「ロス:タイム:ライフ」第7節

ロス:タイム:ライフ 第7節 ~極道の妻編~

常盤貴子が着物姿で艶かしくたたずむ。思わず「テレ朝か!?」と見まごうほどの任侠っぷり。でも、画面の右上には「LIVE」の文字。掲げられる電光板。おぼろげに浮かび上がる審判団。そうか、試合(ロスタイム)はすでに始まっていたのだ。

そんな変化球で幕を開ける今回の「第7節」は、「ロス:タイム」原案者であり3月22日より公開される『Sweet Rain 死神の精度』でも監督を務める筧昌也が演出を担当。自らが生み出した世界観とはいえ、第3話~第6話までを彩ってきた多彩な俳優&演出陣のアプローチは少なからず彼の計算どおりにはなっていないはずで、その“嬉しい誤算”を踏まえての「任侠編」ということになる。

「死」までの直線距離は回想シーンで描かれる。対抗勢力に夫が拉致され、家紋を守る立場の“姐さん”がひとり奪還に向かう。着物ながらに全力疾走というシチュエーションの妙が冴える。そこに「姐さんを守るためなら命だって惜しくねえ」という鉄砲玉の若造が加わり、敵の本拠地へと乗り込んでいく…これは『死神の精度』のワンシーンではないか(気になる方はぜひ映画をご覧ください)!

ピッチからぎこちなく状況を伝えるレポーターが登場したり、審判のミスジャッジが発生したりで、ストーリーのみならずディテールさえも予断を許さない。そしてすったもんだで、結局ひとりで乗り込んでいく敵の中枢。制限時間に間に合わないと制止する審判団に「ここからはひとりで行く」と言い放ち、そして再びダッシュ。今回のドラマの見所はここにあったと思う。つまり、人間と「死」の契約とは任侠道に近い。前もって定められた執着地に舞い戻るという約束は、人が人ならば反故にだって出来たはずである。しかし彼女は「必ず戻る」と言つ。その気迫に審判団も首を縦に振らずにおれない。それは「極妻」で啖呵を切る岩下志麻にも増して難解な命のやりとりだったろう。

そして「極妻」&「形而上学」のミクスチャーを成し遂げた第7話は、彼女に思いがけない“赦し”の言葉を語らせて、水仙の花言葉のごとく、“気高く”幕を下ろすのである。

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「ロス:タイム:ライフ」第2節

テレビドラマの歴史を変えるかもしれない「ロス:タイム:ライフ」。同世代(同年齢)の筧昌也が繰り出す世界観を観ているとなんだか居ても立ってもいられなくなり、氏に直接メールを送るよりも、いっそ思い切って各話ごとにレビューしていくことにします。

ロス:タイム:ライフ 第2節~刑事編~

 この変則的なドラマをまったくの白紙状態で享受する視聴者に対し、「第1節」はその概略を教科書的な丁寧さでまとめて提示するものだった。それに比べ「第2節」は早くも前回で培った土壌を“崩し”にかかっている点に驚かされる。全体的には失敗を恐れがちなテレビドラマとしてあまりに実験的で不恰好な外見ながら、それでは割り切れない可能性というか、魅力を感じさせるものがあった。

 ご存知の通り、今回は「刑事ドラマ」という下敷きの上に「ロスタイム」が覆いかぶさってくるわけで、それに伴う状況説明も必要となり、序盤はややスロー・スタート気味。「ロスタイム」の笛と共に審判団&実況中継が乱入してその基調リズムをかき乱すまでには少し時間がかかる。ややもすれば冗長になりがちなこの序盤だが、むしろ筧昌也の「刑事ドラマ」観を垣間見る上では面白い映像展開となっていることに注目したい。とりわけ警察署の廊下を使った複雑なワンショット撮影は、三谷幸喜の諸作品や「踊る大捜査線」の影響が多分に沁み出したものだろう。

 時折、バックには「太陽にほえろ」に似た音楽が鳴り響くが、でもどうだろう、筧監督が僕と同世代なら、その遺伝子はあまり深く組み込まれていないんじゃないだろうか。むしろ刑事ドラマの“アイコン”としての「太陽にほえろ」といったほうが適切なのかもしれない。また、過去の凶悪事件を追いかける老刑事の設定など、「太陽にほえろ」の子作品「踊る大捜査線」のオマージュとなっている部分が多い。でも筧監督はその影響をストレートなカタチで発露させる単純な性格は持ち合わせていないようだ。物語として「大捜査線」的なるものが展開し、それを電信柱の影から審判団がジッと見ている、という微妙なスタンス、これこそが今回の典型的な「構図」となっており、その構図的な部分を見せることにおいては筧監督はなんの“照れ”も見せていない。うっかりとスルーしてしまいそうだが、実はこの特徴こそ、若手クリエイターならではの一筋縄ではいかない発想なのではないか、と考えずにはいられない。

 物語の面では違和感も残る。個人的には、主人公が最後に下した“ある決断”が素直に共感できなかったのだ。携帯に電話をしてくる母親の声が耳に残る。最愛の娘を亡くした上に前途ある部下を死なせてしまった老刑事の背中が目に焼きついて離れない。最初から分かっていたとはいえ、このやりきれない結末は、事件解決の快哉よりも悲しみの方が先行する。

 しかし忘れてはいけない。このテレビシリーズは「ライフ」という名の「ゲーム(スポーツ)」なのだ。ロスタイムを終了して主人公は試合場を後にするが、そこには同時に新たな誕生の瞬間(赤ん坊の泣き声)も刻まれている(このシリーズがなぜか“輪廻”の概念を基本としているところも面白いところだ)。スポーツにおいて、ゲーム終了は「死」ではない。新たな「出発」を意味するものだ。

 人生とスポーツを同等に扱うなんてけしからん、なんていう視聴者の方もいるかもしれないが、これは誰もが思いもつかなかった画期的な発想であり、そこを出発点にして産み落とされる壮大な実験でもある。よって、ルール違反ギリギリの手助け(ハンドボールの“中東の笛”じゃないんだから)などして「刑事ドラマ」に感化されていたあの審判団や、悲しみにくれた我々視聴者は、来週また再び涙をぬぐってそのピッチに立たなければならない。立ち続けることに意味があるのだ。
 
 実はこれこそ、この画期的なドラマシリーズに付随するいちばんの特徴なのかもしれないと、まだ「第2節」ながら漠然と考えている。

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