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2020/01/23

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映画というものは数だけたくさん見ればいいものではないと思っている。仕事柄、結構な数の関連作品を見たり、それに類する書籍なども読み漁っているものの、だからと言ってなんなんだと思う。行けば行くほど自分が正しい道を進んでいるのか自信がなくなり、むしろ普段は全く映画を見ない人が偶然出会う運命的な一本の方が、どれほど貴重かと思う。様々な理由で映画に触れる機会の得られぬ人が味わうたった一本の方が、飲み干した時の癒しもひとしおだろう。


私の父は何か事あれば「フェリーニはいいぞ」が口癖だった。今になって思えば、父はそれほど映画そのものの知識が深いわけでも、数多くの量を見ているわけでもなかったのかもしれない。しかしおそらく学生時代に、わずかな金額で三本立てくらい見れた映画館にこもるのが唯一の楽しみで、そこで見たフェリーニが忘れられなかったのだ。なので私が幼い頃から、折に触れて「フェリーニはいいぞ」と口にしていた。それはもはや作品そのものがいいというよりも、人生や、過ぎ去りし日々や、何とも言えない郷愁のようなものも全部込みの、父だけのフェリーニが出来上がっていたのだと思う。なので父のフェリーニと、私のフェリーニは多分違う。奇しくも私がフェリーニを始めてみたのも学生時代だったが、ちっとも面白いとは思えないどころか、話の筋さえ分からなかった。フェリーニなど最悪だと思った。


でも、40歳を過ぎたあたりから、何か自分の中の感覚のあらゆるものが変わり始めているのも事実だ。確実に言えるのは、自分があの頃の父の年齢とほぼ同じところにまで追いついているということ。そして気づけば私も、いつの間にか「スコセッシがいい」とか「イーストウッドがいい」とか口にするようになっている。若き日の私がいちばん嫌いそうなタイプの人間だ。

フェリーニの『8 1/2』という作品の主人公もまた、私とほぼ同じ年齢だという。当時のフェリーニ監督の年齢とも大して差はない。監督の投影ともいうべき主人公は、映画作りに行き詰って終始悩みにくれ、保養地にある温泉の蒸気に紛れて、かつての幼少期の記憶のようなものが一気に噴き出していく。最初は不気味に、辛辣に、そしていつしか穏やかになって、最終的には祝祭的な雰囲気を高鳴らせながら、あの伝説的な大団円へと突入していく。

久々に見て、自分でも意外なくらい、まっさらな気持ちでこの映画を受け止めることできた。知らないうちに「フェリーニっていいな」と思えるようになってる。そんな自分に驚いた。私の中のフェリーニも人生の光と影を帯びながら、父のそれに少しずつ近づいていってるのだろうか。

 

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