2016/04/10

桜の樹の下

ポレポレ東中野にて公開中のドキュメンタリー映画『桜の樹の下』についてレビューを執筆しました。

精霊のような老婆に導かれし公営住宅の暮らしーー20代の女性監督が撮った『桜の樹の下』の魅力/リアルサウンド

身を切るような題材なのだろうと半ば覚悟を持ってスクリーンと向き合ってみたところ、これが逆に生命の躍動を感じさせる素晴らしい瞬間の連続で、心の中に春風が吹いたような気持ちになりました。果たしてご出演された方々は、今年の桜を元気に眺めておられたでしょうか。

それでも人生は続くーーそんな言葉が聞こえてきそうな一作です。


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2016/01/29

ロパートキナ 孤高の白鳥

ドキュメンタリー映画『ロパートキナ 孤高の白鳥』が劇場公開に合わせて、世界的なバレリーナであるウリヤーナ・ロパートキナさんにお話を伺いました。

ウリヤーナ・ロパートキナ インタビュー/NeoL

インタビュー中、ずっと背筋がピンと伸びておられ、撮影中も立ち姿が本当に美しかったです。いただいたお答えも非常に謙虚で、ストイック。なおかつ、こちらの質問に対しても真正面からしっかりと向き合ってくれる。そのまっすぐさにとても感銘を受けました。

02年に出産を経験した後もなおマリインスキーのプリンシパルとして世界中を魅了し続ける彼女。お嬢さまに関する質問を投げかけた時、ふっと笑顔がこぼれて慈愛に満ちた表情を浮かべられたのが印象的でした。

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2015/10/21

ヴィヴィアン・マイヤーを探して

アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にもノミネートを果たし、世界各国で大絶賛を浴びた『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』のレビューを執筆しております。最近観た中では『シュガーマン 奇跡に愛された男』 に匹敵するほどの胸の高まりを禁じ得ない作品でした。偉大な芸術家って実は、私たちのすぐ身近なところに隠れているのかもしれません。

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名もなき乳母は名写真家だったーーー『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が導き出す真実とは?/リアルサウンド

とにかく彼女の撮った写真の数々が素晴らしいのです。ぜひスクリーンにてそのモノクロ写真の魅力に浸って頂きたい。彼女の作品に驚き、その素性に驚き、また死後に作品が初めて世に出たという顛末にも驚かされる、ビックリ続きの傑作。

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2013/04/05

【レビュー】アントン・コービン 伝説のロック・フォトグラファーの光と影

つい1ヶ月ほど前に英国を訪れた際に、街角のCDショップでオススメDVDとしてピックアップされていたのがこの作品『アントン・コービン 伝説のロック・フォトグラファーの光と影』だった。 このチョイスに、ああ、さすがU2やデペッシュモードのお膝元なだけあって、彼らの伝説造成に大きく寄与した写真家アントン・コービンの存在はこの国で揺るぎないものがあるのだなと感じたものだった。もちろん、コービンといえば『コントロール』や『ラスト・ターゲット』という映画作品でもお馴染み。最近ではジョン・ル・カレ原作の"The Most Wanted Man"の映画化に取り組んでいるとの報も聞かれている。

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本作はひとりのドキュメンタリストがオランダ出身のこの稀代のロック・フォトグラファーとの4年間に渡る交遊のなかで密着して撮り上げたドキュメンタリーだ。84分に及ぶ上映時間にはその関係性の積み重ねを強調するシーンがこれ見よがしに刻まれているわけではなく、冒頭に映し出されるソファに寝転ぶコービンに代表されるように、そのゆったりとした雰囲気の中で醸成されていくアートへ真向かう意識と、一瞬の心の閃光を見逃さずにキャッチしようとする求道精神とを、あくまで自然体で汲み取った作品だった。

U2のボノは語る。

「我々は究極的に同じなんだ。常に“光”を追い求めている。やり方が違うだけだ。僕らは音楽で、アントンは写真で・・・」

光という言葉には宗教的な側面がつきまとう。ボノの一言がまるでコービンの求道者としての側面をフォローアップしていくかのようだった。コービンは一カ所に留まることなく、常に国から国へと移動しつづけ、旅先では写真に最適の構図やすべてが完璧に調和した光を求めて放浪し続ける。基本的に寡黙で、自我を露にすることに何ら興味がなさそうな彼の姿は、巡礼者のようにも思える瞬間がある。

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これまであまり語られなかったコービンの過去が興味深い。彼はオランダの牧師の息子として生まれた。両親は常に世界中のあらゆる隣人たちの不幸を背負い込むかのように多忙に追われていたという。その時の思い出について「嫌だった」と語る彼。それはそうだろう。両親の愛情を独占したい時期に、両親の目には全ての隣人たちが平等だったのだから。しかしそれゆえに、コービンは徐々に自分の世界に閉じこもり、自分なりのやり方で世界を見つめる術を習得していったようだ。それが今の彼の成功を形作る原点となった。

すでに名声を獲得したコービンがかつて亡き父に尋ねた質問が印象的だ。

「父さんは僕の仕事のことをどう思ってる」と訊くと、父は「おまえたちみんなのことを誇りに思っているよ」と答えたという。このエピソードを明かしてコービンはちょっと空を見つめる。

この表情をどう受け取るかはひとによって異なるだろう。 僕は、きっとこのときコービンは、父親に褒めてほしかったんだと思う。「良くやったな」とか「お前を誇りに思うよ」とか、そんな言葉だけで充分だった。自分のことを見て欲しかったんだと思う。けれど父は究極的に「おまえたちみんな」として、決して特別視することはなかったのではないだろうか。

ロックミュージック界において伝説的イコンともされるアントン・コービンの作品群が生み出された裏側には、そのような精神性の遍歴があったのだ。

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U2のボノはこうも語る。

「アントン・コービンによって撮られた自分の写真を見て、アーティストは皆、こんな自分になりたい、と思うんだ」

それはまるで父親がこどもに目指すべき人間像を指し示してくれているかのようでもある。もちろん、コービンにそんな大それた意図などからきし無いのだが、単なる結果論であったとしても、彼の写しとるポートレートにはそんな魔法が、そして光が宿っているのだった。

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なお、本作には、彼が突如すべての仕事をキャンセルして自分だけの時間を持つ(その間の映像が撮られていないので、恐らくカメラも追い出したんだろう)というくだりが添えられている。

その後、撮影を再開したとき、彼は少しだけ変わっている。これまでずっと孤独を抱えてきたが、これからは少しずつ絆を温め、根を張った関係性を構築して行きたいんだと口にする。これまで自分の外側に光を求めていた彼が、いつしか自分の内側にこそ光を見出さねばと、放浪をやめてその場に立とうとしていた

何が彼をそう変えたのかは分からない(このドキュメンタリーの存在はその答えの一片を担うのだろう)。これから彼の新たな人生のチャプターが幕を開ける。そんな予感に満ちた清々しい表情が印象的だった。

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2013/03/28

【レビュー】シュガーマン 奇跡に愛された男

あらゆる時代において人は自分に与えられた使命を精一杯に全うしたいと願う。そしてそれが叶う者もいれば、叶わずシーンから消え去っていく者もいる。ロドリゲスと呼ばれたアーティストは後者の典型だった。

60年代、彼はデトロイトの街角にギターを抱えてフラリと現れた。彼の奏でる鮮烈な音楽はプロデューサーの目と耳に留まる。寂れたバーの、タバコの煙が立ちこめるその向こう側から聞こえてきたのは、心に突き刺さるリリック。そして胸を揺るがすギターの音色。プロデューサーらは「これこそ探し求めてきた音楽だ!」と確信する。しかし現実は厳しいものだった。肝入りで製作されたロドリゲスのアルバム2枚はいずれも鳴かず飛ばず。契約は打ち切りとなり、彼は音楽業界から消えていく。彼を知る者の間では実しやかな伝説だけが伝えられた。ロドリゲス?ああ、どうやら彼は、ライブの途中で拳銃自殺を計ったとかー。

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ドキュメンタリー映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』は、原題の"Serching for Sugar Man"そのままに、ロドリゲスの“その後”を辿る旅である。けれど、これは決して敗者の弁を聴きにいく旅ではない。というのも、ロドリゲスが不在のうちに事態は大きく動いていたから。彼は確かにアメリカでは不発だったが、彼の音楽は時代を超え、国境を越え、いつしか南アフリカにてアパルトヘイト撤廃運動の象徴的楽曲として人々の心の中で鳴り響いていたのだ。

後半はそのロドリゲス本人の消息を追い求めて、点と線を繋ぐロードムービーとしてカメラは大陸を果敢に行き来していく。人は「奇跡の映画」と言うかもしれない。だが、この映画は2段構えの驚きで出来ている。

ひとつは我々がまだグローバルという言葉の意味を知らなかった時代、国境がまだまだあまりにも高くて乗り越えられなかった時代に、本国アメリカで苦杯を舐めた楽曲が遠い遠い国を苦しみの過去から解き放ったソウルソングとして絶大なる支持を集めたという事実。筆者はこの顛末に、かつてドラえもんの映画にあったような「畳の向こう側に広がる別の惑星では、のび太も無敵のスーパーマン」といった人生大逆転のカタルシスを彷彿とした。この星のどこかにはきっと自分の才能を理解してくれる人がいる。そうだ、頑張れば報われるのだ。よし、俺もこの奇跡を信じて、精一杯がんばってみようじゃないか!

そんな安直な感慨は、ふたつめの驚きでガツンとやられる。それはロドリゲスの生き方にあった。彼自身はあまり多く物事を語らない。その代わりに彼の音楽が存在し、そしてサングラスをかけた彼はいつも優しく微笑んでいる。クライマックスで明かされる彼の子供達が語るエピソードには胸が震えた。父がどのようにして自分たちを育て、生きてきたのか。決してヨイトマケの歌のように寝食惜しんで働き続けたことを強調するわけでもない。

なんと彼は2枚のアルバムをリリースして撃沈した後も、別段変わりなく穏やかに暮らし続けたというのだ。彼の人生においては絶望も、成功も、挫折も、屈折も存在しない。あともう2年続けていたら、という後悔さえもまるでない。彼には自分の音楽活動のために子供らを犠牲にしようなどといった想いは毛頭なかったのだろう。そして彼にとって音楽とは、別に売れようが売れまいがスタンスに違いのない、日常の中のテラスから注ぎ込む日差し、美しいものに触れたときの微笑みと同意語のような表現手段だったに違いない。しかし逆説的にいうと、だからこそ彼の人生にはクリエイティビティを失う瞬間など一度もなかったのだ。

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そのことは彼の娘たちを見ていてもよくわかる。彼女らは父について「貧乏なはずなのに、必要なことには惜しまずお金を費やしてくれた。時間があれば美術館や博物館につれていってくれた」と語る。彼女たちが楽器を弾けるのか、あるいはソウルフルな歌が歌えるのかについては分からないが、ロドリゲスのアーティスティックな感性は別の形で受け継がれていることが、その表情、発言、服装、自宅の調度品の数々から自ずと伝わってくる。

また、ロドリゲスと一緒に建設現場で働いていたという男は、「彼はいつもジャケットを羽織ってきちんとした身なりで現れた」と語る。まさか隣で汗水垂らして労働していた同僚がそんなに凄いミュージシャンだったなんて、彼は想いもしなかっただろう。けれどそんな事実について同僚は素直に「嬉しかった」と語る。その瞬間に、なぜだか分からないが、筆者の目から涙がこぼれた。

身近なところに神様はいる。そして本当の神様は、自分が神様であることすら気づかずに、いつも笑顔で、苦を語らず、穏やかに笑っている。『シュガーマン 奇跡に愛された男』が示す最も大きな奇跡とは、革命やセンセーションではなく、ロドリゲスがそのようにして生きてきたという人生の証だ。誰もがそう生きたいと願う。しかしそう簡単にはいかない。"Serching for Sugar Man"とはそんな、神をめぐる宗教的な物語のようにさえ思えてくるのだ。

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2012/09/22

【レビュー】これは映画ではない

この夏、「日本人よ、これが映画だ」というキャッチで大作ヒーロー映画が封切られたかと思えば、一方ではイランから「これは映画ではない」という控えめなタイトルの作品が届く。どちらが良いというわけではなく、かつて「東京は世界でいちばん多種多様な映画が上映される場所」と言われた時期に学生時代を送った身としては、この「映画か、否か」の多様性には久々に胸沸き立つものを感じずにいられない。

とはいえ、ここで述べるのはイランのジャファール・パナヒ監督による『これは映画ではない』についてだ。

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まず我々が知らねばならないのは次のことだ。パナヒは世界的に名の知られた名匠でありながら、数年前の大統領選の混乱のあと、当局によって「反体制的な映画を作ろうとした罪」により捕らえられ、収監及び20年間に渡る映画製作禁止が言い渡されている。これは表現の自由を求める世界の映画人にとって著しい権利の侵害である。各国の映画人や映画祭ネットワークからはすぐさま解放を求める声明が発表され、支援運動が展開された。

そんな状況に呼応するかのように、カンヌ映画祭にサプライズな贈り物が届いた。それはお菓子の箱に隠されたUSBデータ。そこには一本の映像作品が収められていた。映し出されたのは自宅軟禁状態にあるジャファール・パナヒ本人の姿だ。タイトルには次のようにあった―これは映画ではない。

はっきり言って、これは何も事情を知らない人がいきなり飛び込みで鑑賞して感銘を受ける類の映画ではない。事前に仕入れておくべき前提知識は多ければ多いほど良い。さらにパナヒの映画を一本でも観ていれば彼がどんなにイマジネーション豊かで、なおかつ持ち前のユーモア、人間に対して慈愛に満ちた眼差しを放つ人かうかがい知れるだろう。

そして映画製作禁止を受けて「これは映画ではない」と題された映像作品をこしらえてしまうという、まるで一休さんをも思わせる大胆な企てにも「なんてパナヒらしいんだ・・・」と溜息がこぼれる。

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人間は逆境であればあるほど最も高いハードルを飛び越え、その真価を発揮する。映画監督にとって「20年間の制作禁止」は死刑宣告に近い意味合いだったことだろう。けれどパナヒは飛んで見せた。彼がこのような手法で映像作品を発表したことが知れればイラン当局の怒りもさらに強まることが予想される。それでもパナヒは打って出た。これほどファンダメンタルな環境、素材、コミュニケーションを駆使して、驚くべきドキュメンタリーを作り上げた。

彼の書斎は恐竜にも似たイグアナがノソノソと跋扈し、外ではイランのお祭りで爆撃のごとき花火が打ち上げられ、マンション内では愛犬を誰かに預けて外出したい女性がにわかに執念を見せる。また管理人とともにエレベーター移動とともに紡いでいくダイアローグは、これが偶発的ではなく入念に準備された目を見張るシークエンスのようにも感じられる。狭い室内空間で、パナヒが脚本を朗読しはじめたり、突如、映画教室がはじまるくだりにも

この時代、世界的なフィルムメーカーたちの共通定義としてはどんなフォーマットであれジャンルであれ、そこに時と場所と時間が刻まれていさえすればそれは立派な映画であるし、パナヒほどの人物が本気で「映画ではない」と感じていたとは到底思えない。映画はいつ、どこにでも巻き起こるもの。禁止されても次々と沸き起こってくるし、考え方によっては映像に至らなくとも胸の中の想像力のスクリーンに映し出されたイマジネーションもそれに含まれるのかもしれない。映画製作を禁止することはイマジネーションの働きを禁止するということだ。とすると、当局にこれらを根本的に取り締まることなど不可能なのである。

本作は、むしろパナヒが愛してやまない“映画”の存在強度を確かめた作品と言えるだろう。この映画を見終わって次のような言葉がどうしようもなく胸にこみ上げてきた。

「だから私たちは、あなたのことが大好きなのだ」と。

そして日常の暮らしの中でどんなに逆境の淵に立たされたとしても、我々は常に自分自身に問いかけるべきなのだろう。「こんなとき、パナヒならどうする!?」と。きっとどんな高い壁であっても強靭なイマジネーションを駆使して乗り越えて見せるはずだ。忘れてはならない。この映像作品に触れた瞬間から、我々もパナヒの弟子なのだ。きっとこれまで以上の、イマジネーションの使い手なのだ。

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2012/09/11

【NEWS】アムステルダム美術館、来年4月にリニューアル・オープン

ここでこんなニュースを取り上げるのは、数年前に観た『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』が非常に興味深いドキュメンタリーだったからだ。

世界にその名を馳せるこの美術館のリニューアル計画に寄せて市民や団体が思い思いに自分の意見を主張したがゆえにいつしか八方ふさがりの「何も決められない」停滞状況が生まれていく―という今の日本に生きる者としても苦笑いせずにいられなくなる過程を描いた映画だった。せめてもの救いはこの施設が芸術作品の宝庫であり、閉館中の館内にさびしく佇む名画たちをスクリーン越しに眺めるのもまた貴重な体験に思えたことだった。

そんなわけで2003年よりその門戸を閉ざし、いつ終わるとも分からない長期リニューアル作業に突入してきたアムステルダム国立美術館が、このたび2013年4月にようやく10年ぶりに開館のときを迎えることが明らかとなった。もともとは2008年に再開する予定だったわけだからその期限は4年間も延長されたことになる。

レンブラントの「夜警」をはじめとするヨーロッパの名だたる名作が収蔵された本館。1885年の開会以来、伝統と格調高い香りを宿し続け、これに新たに21世紀の現代的な息吹を取り入れようと画策された今回のリニューアルだが、果たして来場者とアムステルダム市民にどのように受け入れられるのだろうか。

ちなみに、アムステルダム国立美術館は現在もフィリップ翼と呼ばれる部分だけは開業中。またアムステルダムの玄関口、スキポール空港ではその広大な施設内の一角に同美術館の出張展示場が設けられており、シーズンごとに入れ替えられる作品群をフライトを待つ人々が自由に見学することができる。

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2012/07/25

【レビュー】Marina Abramovic:The Artist is Present

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芸術の真価は歴史が決めるとよく言われる。その作者が死した後に作品の価値が上がったりするのはよくあること。一方で芸術家が今を生きる同時代において結果を出すのは並大抵のことではない。そのために必要なのはまず誰よりも圧倒的であること。そして作品以上に我々はそのアーティスト自身の放つ人間的な魅力に惹かれることのほうが大きいようにも感じる。

その同時代における圧倒的なアーティストのひとりにマリナ・アブラモヴィッチが君臨する。ユーゴスラビア出身の彼女は現在すでに御歳60過ぎ。この40年以上にも及ぶ創作活動において、時には自らが衣服を脱ぎ棄て、また自らの肉体に鞭を振るったりナイフで傷つけるなどしながら、その過激とも言える創造性の源泉を余すところなく観客へと伝えてきた。「彼女は魔女だ!」と誰かが言う。「芸術を冒とくしている」とも言われる。が、何よりも彼女は圧倒的だ。それは間違いない。そしてこのドキュメンタリー映画"The Artist is Present"はまさにその圧倒性を伝える意味において言葉よりも批評よりも彼女の生きる証を的確に伝える表現手段となりえてる。私はこの映画をイギリスの劇場で観たが、前列には3人組の彼女と同世代の女性陣が座っており、時に大声で笑い、時に涙しながら"Fantastic !"と拍手喝さいを送り、上映後は両手を鳥のように羽ばたかせながら帰って行った。彼女らはこちらにも「素晴らしい映画だったわよね!」と語りかけてきたので、私は鳥のように羽ばたく彼女らに向って"You look like the artists too"と返しておいた。

本作はアブラモヴィッチの半生や人となりを紹介すると共にニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された"The Artist is Present"展へと至る過程をつづったものである。彼女を知らない人にはかなり強烈なエキシビジョンだ。会場の一か所には全裸の男女が狭い通路に向かい合って立ち、観客はその狭間をヨイショとくぐりぬけることもできる。また壁には時計に見立てた全裸の女性が腕を長針短針のごとく広げながら懸命に時(それも彼女自身の内なる時間)を刻んでいる。この映画の観賞場所がイギリスだったからこそ無修正で観ることができたが、果たして日本で公開されるとしてモザイク無しで上映可能だろうか。

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しかしこの中で最も注目を集めたのはアブラモビッチ自身によるパフォーマンスだった。彼女は開催期間中、すべての時間を使って「ただ観客を見つめる」という行為に身を捧げた。連日、MOMAが開場するとそこにアブラモビッチが座っている。観客は誰もがその真向かいにある椅子に着席し、彼女と見つめ合って言葉を廃した静かなる対話を繰り広げることができる。これまでのアブラモビッチの芸術スタイルを知る人からすれば画期的なまでにシンプルなパフォーマンスだ。

次第に展覧会の反響は爆発的に膨れ上がり、対話椅子をめぐっては順番待ちの長蛇の列が形成されていく。並んでも自分の順番に届かないこともあり、いつしか徹夜待ちのファンまで出没するほどに。いざ彼女を目の前にすると、笑顔でも、同情でもない、不思議な穏やかさを秘めた目線がこちらを見つめてくる。東洋と呼ばれるエリアに生きる我々はそれが仏像の特徴たるアルカイック・スマイルに近いと評することもできるだろう。その表情を目の当たりにして笑いだす者、戸惑う者、緊張する者、感極まって泣き出す者、胸に手を当てて心からアブラモビッチへの敬愛を表現する者、またすかさず全裸になり警備員に退場を命じられる者まで現れる。中には芸術家や映画俳優の顔も。観る人によってはこの光景を宗教にも似た行為と感じる人もいるだろう。中にはそのような感覚で彼女に真向かっている者もいたかもしれない。しかし基本的なところでアブラモビッチはかつて「アーティストとは」という宣言の中で「偶像と化してはならない」「商業主義に迎合してはならない」といった言葉を表明しており、このパフォーマンスもあくまでそれらの可能性を封じた上で見えてくる新たな地平ということになる。

そして長きにわたる開催期間の途上で彼女は身体の痛みと精神的な疲労をこらえながらこう語る。「おそらく私は観客と対峙することによって鏡の役割を果たしているのだと思う。そうして観客は自分自身と向き合っているのでしょう」

その言葉には人々の外なるベクトルが同時に己の内面へも向かっているという、まさに宇宙と個人の存在のあり方を指し示すかのような真理が詰まっている。と同様に、「present(現在)」という企画テーマを掲げるアブラモヴィッチにおいてもその概念は、過去、そして未来へ向けての絶え間ざるベクトルの流動途上においてのみ出現する一瞬の煌めきを意味するのではないかと、彼女の姿を通して感じさせられたのだった。

余談ながら私は後日、たまたまテレビの深夜放送で北野武監督作『アキレスと亀』を観た。劇場公開時には何の琴線にも触れなかった本作が、"The Artist is Present"を観た後だと全く違って見えた。芸術とは圧倒的でなければならない。その狂気とも言うべき精神の越境をあの映画のビートたけしは体現していたように思えた。

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2012/07/15

【レビュー】眠れぬ夜の仕事図鑑

数年前に観た『いのちの食べかた』というドキュメンタリー映画が今でも鮮烈に記憶に残っている。そのナレーションもテロップもない余白だらけの映画の作りが、逆に我々の心に様々な想いを着想させてくれたからだ。大事なのは観客の心に自発的な感情が湧き起ること。そして客席に座った以上、観客も映画の大事な参加者なのだ―そんな監督の声が聞こえたような気がした。

そのニコラウス・ゲイハルター監督がまた新たな作品を発表した。その原題は"Abendland"。ドイツ語で「夜の国」といったところだろうか。

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今回もまたナレーションもテロップも存在しない。我々はヨーロッパ諸国に据えられたカメラの視点と同期して、夜な夜な仕事に従事するナイトピープルたちの姿をじっと見守り続けることになる。もちろんそれらは一か所にとどまらず、国境警備員、製造業、ローマ法王、EU議会、新生児病棟、電話カウンセリング、レイヴ・イベント会場、不法移民の強制排除、警察、そして風俗嬢など多岐にわたる。その無数の人々が夜のしじまのなかで静かに映像のバトンを繋いで行く様子を、我々は社会科見学さながらに目の当たりにすることになる。

と言いながら、今回もまた不思議なことが起こった。序盤は無機質にも思えたこの映画に、だんだんと愛着が湧いてくるのを感じたのだ。夜な夜な働く人たちってどうしてみんな、あんなに柔和な顔をしているのだろう。その姿を見ているこちらまでもが暖かな気持ちに包まれていく。そんな感慨を抱いてカメラに寄り添っているうちに、自分があたかもヴィム・ヴェンダースの『ベルリン天使の詩』の天使にでもなりきったかのように思えてきた。あの天使たちがベルリン市民のひとりひとりに寄り添い、その営みを見つめゆくのと同じ温もりがここにも結実している

そうしているうちに我々は、この言葉のない観察映画を通して、ヨーロッパにおける「夜」の概念をおぼろげながら垣間見るようになる。たとえば本作で象徴的に描かれるのは不法移民問題だ。それにまつわる夜の仕事も数多い。本作の中で移民排斥や強制送還は夜に行われている。しかしながら送還してもまた新たな不法移民が国境を越えて流入してくるのが問題の根深いところだ。この「国境を越えて押しても反して、とめどなく流れ込んでくるもの」という概念は善かれ悪しかれ「夜」のイメージと一致する。夜はいつも何処からともなく現れ、小口の影は群れを成すことで闇を形作っていくもの。国境を隣国と接しているからこそ、そして経済格差がはなはだしいからこその悩みである。最近はさらに深刻な経済問題が付け加わり、現実に追い打ちをかけている。

かつて『ダークナイト』でバットマンは「夜明け前がいちばん暗い」と語っていた。この「夜」に込められた意味合いは大きそうだ。本作は逃げずに夜を見つめる第一歩としても、有意義な時を提供してくれるのではないだろうか。

ちなみにサントラも皆無の本作において何曲か裏テーマ曲を選んでいいよと言われたなら、僕は迷うことなくリトル・クリーチャーズの「ナイトピープル」とフィッシュマンズの「ナイト・クルージング」を挙げるだろう。なんだかそんな映画なのだった。

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2012/05/18

【NEWS】ポール・グリーングラスがドキュメンタリー製作を予定

Greengrassポール・グリーングラスといえば、そのキャリアをジャーナリストとしてスタートさせた人物として知られている。彼が実際に目にしてきたリアルな現場の空気は、世界的に注目された『ブラディ・サンデー』のドキュメンタリー・タッチや、"ジェイソン・ボーン"シリーズの手持ちカメラを駆使した緊迫感あふれるアクション映像として生かされてきた。そんな彼が新たに初ドキュメンタリーを手がける企画が浮上しているという。

LAタイムズによると、そのタイトルは"Barca"。取材対象となるのは創立113年を数える伝説的サッカー・クラブ、FCバルセロナだ。昨年はスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇、FIFAクラブワールドカップやUEFAスーパーカップで優勝を果たすなど波に乗るこのチーム。グリーングラス監督らは2012年から13年という長い期間をかけて、ピッチ上での勝敗の行方のみならず、選手の素顔、チーム運営、そして首脳陣のビジネス戦略などにもカメラを向けていく。

Barca バルサと交流が深く『インビクタス』の原作ノンフィクション作家としても知られるジョン・カーリンがエグゼクティブ・プロデューサーとして参加。またドキュメンタリー『アイルトン・セナ~音速の彼方へ~』で高い評価を受けたクリス・キングが編集を手がけ、世界のサッカー人気が頂点に達するワールドカップ(2014年)開始時期にあわせて作品として形にしていく予定だ。

なお、ポール・グリーングラス監督はもう間もなく、『グリーンゾーン』以来となる新作"Captain Phillips"の撮影に入る。こちらはソマリア海賊の急襲を受けた米貨物船のリチャード・フィリップス船長が、乗組員の安全と引き換えに自らが人質となる物語。2009年に実際に起こった事件をベースとしている。主演はトム・ハンクス。2013年3月に米公開予定。

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