2020/03/18

ヒッチコック「間諜最後の日」(36)

真夜中に少しずつ見進めていくヒッチコック作品の数々。本日は1936年の『間諜最後の日』を楽しんだ。原題は"The Secret Agent"。 この前作にあたる傑作『三十九夜』(こちらについては過去に記事にしたこともあり)はジョン・バカンによる原作モノで、対する本作はサマセット・モームが原作。いずれの作者も諜報員だったり情報部に属する軍人だったりと、きな臭さでむせかえる世界情勢を読み解き、エンタテインメントに落とし込む才に長けていた人たちだ。

Secretagent

ただ『三十九夜』が英国内を確固たる動線をたどって駆け巡る躍動感に満ちているのに比べると、『間諜最後の日』は第一次対戦中の緊迫したヨーロッパが舞台でありながら、何が目的なのか漠然としていて、登場人物たちの目的遂行への意志も弱い。緊迫感や娯楽性の上では前作とはかなり格差が生じているのは否めない。ヒッチコック自身も書籍「映画術」(晶文社)のトリュフォーとの対話の中で、

「アイデアは決して不足してなかったんだが、映画は失敗作だったな。というのも、この種のアクション映画では主人公がはっきりとした目的を持っていて、その目的に向かって邁進しなければならない。それが映画そのもののアクションの展開の生命力になると同時に、観客が主人公に同化して完全に映画に参加するための助けになるわけだ。(中略)ところが本作の主人公には、目的があるとはいえ、それはむしろ、嫌々ながら果たさなければならない義務であって、できればそんな仕事を投げ出してしまいたいと思っている」(P.93)

と語っている。ただ、どうだろう。暗雲立ち込める第二次大戦直前の時代にこのような映画を製作するにあたって、主人公の男女が「人殺しなんてまっぴらごめんだ。この仕事を辞めて、一緒に逃げよう」と言い出したり、また敵のエージェントが残忍極まる悪役ではないところなど、決してステレオタイプに陥らない、陥らせないヒッチコックのこだわりが感じられる。彼は人間の心や信念の揺れを描くのが本当にうまい。ふとした瞬間、我々もまた、これが古典映画であることを忘れ「生身の人物」と接したかのような感情にさらされるのだ。

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2020/03/17

「The Fall 落下の王国」

ターセム・シン監督作『落下の王国』について書かせていただきました。公開時にも、この一筋縄ではいかない語り口に魅了され、「物語の湧き上がってくる場所(本作では、人と人とがふれあう狭間に”物語内物語”が生じていく)が面白い」と知人と語り合っていたのですが、その映画作りの裏側はもっと一筋縄ではいかないものでした。お時間ある方はぜひ、作品鑑賞と合わせてお読みいただければ幸いです。

ところで、本作はターセム監督が「この人と結婚して生涯を共にしたい」と心から願っていた恋人と破局を迎えたのを機に、制作が始まったとのこと。様々な映画の裏話を覗いていると、映画監督の中には自分の強みや長所よりもむしろ「何らかの苦しみや自分の弱さ」をバネにしてとんでもない名作を作り上げる人が多く、これは一体なんなんだろうな、と思わされます。

例えば、スピルバーグは自らの映画作りの原点について「僕はただ怖いと感じてるものを自分から取り出したかっただけだよ。(中略)怖くなくなって正視できるようになるから。そしたらやがて、自分がちょっとモンスターなものだから、みんなにも怖がってもらおうと思い出したんだ」「だから、僕にとっては(映画作りは)一種のセラピーだよ。自分の暮らしから追い出して、あなたがたの真ん中にドカンと置いてみた、みたいなこと」(J.リプトン著「アクターズ・スタジオ・インタビュー」2010/早川書房/酒井洋子訳)と語っています。

自らの感受性をうまく転換させて別次元へと放出する。あるいは、苦しみから少しずつ抜け出していく過程、魂が抜け出すかのように自分をどんどん俯瞰して見つめることで、そこに何らかの”表現すべき世界”が立ち上がっていく・・・そういった幾つかの心理的、精神的な作用すら思い浮かびますが、つまるところ私たちの苦しみや悲しみというものは、常に大きな力にもなりうるということなんじゃないかな、とぼんやり考える午後。

 

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2020/02/14

1917 命をかけた伝令

サム・メンデスが長回し撮影を駆使して第一次大戦の混沌たる戦場を描いた『1917』が公開を迎える。

個人的に、戦争映画というと『プライベート・ライアン』の冒頭場面が思い出されてやや臆病になってしまう私なのだが、今作は戦争の非情さは表現されても残虐描写が強調されることはなく、レーティングも「G」。むしろ、舞台演出家でもあるメンデスらしい独特の空間設計、時間設計が印象を刻む重厚作に仕上がっている。とりわけ、兵士が塹壕から戦場へ飛び出し周囲を見渡す時の、あらゆる生命が根こそぎ奪われた後の「からっぽ」感には言葉にならないほどの思いが迸った。これらは先人たちが築いた戦争映画で感じたことのないものだ。

そこに執念とでも呼びたくなるような「長回し撮影」が加わる。もちろん、長回しは目の前で何が起こるかわからない極限の緊張感と臨場感をもたらすもの。本作におけるこの手法をもう一歩進めて解釈すると「カメラが回り続けていること=兵士が生きていること」とも捉えうる。一つのミスもゆるされない途切れなき映像が、髪の毛一本分の境目で隔てられた生死とも重なり合い、そこに並々ならぬ状況と意味が生まれているのである。

こうして我々はまるで伝令を受けた兵士の一回生(一度きりの命)を体験するかのように一緒にほぼリアルタイムの旅を続け、いつの間にか、彼が戦場で感じたこと、触れた思いさえも同じ目線で共有するようになっている。まさに運命共同体である。

この映画に感銘を受けるのはそれだけではない。長回しでとらえる映像を決して単調なものには終わらせず、最初にひたすら塹壕を歩き回るあたりが序曲ならば、そこから飛び出して展開部を迎え、息をのむほどの迫真の戦場アクションや驚きに満ちた試練を乗り越え、その全てを集約するかのような壮大なフィナーレへとなだれ込んでいく。そんな徹頭徹尾、音楽的とも称したくなるほどのうねりの構造がしっかりと練られているのだ。

この光景が実際に広がっていた時代から100年が過ぎ、第一次大戦もすっかり過去の昔話として扱われがちだ。が、モノクロの記録映像に音声と色を施したドキュメンタリー映画『彼らは生きていた』と同様、これは当時の状況や兵士たちの感覚をヴィヴィッドに蘇らせることで歴史や記憶をつなごうとする、一つの試みでもあると思う。先日のアカデミー賞では有力作と言われながら惜しくも作品賞を逃したが、作り手たちの思いを結集させ、表現技術の限界にまで迫った傑作であることに微塵も変わりはない。

 

 

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2020/02/06

ENGLISH JOURNAL

アルクから出版されている「ENGLISH JOURNAL」最新号にて、映画『アイリッシュマン』に関する記事を執筆してます(巻頭および中ほど、計2箇所)。全国の本屋さんで発売中ですので、主演のロバート・デ・ニーロが朗らかに笑っている表紙を見かけたら、ぜひ手にとっていただけると嬉しいです。

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気がつけばアカデミー賞授賞式まであとわずか。『アイリッシュマン』も作品賞をはじめ複数の部門にノミネートされており、レジェンドともいうべきこの面々が映画界の大きな山をどこまで征服できるのか見ものです。

この雑誌にも、デ・ニーロ、スコセッシ、パチーノのインタビューが収録されているのですが、これがめっぽう読み応え、聞き応えありました。70代後半の彼らがどんな雰囲気で映画作りを行っているのか。現役の映画俳優で「セリフ?覚えてないよ」(パチーノ)とあれほど自信持って言える人がどれだけ存在するのだろうかーーーそれでもなお、見事なまでに演技を成立させてしまうんです。そこがすごいところ。これを読んだ上でもう一度『アイリッシュマン』を見ると、また違った面白さが味わえると思います。

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2020/01/17

カッコーの巣の上で

CINEMOREの原稿を手がけるようになって名作に触れる機会が増えました。これまであれこれ言い訳を作って逃げてきた名作たちがたくさんあるのですが、本当に面倒くさがり屋の自分が、最近ではヒッチコックを見て、スコセッシを見て、アメリカン・ニューシネマの数々、それから廃盤になってる作品も多いケン・ローチの映画もできるだけ執念深く探し回るようになったことに驚かされます。その効果は大きいと思ってます。鍵となる作品を一つ見ておくと新作映画を見ている際に「あっ!」と気づかされる点も多く、例えば最近の映画だと『ダウントン・アビー』のラストがヴィスコンティの『山猫』へのオマージュなのではないかという推測も瞬時に浮かんできました。

さて、その「食わず嫌い」だった作品の最たるものとして、心の中にはまり込んだ巨石のように『カッコーの巣の上で』という存在があったのですが、これをようやく鑑賞することができました。映画好きならば誰もが一度は聞いたことがある名作。勝手な想像で「暗くてつらい映画なのかな」と思っていたのですが、とてつもない躍動感に満ちた映画だったことに驚かされました。やっぱり映画を見る上で「先入観」などというものは邪魔になるだけですね。もっと思い切り飛び込まないと。CINEMOREにてこの作品について書かせてもらっていますので、お時間ある方は是非ご覧ください。

 

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2019/12/01

「博士の異常な愛情」

スタンリー・キューブリック監督が1964年に公開したブラックコメディの傑作『博士の異常な愛情』。1999年に亡くなった巨匠はこの映画に一体どのような思いを詰め込んだのか、そしてケネディ暗殺事件がこの映画に与えた影響とは。詳しくはCINEMOREに書いた記事をご覧いただければと思います。

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2019/11/26

アイリッシュマン

NETFLIXにて配信される『アイリッシュマン』について映画.comでレビューを執筆させていただきました。

『沈黙-サイレンス-』のマーティン・スコセッシが放つ3時間半に及ぶ超大作。しかも今回は『タクシードライバー』や『レイジングブル』などでも組んだロバート・デ・ニーロ、それにこちらもスコセッシ組常連のジョー・ペシ、さらには大御所アル・パチーノが揃い踏みです。出演者としてきちんと頭の中に入れて臨みながらも、いざ3者がスクリーンに映し出されていると(私は劇場上映版で観たのですが)何度も「マジか・・・」という気分になりました。マジです。本当にそんな時代がやってきたのです。この重厚な語り口は他では真似できない。本当に脳天ぶち抜かれるような映画体験でした。気になった方は是非レビューをご覧いただければ幸いです。

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2019/11/07

ギャスパー・ノエ最新作『CLIMAX』

ギャスパー・ノエ、それは我々の世代にとってかなり衝撃的な名前だ。フランスの鬼才にしてタブーを犯すことを恐れない魔人。かつてシネマライズで観た『カノン』は、上映中に画面が点滅して「警告。今から衝撃的な場面あり。五秒以内に立ち去るべし」みたいな文言が大写しにされたりもしたものだった。

そんなノエの最新作の『クライマックス』は驚きと楽しさと衝撃が相まった、逸品だった。R-18+なので、あらゆる人にお勧めできるわけではないし、毛嫌いする人も多いかと思う。だが、序盤からエンドロールが流れ始めるという意表をつく展開を抜け、雪に閉ざされた体育館でのダンスが始まると、そこはもうハイテンションの渦。長回しで撮られていく生々しいパフォーマンスの交錯がとにかく素晴らしい。

ワン・アイディアを反射神経で95分の映画へと昇華させたような身軽さがまた秀逸なのだけれど、おそらく参加したキャストたちは本作がどんな仕上がりになるのか想像もできなかったのではないか。案の定、そこには過去のノエ作品のエッセンスを全て詰め込んだような楽しき地獄絵図が待っていた。うーん、こんな映画を作ってしまうなんて、やっぱりノエは唯一無二で底知れぬ才能に満ちた怪人だ。

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2019/10/29

『象は静かに座っている』234分の衝撃

中国映画「象は静かに座っている」のレビューを執筆しました。この作品、なんと尺が234分もあります。しかしながらいざ見始めると思い切り没入してしまい「長い」なんて微塵も感じることがありません。映画や物語は主人公や私たちが辿る一つの旅のようなもの。この道のりを乗り越えていざなわれる場所は一体どこなのか。その果てで、私たちの心には一体どんな思いが発露するのか。切実な内容ではあるものの、ラストシーンを迎えた時、もう一つの違う自分と出会えたような気持ちが込み上げてきました。個人的には2019年で最も熱狂した映画体験かも。この気持ち、生涯忘れることがないと思います。

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2019/10/10

SFハードアクション映画「アップグレード」

今や人間と自動音声ガイドやAIがバディを組む映画も珍しくは無くなった。それらの描写が一般化するまでには、「アイアンマン」や「ナイトライダー」や「2001年 宇宙の旅」など偉大な先人たちがいたことは言うまでもなく、最近でもインディペンデント映画ながら卓越した未来描写で自動運転AIと人間との関係性を描いた「センターライン」が注目を集めたのは記憶に新しいところ。で、こういったジャンルの最新版として是非押さえておきたいのが、「ソウ」シリーズで知られるリー・ワネルの監督、脚本作『アップグレード』だ。製作を担うのは低予算ホラーの雄、ジェイソン・ブラム。

舐めてかかると心底はまってしまう逸品である。ミニマルな未来描写にも心酔させられるのだが、何者かの襲撃で妻を殺され、自らも重傷を負った主人公がAIチップを埋め込むことで超人へと生まれ変わるあたりから、一気に面白さが火を吹く。ハードタッチのリベンジ・アクションであり、脳内ナビゲートするAIと主人公が会話しながら真相を追う相棒モノでもある。何と言ってもコンパクトながらしっかりとまとまったプロットが秀逸で、この先どうなっていくのか微塵も掴ませない。いやはや思いがけない拾いものだった。

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