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2020/03/29

『羅生門』(50)

いくつもの県で外出自粛が言い渡されたこの週末、NHKで『羅生門』が放送された。3月23日で生誕110周年を迎えた黒澤明監督の代表作『羅生門』は、「人によって”事実”の捉え方は全く異なる」という意味合いで、今なお時代や文化を超えて世界中の数多くの映画で応用される。興味深いことに、以前見た印象と、今回改めて見た印象は全く違った。自分の中でさえ、その時々によって別人のように受け止め方が変わるのだから、これが他人どうしなら尚更の事だ。

シンプルな状況数式に次々と変数が加えられ、はじき出される数字がどんどん変わっていく。猛スピードで野山を駆け巡る主人公を照らす木漏れ日がまさにその変数をも思わせ、ある意味、万華鏡的。また、耳を澄ますと聞こえる早坂文雄の「ボレロ」風の音楽が、迫りつつあるも、なかなかやってこない”何か”を示唆しているかのよう。手が届きそうで、その実、なかなか手で触れられない。真実はかくも迷宮のごとし。我々は真の意味では究極の答えにたどり着けないことを知りながら、それでもなお手を伸ばして求め続けねばならない。それが絶望しないということだ。あのひ弱そうな志村喬の最後の表情は、己に圧倒的に欠けたものや矛盾を受け入れながら、それでも未知数を抱きしめて生きようとする姿に見えた。

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