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2020/01/27

フェリーニの『甘い生活』

どうやら私が学生の頃、フェデリコ・フェリーニ作品は映画を愛する者にとって必須の教科書のように言われていたらしい。あえて「らしい」という表現を使ったのは、こと私自身に至っては、誰かにそう言われたわけでも、見ろと強制されたわけでもないからだ。私に映画の師匠はいなかったし、映画研究会に所属して映画の見方を習ったわけでもなかった。ただ、そうはいっても、新宿TSUTAYAで目にするフェリーニ作品は、セルでもレンタルでも圧倒的な存在感があり、私にとってそれは手を出したくても出せない高い壁のようにすら思えた。そこを登らないと次の景色が見えてこないのはわかっているのに・・・。私はその山を迂回して別の景色ばかりを目にして生きてきた。で、結局、いつかは忘れ物を取りに、元の場所まで戻ってくる羽目になるのだ。

La-dolce-vita

そんなわけでフェリーニの『8 1/2』に続いて『甘い生活』を見た。3時間に迫る映画だ。かつての新宿TSUTAYAでもレンタルVHSをよく見かけたが、パッケージの印象からして甘いラブストーリーなんだなと思っていた。もし私に師匠がいれば「ばかやろう、むしろ怪作の部類だよ」と教えてくれたはずだ。

線形のストーリー構成から華麗に逸脱したこの映画は、当時のタブロイド紙を賑わした様々なセンセーショナルなニュースが元になっている。それらをちりばめた7日間が、マルチェロ・マストロヤンニ演じる新聞記者の目を通してタペストリーのごとく綴られていく。

さすがフェリーニ。あっけにとられる描写が多い。特筆すべきは冒頭、ヘリに吊り下げられたキリスト像がローマ上空を滑空するシーン。そして中盤、聖母マリアを見たという少女たちをめぐって人々が大集結する場面。さらにはラスト、海辺に怪魚が打ち上げられるシーン。いずれも幻想性を丁寧かつ繊細に浮かび上がらせ、イマジネーションが炸裂する。

やがて各エピソードの総体から浮かび上がるのは、当時の社会性や時代性だろうか。説教じみたことは一つもない。むしろそうやって様々な日常や事件を投げかけられ、共にその場の空気を吸い、ローマの7日間を共有したかのような余韻がこみ上げる。そんな3時間。もっと若き日に出会いたかった・・・正直、そう思ったが、これはこれで、今しか成し得ない唯一無二の出会いだったようにも思える。早いも遅いもない。最後は巡り巡って、誰もがあるべき場所に立つ。人生とはそういうものだ。

 

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