機会にぜひ『8 1/2』や『道』や『甘い生活』などの代表作に挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

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2020/01/18

ほえる犬は噛まない

現在、大ヒット公開中の『パラサイト』。お隣の韓国からとんでもない映画が現れたと専らの評判です。人ごみをできるだけ避けたい私は、一時間以上も前から行列をなすと言われていたこの映画のマスコミ試写に臨むことができませんでした。そんな中、ベテランの批評家の方とお会いした際にこの映画をご覧になったというので「如何でしたか?」と尋ねたところ「いやあ、やっぱり日本とは違うよね。一体全体、どうやったらあんなすごい発想が生まれるのか。発想力というか、企画力というか、映画文化の土壌というか。決定的なものを見せつけられた気がする」とおっしゃっていたのが印象的でした。

そうしているうちに『パラサイト』はアカデミー賞の様々な部門にノミネートされ、さらなる話題の最先端を独走中。このタイミングで私の中で無性に懐かしくなったのが、ポン・ジュノ監督の長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』です。渋谷のミニシアターで本作を鑑賞した時の、日常の中で宝物を見つけたかのような幸福感が未だに忘れられません。CINEMOREに『ほえる犬は噛まない』について書かせていただきましたので、ご興味ある方は是非ごらんください。

CINEMOREでは他にも様々な映画について執筆しております。こちらの一覧リストをチェックしていただけると、気になる作品や記事が見つかるかもしれません。すでに120本くらいは書いているはず。本年も地道に続けていければと思っています。ぜひ宜しくお願い致します。

 

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2020/01/17

カッコーの巣の上で

CINEMOREの原稿を手がけるようになって名作に触れる機会が増えました。これまであれこれ言い訳を作って逃げてきた名作たちがたくさんあるのですが、本当に面倒くさがり屋の自分が、最近ではヒッチコックを見て、スコセッシを見て、アメリカン・ニューシネマの数々、それから廃盤になってる作品も多いケン・ローチの映画もできるだけ執念深く探し回るようになったことに驚かされます。その効果は大きいと思ってます。鍵となる作品を一つ見ておくと新作映画を見ている際に「あっ!」と気づかされる点も多く、例えば最近の映画だと『ダウントン・アビー』のラストがヴィスコンティの『山猫』へのオマージュなのではないかという推測も瞬時に浮かんできました。

さて、その「食わず嫌い」だった作品の最たるものとして、心の中にはまり込んだ巨石のように『カッコーの巣の上で』という存在があったのですが、これをようやく鑑賞することができました。映画好きならば誰もが一度は聞いたことがある名作。勝手な想像で「暗くてつらい映画なのかな」と思っていたのですが、とてつもない躍動感に満ちた映画だったことに驚かされました。やっぱり映画を見る上で「先入観」などというものは邪魔になるだけですね。もっと思い切り飛び込まないと。CINEMOREにてこの作品について書かせてもらっていますので、お時間ある方は是非ご覧ください。

 

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2020/01/08

イーストウッド最新作『リチャード・ジュエル』

映画.comに『リチャード・ジュエル』のレビューを執筆させていただきました。
クリント・イーストウッド監督の最新作です。
さて今回はどんな切り口で社会を射抜くのか・・・。
「巨匠」とか「生きる映画史」とか「究極のアウトサイダー」と呼ばれる彼ですが、
いつもながらに感心させられるのは、全く主義主張がぶれない、そしてわかりやすいこと。

本作でも爆破テロ事件を扱いながら、単純な犯人探しの構図に落とし込むのではなく、
むしろ彼が長年こだわり続ける「悩める英雄」の姿を浮き彫りにしていく過程が面白いです。
僕なんぞがイーストウッドについて書くのはおこがましいとは思いつつも、
ぜひお読みいただけると嬉しいです。

あけましておめでとうございます。
読んでくださる方のお力添えのおかげで書き続けられております。
大変ありがたいことです。もっともっと切磋琢磨せねばと思います。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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